やっと連絡が取れたのは震災一週間経ってからでした。
屋根の上で仕事をしているとのこと。
元気がありません。
バカなことを言っても乗ってきません。
多賀城に住んでいる瓦屋さんは消防団員です。
地震があった時、自宅の近くで仕事をしていたそうです。
すぐ家に戻り、車で末の子どもを迎えに出ると、信号が点かなく大渋滞。
その時、津波の情報が…。
また家に戻り車を置いて走って迎えに行ったそうです。
たまたま道路で子どもと会うことができ、遠回りして帰宅。
すぐさま、消防小屋へ。
後ろを観ると津波が…。
ゴムボートを急いで出し、救助活動を行いました。
一晩中、寒い、冷たい津波の中、
コンビナートの爆発音が鳴る中の救助活動は想像を絶する…。
何人か助けたそうです。
救助した人は冷たい水に濡れて動けず、助け出すには大変だったようです。
自分の体も濡れていて冷たいのですが、それすら感じなかったと言います。
助けた方をロウソクの明かりが灯る家に預け、また救助活動。
夢の中の出来事か?
何度もそう思ったそうです。
一週間、休まず救助活動を行いました。
休む間もなく次は仕事。
瓦屋根が崩れた所の仮養生へ。
震災の前の日、近・木・職会議がありました。
終わってから長男が東北大学に合格した報告を受け、内輪で喜んでいました。
その息子達(二人)も父親の仕事を手伝いました。
会議が終わってから渡した見積もり図面は津波でどこかに行ってしまいました。
顔からは体の限界がみてとれます。
とても
「早く瓦屋根をなおして!」とは言えない状況です。
・・・言えません。
こんな活動をしているので瓦屋さんには差し入れが多く、今回の震災では食べ物には困らなかったそうです。近隣の人に感謝していました。
二週間ぶりの風呂に入れることを楽しみにしていました。
ご苦労さま、お疲れさまでした。
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