前々回と前回からの続きです。
最後に、私が今回のシンポジウムを通して感じたことを書き、本稿を終えたいと思います。2点あります。
1つ目は、「全員が当事者」ということです。今回のシンポジウムも然りですが、主催は日本人で、日本人主導で企画され、進められていたと思います。類似の取り組みも、ほとんどが日本人中心で動いていると思います。しかし、多文化共生は日本人だけが当事者なのではなく、在住外国人も当事者です。出自や国籍など関係なく、住民の1人として、誰もが当事者のはずです。日本人から在住外国人への一方向となっている働きかけを双方向とし、「全員が当事者」という意識を持って取り組む必要があるのではないかと感じました。実行委員会などの主催者が、多国籍(多文化)になるだけでも、違うと思います。
2つ目は、1つ目とも関連しますが、「日本側も変わる必要がある」ということです。武井昭氏も「在住外国人は、(日本に)支援される側から(日本を)支援する側へ」と指摘されていましたが、在住外国人に「教えてあげる」という上からの態度を改め、在住外国人から「教えてもらう」という態度も必要でしょう。例えば、パネルディスカッションでも出ましたが、外国人向けの旅行商品を考える場合です。この場合は、在住外国人の力を借り、教えてもらい、外国人の視点を取り入れて企画すれば、より魅力的な旅行商品が作れることでしょう。
そして、私が大連で外国人だった時のことを思い返すと、大連は非常に住みやすい街でした。大連が「住みやすい」とは、多くの日本人が異口同音に言います。それは、治安が良いという点も重要だと思いますが、一番の理由は、日本語人材や知日派の多さだと思います。大連は中国ですが、日本語の通じる場所も多いのです。また、留学などで日本に暮らしていた方々も多くいます。その様な方々は、日本で外国人だったため、海外で暮らす大変さを知っています。ですので、外国人としての日本人に、優しく接してくれるのです。私も、日本経験者の方から「海外生活の大変さは分かるから」と、言われたことがあります。この様な環境が、中国語が不得手な日本人たちにも「大連は住みやすい」と感じさせていると思います。
では、日本はどうでしょうか。在住外国人の方々に、多くを求めすぎていないでしょうか。日本語が不得手な方にも「住みやすい」と感じてもらえているでしょうか。別に、外国語を流暢に話せとは言いません。それでも、上手や下手は関係なく、相手の国の言葉を習ったり、その国のことを知ったりし、距離を縮める努力は必要であるはずです。大連は「親日的」と言われます。大連は日本や日本文化に関心を寄せていて、日本との心理的な距離も近いのです。この「心理的な距離の近さ」をもっと意識し、日本側も変わる必要があると思います。日本語を覚え、日本に適応してもらうことは、もちろん大切です。ですが、これでは一方向です。これに加え、相手を知り、距離を縮めようとし、双方向の流れを作ることが大切です。
日本に問題なく適応してもらうことを多文化共生と考えているのなら、再考が必要です。これでは、多文化どころか、一方の価値観の押し付けです。自文化と異文化が共存してこそ、多文化共生への道が開かれるはずです。
最後に、私が今回のシンポジウムを通して感じたことを書き、本稿を終えたいと思います。2点あります。
1つ目は、「全員が当事者」ということです。今回のシンポジウムも然りですが、主催は日本人で、日本人主導で企画され、進められていたと思います。類似の取り組みも、ほとんどが日本人中心で動いていると思います。しかし、多文化共生は日本人だけが当事者なのではなく、在住外国人も当事者です。出自や国籍など関係なく、住民の1人として、誰もが当事者のはずです。日本人から在住外国人への一方向となっている働きかけを双方向とし、「全員が当事者」という意識を持って取り組む必要があるのではないかと感じました。実行委員会などの主催者が、多国籍(多文化)になるだけでも、違うと思います。
2つ目は、1つ目とも関連しますが、「日本側も変わる必要がある」ということです。武井昭氏も「在住外国人は、(日本に)支援される側から(日本を)支援する側へ」と指摘されていましたが、在住外国人に「教えてあげる」という上からの態度を改め、在住外国人から「教えてもらう」という態度も必要でしょう。例えば、パネルディスカッションでも出ましたが、外国人向けの旅行商品を考える場合です。この場合は、在住外国人の力を借り、教えてもらい、外国人の視点を取り入れて企画すれば、より魅力的な旅行商品が作れることでしょう。
そして、私が大連で外国人だった時のことを思い返すと、大連は非常に住みやすい街でした。大連が「住みやすい」とは、多くの日本人が異口同音に言います。それは、治安が良いという点も重要だと思いますが、一番の理由は、日本語人材や知日派の多さだと思います。大連は中国ですが、日本語の通じる場所も多いのです。また、留学などで日本に暮らしていた方々も多くいます。その様な方々は、日本で外国人だったため、海外で暮らす大変さを知っています。ですので、外国人としての日本人に、優しく接してくれるのです。私も、日本経験者の方から「海外生活の大変さは分かるから」と、言われたことがあります。この様な環境が、中国語が不得手な日本人たちにも「大連は住みやすい」と感じさせていると思います。
では、日本はどうでしょうか。在住外国人の方々に、多くを求めすぎていないでしょうか。日本語が不得手な方にも「住みやすい」と感じてもらえているでしょうか。別に、外国語を流暢に話せとは言いません。それでも、上手や下手は関係なく、相手の国の言葉を習ったり、その国のことを知ったりし、距離を縮める努力は必要であるはずです。大連は「親日的」と言われます。大連は日本や日本文化に関心を寄せていて、日本との心理的な距離も近いのです。この「心理的な距離の近さ」をもっと意識し、日本側も変わる必要があると思います。日本語を覚え、日本に適応してもらうことは、もちろん大切です。ですが、これでは一方向です。これに加え、相手を知り、距離を縮めようとし、双方向の流れを作ることが大切です。
日本に問題なく適応してもらうことを多文化共生と考えているのなら、再考が必要です。これでは、多文化どころか、一方の価値観の押し付けです。自文化と異文化が共存してこそ、多文化共生への道が開かれるはずです。