倉庫のドアノブが壊れていた。数日前に誰かが「倉庫のドアが変だ」と雑談の中で言っていたのを思い出した。つまり、数日間放置されていた。何人もが何十回と気付いたはずだが、みんな忙しいのだろう、職場の倉庫のドアノブのことなど、いつまでも覚えているわけにもいくまい。不倫やら借金やら韓流やら、何かと忙しい方々なのだ。
ということで、ヒマな私は仕事が終わってからドライバーを持って倉庫に行った。よし、と挑んでみると、不器用な在日である私が数分かからず直せた。我ながらちょっと嬉しかった。それから気を良くした私は必要なモノを倉庫から出し、電気を消そうとしたところで大きな段ボールに気付いた。なんだろう。
「プロジェクター」だった。大きなモノだ。近くにはスクリーンもあった。埃だらけだった。頭の中には、先日から職場で話題沸騰の「韓流ドラマ上映会」のことが浮かんだ。施設のホールには「地デジ化」のお陰さまで薄型テレビが2台来た。我が家のテレビには及ばぬが、それでも大きめのインチのモノだ。フジテレビにも頼まれないのに、いま、施設にはコレを使って韓国ドラマのDVDを流す計画がある。次の日曜日を予定している、とのことだ。
私は「こういうときのため」に洗脳しておいた「イベント男」に事の内容を伝えた。彼は先日のビックイベント“夏祭り”を成功させた男だ。例の「蛍観賞の夕べ」の彼でもある。「こんなとこで頑張っても仕方がない」が口癖だった彼は最近、人に喜ばれるってすごい、と軽々しく吐くなど、堂々たる洗脳の成果を体現している一人である。この夏、生粋のお調子者である彼は「流しそうめん」や「花火大会」や「かき氷の日」などを連続して企画実行、その段取りに付き合わされる私は少し後悔し始めてもいたのであった。
彼は早速にも映写機のチェック等をしてくれていた。使える、と言う。表情が明るくなった彼は「なるほど、コレで韓国ドラマを・・・」と早合点するから慌てて止めた。
「ここ数年で流行っているのかどうか疑わしい韓国ドラマのことなんか、利用者の人は誰も知らないから却下。ダメダメ。内容はちょんまげ、動物、子供、これらは鉄板。あとは実験。映像を楽しめそうなものを試したい。ディズニーでもいいし、最近の派手なCGでもいい。びっくりするだろう。個人的には“昭和のお笑い”も付け加えたい。ともかく、笑えるモノ、泣けるモノ、感動できるモノ、癒されるモノが理想的だ。毎月一回、(施設名)シネマ、とか名付けて固定イベントにすればいい。」
空気を読めない彼はさくさく段取りを進める。「必殺仕事人」のDVDを候補として挙げたので、山田五十鈴が出ていること、つまり、藤田まことが元気で若いころ、という条件もクリア、こっそりとOKを出す(笑)。
―――また、彼は「提案」として「戦争映画」も言ったが、すぐに「あ、でも、思い出して嬉しいものじゃないですね」と引っ込めた。さてさて、果たしてそうだろうか。
施設に「鶴岡美紀さん(仮名)」というお婆さんがいる。今年で80歳になる。足腰は弱っているが認知症は軽度であり、意思疎通も十二分に可能、いろいろと遊んでくれる楽しい婆さんだ。鶴岡さんにはお兄ちゃんがふたりいた。二人ともがビルマで戦死されている。
認知症は「変化するモノ」に弱い。比して「変わらぬモノ」については、そこらのボンクラよりも明瞭に記憶している。認知症だって言ってるのに「お婆ちゃん、いま、おいくつですか?」は素人丸出しだ。なぜなら「年齢は変わる」から、途中からどーでもよくなっているのだ。だから100歳のお婆ちゃんは平然と「へぇ、おかげさんで50歳になりました」とか言うし、先日、ついに「20代半ば」で年齢が止まっている85歳のお婆ちゃんは「お嫁に行きたい」と無茶を言い出した。私が「幸せにね」と言うとニヤリとした。怖かった。
