今回は「連携ブロガー企画」への参加で、「いじめ」をテーマに書いてみたい。
いじめの根本的な問題のひとつとして、いじめる側といじめられる側の間にある「意識の乖離」がある。
いじめられている側は、この上なき苦痛を感じながら日々を過ごしているのに対し、いじめる側にはそれに対する「罪の意識」が希薄なのだ。
私の実体験を例に上げてみよう。
私は小学校低学年の頃、ある同級生からいつもいじめられていた記憶がある。
その同級生を「E君」とする。
E君がなぜ私に目をつけたのかは分からないが、恐らくは私の顔がクラスで一番可愛かったからだと思う。
(念のため言うと「クラスで一番」というのは、女子を含めての話しである)
E君はジャイアント馬場みたいな顔をしてたから、私の可愛さに嫉妬したという訳だ。
まぁいじめと言っても、悪口を言われたり筆箱やノートを隠されたりなど、今考えれば他愛もない事ばかり。
それでも、子供心にはそれが嫌で嫌でしょうがなかった。
そして、当時の私はすぐにピーピー泣く子供だった。
それが面白かったというのもあるのだろう、E君は事あるごとに私をいじめの標的にしてきた。
しかし、小学校高学年になった辺りで、私自身に変化があった。
どう変わったのかと言えば、すっかり“猪木信者”になってしまったのだ。
プロレス最強説を唱えるアントニオ猪木を崇拝し、日々プロレス技の研究・練習とトレーニングに明け暮れるようになった。
徐々にE君との関係も変わっていき、気が付けばいじめられないようになっていた。
そして、中学に上がる頃には、私とE君の力関係は完全に逆転していた。
泣き虫な小学生だった私は、同級生に危険なプロレス技を平気で掛けるちょっと痛い中学生に成長してしまい、当時の同級生たちには多大な迷惑を掛けてしまったと今では反省しているが、中でも最も多く危険な技を喰らわせたのは他ならぬE君であった。
意識して彼を集中的に痛めつけようとしている自覚はなかった。
だが、心のどこかに小学生の頃の仕返しをする気持ちがあったのかもしれない。
あるいは、E君がジャイアント馬場みたいな顔だから、猪木信者である私の中の“燃える闘魂”が執拗に彼を攻めたのか……。
それはさておき、ある日ふと思った。
私がしているE君に対する仕打ちも、もしかしたら「いじめ」なのだろうか、と。
ただ、その時の私の意識では、「小学校の時と中学校の時とでおあいこだから、まぁいいよねー」だった。
とは言え……。
小学校時代にE君が私にしたことは、悪口言ったり物を隠したりなど。
対して、中学校で私がE君にしたのは、バックドロップ(ルー・テーズ式)で後頭部を廊下に叩きつけたり、ドロップキックを顔面にブチ込んだり、アームロック(こういう地味な技が意外と効果的)で泣くまで締め上げたり等々、だ。
これを、「おあいこ」と言い切ってしまうのは、今思えばちょっと、いや、かなり無理がある気がする。
しかし、「いじめられた」ことに対する強い記憶と、「いじめる」罪の意識の希薄さが相まって、その時はそれを自分の中でイーブンにしてしまったのだろう。
それでも、私の中に多少なりとも罪の意識が芽生えたのは確かだった。
以降、E君に対しては、集中的に痛めつけるようなことはやめ、バックドロップも後頭部を叩きつけるルー・テーズ式から、背中を落とすアメリカン・スタイルで投げるようになった。
以上の実体験を持つ私が思うこと。
先生方には、まずいじめる側に罪の意識を持たせる指導をしてほしい。
もちろん、そういう教育はしているのだろうが、それが本当に生徒たちに届いているのか、注意深く一人一人を見て欲しいのだ。
そして、今いじめられて苦しんでいる子供たちへ。
強くなって欲しい。
もちろん、みんながみんな強くなれる訳ではないことは分かっている。
それでも敢えて言う。
強くなれ!
