忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

恵まれた家庭で育ったペットボトル

2010年02月09日 | 過去記事


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あ、そうそう、と言いながらオカンが取り出して来たのは、一通のエアメールであった。私に身に覚えはないのだが、私の名前と実家の住所が書いてある。実に不思議な話なのだが、名前はともかく、所在地や住所を記載する際、なにゆえ実家の住所を書く必要があろうか。久しぶりの実家で妹も合わせて、親子三人で「はぁ?」とかなっていた。

オカンは相変わらず「あんた!外国で悪いことしたんちゃうの!」と、我が子を国際犯罪者扱いである。しかし、とりあえず、どこから送られてきたのか?という妹の質問でオカンも大人しくなる。オカンはもうすぐ入院せねばならんはずだが、ともかくうるさい。


開けてみると、恵まれない世界の子供に~みたいな感じだった。要するに「世界には貧困や戦争で失われていく幼い命があるんです!あなたの心優しい寄付が子供の命を救います!」というアレだ。私は募金箱に金は入れても、わざわざ金を送ったりとかしたことはない。あの「チャイルドスポンサー」とかも、興味はあったが、なんか、止めた。

もちろん、こういうときこそ「やらない善意より、やる偽善」のほうが良いのもわかる。私がもう少しだけ良い人だったら、可愛らしい子供たちの輝く瞳にぐらっときて、ひとり頭4000円、ンなもん、4人も5人も同じこと、まとめて10人面倒見てやるぜ!とかやるのだろうが、私の中に流れる悪魔超人の血がそれを許さない。

そもそも、だ。

「ペットボトル1本のおカネで救える命があります!」みたいなんはどうかと思う。国会で「いのち・・・いのちをすくいたいのです」と気味の悪いことを言いながら脱税している還暦過ぎがいるが、お母ちゃんから12億円以上ももらって「知らない♪」というくらいなんだったら、こいつから全部取ればいい。ええと、計算してやろうか、先ほどの「チャイルドスポンサー」がひとり月額4千円だ。これで学校にも行けて文房具も買えて、メシが喰えて清潔な水が飲めるという。もし、この脱税友愛が「お母ちゃんからもらった金」だけでもスポンサードすれば、なんと、


30万人の子供の「いのち」を救うことが出来るではないか。


国際NGOの「ワールドビジョン」によると、世界で「学校に通えない子供」は7500万人だという。そのうち5歳まで生きることが出来ないのは800万人とある。なんだ、鳩山兄弟の子供手当だけでだいぶ救えるではないか。そんなに「いのち・・いのちをすくいたいのです」というなら、どうぞ、救ってあげてくださいと言うだけだ。

さっきの「ペットボトル~」もそうだが、私はそれはおかしいと思う。水道をひねれば飲める水が出てくる日本で、喉が渇いた日本人が150円出して買うペットボトルと同じ価値の命だと言われている気がしてならない。ハイチの地震に折り鶴を送る愚行や、ハイチは暑いというのに毛布を送る阿呆どもの呑気さと重なるのである。ならば、支那朝鮮に配る金を全部、このような境遇にある子供らに送ればいい。誰も(表立って)文句は言うまい。それでも「回転寿司が喰えない!」と不満を吐く母子家庭の携帯電話は鳴るだろう。


もういい加減、救える命はあるけども救わないのが人間だと認めればどうか。これに反論できる人は、どうぞ、明日から最低限の生活をしながら、資産の全てを「恵まれない子供」に送り続けてほしい。私は本気で、心の底から尊敬する。この飽食の日本で我が子にひもじい思いをさせ、新しい文具を持たせず学校に通わせ、ボロの服を着せて風呂にも入れず、つまり、ペットボトル一本で救える命と同じ境遇で我が子を育てながら、命は命、命は平等、だれしも生きる権利があるのだと言われれば、これはもう、マザーテレサも裸足で逃げ出すホンマもんだ。私は昼飯を喰ったあと、毎日拝んでも良い。


これは「できない」のではなく「やらない」のである。これくらいの原罪を背負わないから、キンキンに冷えたミネラルウォーターを飲みながら、これ1リットル飲めばアフリカの子供に10リットルの清潔な水が贈られます!とか言うのである(私のことだ!)。

