命って死んでしまうと見へないので、どこに行ったのか、わかりませんが、
私は、自分の愛する命(魂)はそばにいて自分を見ていてくれるような気がしてなりません。
自分自身の目が見へて食事が出来ていると、自分の筋肉が働くことが当たり前で、
自分だけは大丈夫という心理がはたらいてしまいます。
日常の振る舞いは正常性バイアス(悪さを無視し根拠ない大丈夫)が具わっていて
仕方がないことなのかもしれませんが、健康であっても注意して横断歩道を渡り、階段を
のぼらなければ、私の場合罰が当たって転んだり、落ちたりしてしまうような気になります。
それを守ってくれるのが自分の心の中にいる、死んでしまって見えない人達で、
その人たちの応援で学んでみたくなったり、目標や好きなこと(動物等を愛する事)
が見へ道が開けるような気がします。
私は長生きできると思へないので、動物等飼育出来ませんが、見守って下さる命
(ご先祖様・家族・私にかかわる人たち)を刻苦精進(自身を傷つけるほどに苦労努力一生懸命)
愛します。
私の生き方考え方「語録」http://blog.goo.ne.jp/genkideluzo/e/dd326ab491d1945597a540ae2dedd619
影山 元気
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