ただ、私のようにプロレスにハマるのはお勧めできない。
今どき「プロレス最強!」とか言ってたら、間違いなくアホかと思われる。
いじめの根本的な問題のひとつとして、いじめる側といじめられる側の間にある「意識の乖離」がある。
いじめられている側は、この上なき苦痛を感じながら日々を過ごしているのに対し、いじめる側にはそれに対する「罪の意識」が希薄なのだ。
私の実体験を例に上げてみよう。
私は小学校低学年の頃、ある同級生からいつもいじめられていた記憶がある。
その同級生を「E君」とする。
E君がなぜ私に目をつけたのかは分からないが、恐らくは私の顔がクラスで一番可愛かったからだと思う。
(念のため言うと「クラスで一番」というのは、女子を含めての話しである)
E君はジャイアント馬場みたいな顔をしてたから、私の可愛さに嫉妬したという訳だ。
まぁいじめと言っても、悪口を言われたり筆箱やノートを隠されたりなど、今考えれば他愛もない事ばかり。
それでも、子供心にはそれが嫌で嫌でしょうがなかった。
そして、当時の私はすぐにピーピー泣く子供だった。
それが面白かったというのもあるのだろう、E君は事あるごとに私をいじめの標的にしてきた。
しかし、小学校高学年になった辺りで、私自身に変化があった。
どう変わったのかと言えば、すっかり“猪木信者”になってしまったのだ。
プロレス最強説を唱えるアントニオ猪木を崇拝し、日々プロレス技の研究・練習とトレーニングに明け暮れるようになった。
徐々にE君との関係も変わっていき、気が付けばいじめられないようになっていた。
そして、中学に上がる頃には、私とE君の力関係は完全に逆転していた。
泣き虫な小学生だった私は、同級生に危険なプロレス技を平気で掛けるちょっと痛い中学生に成長してしまい、当時の同級生たちには多大な迷惑を掛けてしまったと今では反省しているが、中でも最も多く危険な技を喰らわせたのは他ならぬE君であった。
意識して彼を集中的に痛めつけようとしている自覚はなかった。
だが、心のどこかに小学生の頃の仕返しをする気持ちがあったのかもしれない。
あるいは、E君がジャイアント馬場みたいな顔だから、猪木信者である私の中の“燃える闘魂”が執拗に彼を攻めたのか……。
それはさておき、ある日ふと思った。
私がしているE君に対する仕打ちも、もしかしたら「いじめ」なのだろうか、と。
ただ、その時の私の意識では、「小学校の時と中学校の時とでおあいこだから、まぁいいよねー」だった。
とは言え……。
小学校時代にE君が私にしたことは、悪口言ったり物を隠したりなど。
対して、中学校で私がE君にしたのは、バックドロップ(ルー・テーズ式)で後頭部を廊下に叩きつけたり、ドロップキックを顔面にブチ込んだり、アームロック(こういう地味な技が意外と効果的)で泣くまで締め上げたり等々、だ。
これを、「おあいこ」と言い切ってしまうのは、今思えばちょっと、いや、かなり無理がある気がする。
しかし、「いじめられた」ことに対する強い記憶と、「いじめる」罪の意識の希薄さが相まって、その時はそれを自分の中でイーブンにしてしまったのだろう。
それでも、私の中に多少なりとも罪の意識が芽生えたのは確かだった。
以降、E君に対しては、集中的に痛めつけるようなことはやめ、バックドロップも後頭部を叩きつけるルー・テーズ式から、背中を落とすアメリカン・スタイルで投げるようになった。
以上の実体験を持つ私が思うこと。
先生方には、まずいじめる側に罪の意識を持たせる指導をしてほしい。
もちろん、そういう教育はしているのだろうが、それが本当に生徒たちに届いているのか、注意深く一人一人を見て欲しいのだ。
そして、今いじめられて苦しんでいる子供たちへ。
強くなって欲しい。
もちろん、みんながみんな強くなれる訳ではないことは分かっている。
それでも敢えて言う。
強くなれ!
ただ、私のようにプロレスにハマるのはお勧めできない。
今どき「プロレス最強!」とか言ってたら、間違いなくアホかと思われる。
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