だからこそ「具体的な対策」を考えねばならなくなる。結果、「救える命」は増えることになろう。それはつまるところ「公共」がやらねばならない。国がやるのである。

例えば、生活保護をなくす。不正受給の罰当たりはともかく、本当に必要としている人は困るだろう。しかし、それを「日本にも恵まれない家庭があります」として募金したとすればどうか。全員をちゃんと面倒見切れるだけの金が集まるだろうか。

無理なのである。同じ日本人相手でもそうなのに、もっといえば、隣近所で困っている家庭があっても、我が家は我が家として、かなり「遠慮した」出来る範囲とやらで手を差し伸べる程度に過ぎないのに、遠く離れたアフリカの地で茶色の水を子供が飲んでいても、ああ、そうか、日本は恵まれているんだなぁとすら思わないのが人間ではないか。

以前、「おにぎりが食べたい」と書き残して死んだ人がいたが、それで国を批判しても、派遣村で炊き出しはしても、誰もおにぎりを配り歩かないのと同じである。派遣村に歩いて来れる、もしくは電車に乗って来れる、携帯電話で連絡しあって来れる、パソコンで情報を得て来れる人以外の、自宅で病死や餓死する可能性のある老人宅にこそ足を運んで、何か不便はないかと聞きまわり、やわらかめのご飯を炊いて差し上げればいいのだが、こいつらは「困ってるなら来い」として、寒空の下、公園で炊き出しをする。あんなクソ寒い中、醤油ラーメンや豚汁喰える丈夫な胃腸があるならば働けるだろう。ましてや酒飲んだり煙草吸ったりできるなら、何でもできるだろう。こんなのに税金使ってメシ喰わせるならば、その金で清潔な水とやらを用意してアフリカの子供に送れと言いたい。所詮は票になるか金になるか、これこそが偽善なのである。


ま、話を戻すと、だ。

要するに人の善意は限られる。性善説では物事が進まないのである。そして、それが「いのち」という問題であるならば、国や国際社会、すなわち「公(おおやけ)」による組織的な介入を必要としているはずだ。生活保護と同じく、善人も悪人も等しく負担させる仕組みというモノが機能していなければ、結局のところ救えないのである。

そして、それが最も得意な国、それが日本である。

時の政治屋は、往々にしてそれを悪用して金をばらまいた。たしかに貧しいのかも知れんが、早くよこせ!もっとよこせ!という国に優先して金を配る阿呆さ加減である。しかも、ちゃんとその国の貧しい民に使われているのかどうかも確認できていない。それで暴動も起きない日本ならば、アフリカの子供に清潔な水を飲ませるくらい容易なはずだ。水メーカーが日本人に1リットルの水を売って10リットル送ることが出来るならば、国がちょっと動けばもっと送ることが出来ると知れている。そして、相変わらず日本人は文句を言わないだろう。どこかの民主党幹事長に不動産を買われるよりは、納税意識も高まるはずだ。「いのちをすくいたいのです・・」という脱税友愛も喜ぶことだろう。


その阿呆らしさの極みがこれだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100209-00000007-mai-soci
<親「不詳」は対象外 施設入所の2千人>

単純な質問だ。

親のいる子供と親がいない子供。救うならばどちらの子供なのか。

<「親が誰かや生死そのものがわからず、『存在』『いない』『不明』を施設が回答できない『不詳』に該当する子」が16歳以上を含めて約2400人おり、支給対象となる中学3年以下は約2000人とみられるが、この子らについては「同額措置の対象に含めていない」(同省児童手当管理室)>

優先順位が逆である。理由は明確だ。子供には選挙権がない。それだけだ。


史上最悪の偽善内閣である。小沢政権か鳩山政権かしらんが、戦後日本の最大の汚点となるだろう。これほどまでに露骨で、これほどまでに浅薄な政権があっただろうか。虫唾が走るとはこのこと、もはや、この阿呆さ加減にはモノも言えない。1秒でも早い倒閣を望む。


「いのち・・をすくいたいのです・・」と呆けて税金使って票を買う。真っ黒幹事長の辞任は参院選のカードにされている。こいつらにはペットボトル1本分の良心すらない。

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