その当時、尺貫法が使えなくなるということから、永さんが尺貫法復権運動を起こしました。
マスコミからは、計量法違反の確信犯とか愉快犯とか言われたそうです。
この運動において、多くの職人さんと付き合いが深まり、この本ができた!ということです。
はじめに-地鎮祭
Ⅰ-語る 「生き方には貴賤がある」
Ⅱ-怒る・叱る「怒ってなきゃダメだよ、年寄りは」
Ⅲ-付き合う 「必要なものは高くても買うのが買い物です」
Ⅳ-訪ねる 「使い込んでこそ美しい」
Ⅴ-受け継ぐ 「職人大学生諸君!」
終わりに-竣工式
と目次も職人の世界観が出ています。
《語る》の職人集語録では、職人さんが普段使っているような…言葉が出てきます。
「おまえはカモネギなんていうもんじゃないんだ。カモがネギしょって鍋もって、一升下げてご祝儀つきできたような奴なんだ。どうしてそんなに人がいいんだ!」
人がいい若者を職人が心配して言っている言葉ですが職人らしさが出ています。
「オレは何かをする時に必ず自分の体に調子を聞くな」
「苦労なんて耐えるものじゃない。苦労は楽しむものです」
「もらった金と稼いだ金は、はっきりと分けないといけないよ。何だかわからない金はもらっちゃいけねェんだ」
「掃除がきちんとできない奴は、ろくなもんじゃありません。ものをつくる人間は、まず掃除から修業すべきです」
私も小さいころや建設会社に勤めてた時も、まず「掃除」が基本ということを教わりました…。
「私は名もない職人です。売るために品物をこしらえたことはありません」
私は名もない建築士です。こんな言い方はかっこいい!
「安いから買うという考え方は、買い物じゃありません。必要なものは高くても買うというのが買い物です」
職人らしさがよく出ている言葉です。
職人の家系で育った私にとって、すごく懐かしく感じられました。
たぶん体の中に植え付けられているというか、忘れていた小さいころの記憶を思い出したのかもしれません。
《怒る・叱る》ではこんな言葉が!
「若いんだからしかたがないって、怒るのやめちゃ何のために年寄りだかわからないよ怒ってなきゃダメだよ、年寄りは!」
だから私も怒るようにしています。
「近頃の若い連中だって、きちんと説明してやれば、けっこう仕事はこなしてくれます。やあ、見事なもんだと思う時もあります。(好きなようにやってみな!)というと、何もできないのが不思議です」
「徒弟制度の世界はモノもつくってきたけど、ヒトもつくってきたんだ」
昨年末、「ガイヤの夜明け」という番組で10年前の光景と今を比較する映像を放送していました。その中に一つに、東京のある老舗の木工所の仕事風景を映していました。国会議事堂や有名百貨店などに家具を納めているその木工所には全国から若い方が何十人と毎年修行にこられます。朝はランニング、近隣清掃から始まります。
衝撃をうけたのはミスをすると親方(社長)が頭を叩くことです。「バチン!」叩いた音が響きます。今のご時世、パワハラとして訴えられますが…。映像を観ていて感じたのは憎くて叩くのではなく、教えるために叩く、叩かれた方は感謝の気持ちで受けている。ようにみえました。叩くということですが…お互いに愛情を感じているのです。職人の世界です…。
今も昔も同じ光景でした。いずれ一人前になって、故郷に帰ったら今度は自分が次の世代を育てる役目になります。いい映像でした。
永さんは、職人のことをこう言っています。
「僕は職人というのは職業じゃなくて(生き方)だと思っている。
その生き方、考え方が「言葉」に深い意味が込められている…。
私なりにかっこよく表現すると「職人」=「生きざま」だと思います…。
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