さて、このブログはバイクが主体ではありますが、私の車とバイクの遍歴を語るところでは、車についても書かせてもらいます。
私が運転免許を取得したのは19歳の時、今から36年前になります。
教習所は「ドライビングスクール綱島」という自動車学校で、当時は東京の専門学校に通っていましたが、約半年近く(期限ぎりぎり)かかって免許を取りました。
この当時、私には6歳上の兄がいるのですが、その兄が職場の先輩から安く購入して乗っていた車というのが、この日産の「スカイラインTI」でした。排気量は1600ccで2ドア・ハードトップ。確か馬力は100馬力もなく、MT4速、パワーステアリングではないので、異様にハンドルが思い自動車でした。
既に兄の「練習用」でもあった車なので、車体はあちらこちらに、へこみキズがあり、フロント・リアバンパーも金属でしたが、凹んでいました。
当時の1600ccの車の中では、大きめな車体でしたので練習用にはピッタリの車で、私が免許を取得した時には、週末に借りて良く運転していました。
この車は今の車とは違っていて、高速道路に入り時速100キロ出すと「キンコーン・キンコーン」と警告音が鳴るのですが、それすら気にならない位、エンジン音がうるさい車でした。何しろ4速ミッションなので、90キロを超えるくらいからエンジンがまさに「悲鳴を上げながら走っている」という感じの車でした。
また「シミ―現象」と言いますが、左右のフロントタイヤのバランスが悪いせいか、100キロになるとハンドルが小刻みに揺れてくるのです。揺れるというか、細かい振動とでもいう感じで、長時間握っていると手が痺れてくるのです。
でも当時としては、けして悪い車では無く、燃費は10km/リッターでしっかりとした車であった事を、覚えています。
この車での出来事ですが、一度、この車で山形県にある実父の田舎に兄と二人で行った事がありました。当時は東北自動車道も首都高速とはつながっておらず、首都高速5号線が高島平が終点となっていて、そこから下道で東北道の岩槻ICまで走り、そこから東北道に乗り仙台宮城ICまで走ってから、峠を越えて山形県に入るルートでした。今では福島から山形自動車道を走れば、それほど時間もかからないのですが、当時は片道10時間以上走る事になるので、早朝に家を出ても、山形県酒田市に着くころには夕方で日暮れの時間となっていました。
その時、祖母が開口一番に言った言葉は「ありゃー、こんなポンコツ車でよく来たな」でした。
二人で交代しながら山形まで走り、疲労困憊していたのですが、この祖母の言葉には苦笑いでした。
あともう一つは、当時の友人と、平日の昼に兄から車を借りて箱根に行ったのですが、丁度、箱根新道を下りた箱根峠で一回エンジンを止めて、少し経ってからエンジンを掛けようとしたが掛からず、バッテリーが上がりかけた事がありました。当時はJAFにも入っておらず、私も免許取り立てだったので、青ざめてしまったのですが、少し時間を置いてキーを回したところ「キュロ、キュロ、キュロ、ブウォーン」と再起動に成功して安堵した思い出がありました。
まあ、何はともあれ、私にとっても初めて自分で運転したというのが、この車だったのです。