前回からの続きです。
それでは、中国の歴史を簡単に概観してみましょう。私たちは、漢民族が中国史の中心にいたと考えがちですが、それは違います。
まず、古代には夏、殷、周という王朝がありました。「これら三王朝は、漢民族の祖先が建国した」と、漢民族は思いたいのかもしれませんが、これら三王朝はそれぞれ別々の民族によって建国されています。この3民族の系統が漢民族に繋がるのか分かりませんが、仮にどれか1つの王朝を漢民族の祖先が建国したとしても、残りの2つはそうならないのです。
その後は、春秋戦国という分裂の時代を経て、秦が統一王朝を築きます。秦は、辺境から出た国ですので、華(漢民族)ではなく、夷(非漢民族)であった可能性は非常に高いと思います。秦の後は漢民族の漢王朝となり、それからは、北に騎馬遊牧民たちの国、南に漢民族の国という状態が長く続きます。中国に存在した漢民族の統一王朝は、漢と明だけとも言われています。そして、中国全土を完全に統治した非漢民族の国が、元と清。民族で言えば、モンゴル族と満洲族です。
この様な歴史的経緯から、満洲族、モンゴル族という二大民族と漢民族は、複雑な関係にあるのではないかと思います。この二大民族に対し、漢民族は完全な敗北を喫したわけですから、少なくとも一部の漢民族は、複雑な感情を抱いているはずです。
ある時、こんなことがありました。数人で食事をしていて、話の流れは忘れてしまいましたが、話題が清のことに及びました。その時、同席していた漢民族の方が「清の話はやめてくれ」と言いました。おそらく彼にとって、清の時代は屈辱の敗北の歴史であり、聞きたくない話だったのでしょう。
前半でも触れましたが、中華思想や華夷思想というものがあります。これは、華(漢民族)こそが世界の中心であり、それ以外の夷(非漢民族)は劣っているという考え方です。漢民族の中ではこの様な設定になっているのでしょうが、中国の歴史を振り返れば分かる通り、漢民族は決して、中国の中心ではありませんでしたし、ましてや世界の中心でもありませんでした。
「夜郎自大」という言葉もあります。これは、夜郎という民族が漢王朝の強大なことを知らず、自らの力を誇ったという話から、「自分の力量を知らずに威張ること、またそのような態度」を言います。ですが、「夜郎自大」の言葉は、そのまま漢民族に当てはまらないでしょうか。相手を見下し、自分を世界の中心と思っているから、また、その夜郎自大さから、敗北を繰り返して来たのではないでしょうか。
私には、敗北を正当化するための思想が、中華思想や華夷思想であると思えます。事実とは異なるが、自分を世界の中心であるとして、敗北から目を背ける。自分よりも強い相手を野蛮な「夷」として見下し、慰めを得る。この様な自己正当化の幻想や神話とも言えます。ニーチェの言葉を借りれば、「ルサンチマン」とも言えるでしょうか。
現在、中国のGDPは世界で第2位。いつか1位になるとの予測もあります。ですが、中国の民主化を支持する1人として、最後に一言。中国が世界で本当の大国、世界の国々に受け入れてもらえる大国になるためには、中華思想と華夷思想、そして独裁の克服が必要であると、私には思えます。(中国と独裁に関しては、別で書こうと思います。)