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九州の古墳には、石室に絵が描かれているものや線刻された装飾古墳が多い。
この桜京古墳は、宗像地域で唯一の装飾古墳である。
みあれ祭を見に来た際に、この古墳を見学した。
釣川沿いに豊かな水田が広がり、そのすぐ傍まで丘陵が迫っている。
その丘の頂上近くにこの古墳はあった。
今は、樹木が茂り、そこからは豊かな田園地帯も玄界灘も望むことはできない。
古墳では、案内板はあるものの、古墳の整備が十分ではなく、石室などの保存もブルーシートで覆う程度であった。
古墳の周りには、葺き石に使われたと思われる直径10cm程度の石が散乱している。
行政には早い機会での遺跡整備を望みたい。
(ボランティアとの連携した整備活動も検討してもらいたい)
ここは、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ追加掲載が決まった「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の一部を構成している。
また、文化庁の説明では、
「桜京古墳」
玄界灘に面する約80基の桜京古墳群の主墳となる前方後円墳が桜京古墳であり、石室内部に装飾を有している。古墳は丘陵上にあり、前方部を南に向け、全長約41メートル、後円部径約18メートル、高さ約4メートル、前方部幅約10メートル、高さ2.5メートルで西辺は若干変形している。
石室は後円部中央に設けられた複室の玄室をもち、西に開口している。奥室は長3.7メートル、幅約2.2メートル、高約3.6メートルで奥壁に接して石屋形がある。前室は奥室の半分ほどの大きさである。この古墳は江戸時代にすでに開口しており、出土品は伝わっていない。
本古墳の石屋形の支柱石及び奥壁には、縦横及び斜めの線刻による三角文区画がされ、その各々を赤・黄・青の顔料で塗り分けている。上部には赤色の彩色がある。この古墳は6世紀に属するものとみられ、玄界灘に面して存在する数少ない装飾古墳の一つとして重要なものである。
写真帳 「古代写景 桜京古墳の壁画」
(2011.10.01 桜京古墳にて 福岡県宗像市)
この桜京古墳は、宗像地域で唯一の装飾古墳である。
みあれ祭を見に来た際に、この古墳を見学した。
釣川沿いに豊かな水田が広がり、そのすぐ傍まで丘陵が迫っている。
その丘の頂上近くにこの古墳はあった。
今は、樹木が茂り、そこからは豊かな田園地帯も玄界灘も望むことはできない。
古墳では、案内板はあるものの、古墳の整備が十分ではなく、石室などの保存もブルーシートで覆う程度であった。
古墳の周りには、葺き石に使われたと思われる直径10cm程度の石が散乱している。
行政には早い機会での遺跡整備を望みたい。
(ボランティアとの連携した整備活動も検討してもらいたい)
ここは、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ追加掲載が決まった「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の一部を構成している。
また、文化庁の説明では、
「桜京古墳」
玄界灘に面する約80基の桜京古墳群の主墳となる前方後円墳が桜京古墳であり、石室内部に装飾を有している。古墳は丘陵上にあり、前方部を南に向け、全長約41メートル、後円部径約18メートル、高さ約4メートル、前方部幅約10メートル、高さ2.5メートルで西辺は若干変形している。
石室は後円部中央に設けられた複室の玄室をもち、西に開口している。奥室は長3.7メートル、幅約2.2メートル、高約3.6メートルで奥壁に接して石屋形がある。前室は奥室の半分ほどの大きさである。この古墳は江戸時代にすでに開口しており、出土品は伝わっていない。
本古墳の石屋形の支柱石及び奥壁には、縦横及び斜めの線刻による三角文区画がされ、その各々を赤・黄・青の顔料で塗り分けている。上部には赤色の彩色がある。この古墳は6世紀に属するものとみられ、玄界灘に面して存在する数少ない装飾古墳の一つとして重要なものである。
写真帳 「古代写景 桜京古墳の壁画」
(2011.10.01 桜京古墳にて 福岡県宗像市)
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