問うならば「生年月日」だ。これなら「一生変わらない」からすっと出てくる。認知症なのはコレを受けたコチラ側だ。「大正3年・・・??というのは・・・ええと・・・」とかなる。まさかと思って「明治は何年までか知ってますか?」と問うと、なんと「しらなーい!」と堂々と答える。私が明治は1868年から45年、1912年から15年間が大正、もちろん、最後の年と元年は同じです。ンで、今が2011年だから、そこから引き算すればわかる、というと大変感心された。恐ろしいところだ。
鶴岡さんは目を細めて語ってくれる。早朝、起き出して畑仕事を手伝おうとした鶴岡さんに、お兄ちゃんらは「美紀、お前はもう少し寝ていて良い。学校で居眠ったらダメだからね」と言ってくれたそうだ。そのとき、鶴岡さんは7歳か8歳、ならばお兄ちゃんは今の中学生くらいか、なんとも妹想いの優しいお兄ちゃんらではないか。
昭和20年、鶴岡さんは14歳だ。大好きだった優しいお兄ちゃんらは帰って来なかった。私が「妹を護るために戦争に行ったんやね」と言うと「そうや」と答えた。続けて「いっつも護ってくれとったからな」と答えたあと、また、お兄ちゃんらの思い出話をしてくれる。そこに悲しい表情はない。いや、むしろ誇らしく語る。嬉しそうに語る。
テレビでは「今年も菅内閣の閣僚は靖国参拝せず」を報道していた。無論、鶴岡さんのお兄ちゃんらも靖国神社で英霊として祀られている。小泉元首相は毎度毎度「心ならずも~」としながら、先の大戦の追悼式典で述べる。身勝手なモノだ。鶴岡さんのお兄ちゃんらは「妹を護る。妹がこの先、結婚して幸せに暮らせる日本を護る」と「心して」戦地に行った。どこの世界大統領になったつもりか知らんが、細川内閣から毎年毎年、とりわけアジアの人々に対して~ともやるが、先ずは自国民、当時の日本人、鶴岡さんのお兄ちゃんらのような日本人に「御苦労さまでした。ありがとうございました」とやるのがスジだろうが。
このお爺ちゃんは元関東軍、こっちのお爺ちゃんはフィリピンで戦った、などはケースファイルに書いていない。つまり、私がこれらを知っているということは、本人らから聞いたからだ。覚えているのだ。メディアが「あの戦争を忘れてはならない」などと偉そうにせんでも、当事者の方々は誰もひとかけらも忘れていない。昨日今日明日のことは失念しても、自分の青春を、自分の人生を捧げた戦争という「事実」は忘れられるはずがない。呆けているのは昨日今日明日しか考えられぬ、今現在、日本に蔓延る反日売国、無知蒙昧、無意識、無関心の愚か者だけだ。
――――日曜日、施設ホールのカーテンが閉められた。壁いっぱいのスクリーンには「子猫」が遊んでいる。全員が着席するまで、車椅子が並ぶまで流しておく。このオープニングは彼の提案だ。彼の思惑通り、みなさん画面にくぎ付けだ。フジテレビの「今日のニャンコ」が役立った。ざまみろ。利用者の方々も顔面の抗重力筋が活性化して自然と笑顔になっている。本編は「必殺仕事人」だ。ぶーたれた「韓流おばさん(本物)」もいるが、コレは放っておけばよいことになっている。それでも「スクリーンが倒れたら大変」だとして、椅子に上って紐で縛りつけてくれたのはこの人だ。御苦労さん。
鶴岡さんも集中して懸命に見ている。上映が終わり、どうだった?と問うと「面白かった~ありがとうな~」と言ってくれた。またやるからな、と告げたあと「イベント男」をみると、満足そうな表情を浮かべて汗まみれで片づけていた。大きなスクリーンを丸めて一緒に運んだ。私が「やっぱ、キラーコンテンツは暴れん坊と水戸黄門かな?」と言うと、真面目な彼は下を向いて「仕事人、わかりにくいですよね~」と凹んだ。ま、次にそれすればいいじゃんか、ということであるが、あ、そうだ、それとね――――
今度の休み前、焼き鳥を奢ってやる。何も言うな。
「あ、あざーす!!」
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