おもい出し日記

震災から

最初に、
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

そして、必ず復興することを目標に、更なる気概をもって仕事に臨みたいと思っています。



23日、建具屋さんのいる多賀城明月に行ってきました。
多賀城イオンの東側です。

想像を絶する、すごい光景が広がっていました。
カメラは持っていたのですが…。
シャッターを押せません。…。




地震が起こった時は事務所にいました。

古い事務所なので次の大きい地震があれば、ある程度の覚悟はしていました。
その隣にある築50年の母屋もそうです。

今までの地震より少し強く、長い地震でした。
事務所や近くの建物の揺れを確認するため、外に出て後藤くんと揺れを見ていました。

近くのプレハブの鉄骨階段や石塀が崩れる中、事務所や母屋は何とか踏ん張っていました。

古い耐震基準で建てられた家ですが倒壊しませんでした。
母屋の棟瓦が落ちてはしまいましたが余裕で建っていました。
自宅は珪藻土壁のひび割れしている所が少し大きくなりました。

地震は普通より大きいかな~
ぐらいに思っていました。

が、電気が消えました。
携帯電話で見るTVで津波が仙台空港を…。でもよくわかりません。
バッテリー確保の為、あまりみることができず、情報が入ってきません。

夕方18時に妻と次女が東京から仙台に特急バスで帰って来る予定でした。
何回かけても連絡が通じません。
横転しているのか?

名取は、松島は、東松島は、気仙沼は…。



妻とやっと連絡が取れたのは次の日の深夜2:30と早朝6:00。
7:30に仙台駅に迎えに行くことができました。

お客さん、業者さんとは連絡がとれません。

パソコンのメールが通じたのも3/17木でした。


震災後の前半は安否確認。
それから瓦の仮養生・復旧手伝いなど。
後半はお客様の家へ。

床上浸水されたお客さまもいました。


たくさん方から瓦修理の依頼を受けましたが…。
人数が限られています。すぐに伺うことができません。

瓦が落ちて、どこに頼んで直してもらったらいいかわからないという電話もありました。

できれば建ててもらった所に問い合わせしてもらった方がいいのですが…。

たぶん、建て売りで家を購入した。
前つくってもらった工務店が廃業した。
どこで建ててもらったかわからない。という方も多かったと思います。

私たちもお客さまの顔がすぐ思い浮かべることが出来ない場合があるのが残念です。

今後の課題です。

そして、余震の来る中、素人の人が応急処置をやるよりは職人さんが仮にでもブルーシートを張ったほうがいいのですが、大工さんだって命がけです。そのこともご理解いただきたいと思います。




限界も感じました。
せめて、あと2倍の人数がいれば何とかすぐ伺うこともできましたが…。
これも今後の課題です。

瓦の修理は1年待ちだそうです(予定がたたない)。
人がいません。人を育てていません。
人がいないのは人を育てていないから。
人を育てることができないのは社会の倫理やシステムが…。

理由にしてもしょうがないです…。



建具屋さんから…
作業場の片づけをするので一輪車があれば貸してほしいとのこと、ガソリンと車を入手したら取りに行きたいということでした。

大変だからこっちから今持って行くからと、行ってみたら…。

到着するまでに景色が変わっていきます。道路があってないような…。
タンクローリーが家に突っ込んでいるし
アパートが360°回転して10メートル離れたところに建っているし

奇跡的に作業場と家は建っていました。
津波は1階の天井まで来たようです。
天皇陛下からいただいた勲章と賞状も汚れてしまいました。

そんな中、一人で黙々と作業場を片付けていました。

近・木・職メンバーで一緒に片付けたいと思っています。
メンバーの方、ご協力お願いします。
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