今週もとぼとぼと歩いてハーバーへ
重い上着は要らなくなり、薄いウィンドブレーカーを羽織っていましたが、それさえザックに詰め込み、ネルシャツ1枚で
気持ちいい陽気になりました、(但し、花粉がものすごいです(グシュ、グシュ))
桜が、あちらこちらに咲いています(場所によっては8分咲きくらいでしたが、5分くらいのところが多いですね)
ハーバー到着、誰も居ない週末です
風も弱く、静かな桟橋
先週の続き、ガンネルへの2度目のオイル塗布が残っていますが、艤装に取り掛かります(^^ゞ
着替えを(作業着ではなく)済ませ、さっさと舫を外して出航~~~
(もちろん、始業(?)点検はしていますよ)
風が無いので静かに水路を進み、エンジン音がいつもより乾いた音に聞こえます(思わず、冷却水の排出を再確認してしまいました)
防波堤の端に、大きな鳥が羽を広げて監視しています(まるでラドン)
鳥さんに見送られて山下埠頭とA埠頭の間を抜けます
ポート方向、湾奥の大桟橋の両側には客船が2隻(向こうは飛鳥Ⅱだと思いますが、手前は? )
いつもどおり橋をくぐり、B埠頭、C埠頭の先を通ります(何故か、BとCはくっついていてNW側がB埠頭(突堤)、SE側がC埠頭(突堤)です)
その先の白灯台、シンボルタワーがあるところがD突堤となります
先週に続き(先週に増して)、遊漁船がものすごいことに、そこにプレジャーボートも
航路内に居た漁船は、水上警察 神奈川県警ですが本庁とは別に 横浜水上警察署 があります(https://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/44ps/44_idx.htm)
今日の雑学(興味の無い人は飛ばしてください) (^^ゞ
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■■■横浜水上警察署の沿革 横浜水上警察署誕生までの道のり■■■
明治維新における警察制度の礎
嘉永6年(1853)ペリーが浦賀に来航、幕府の「打ち沈め線」を突破して本牧沖に停泊し近海の測量をはじめた。
言い知れぬ住民の不安に対し、その時の内海の警備には肥後藩細川越中守の家士が本牧警備についていた。
安政元年(1854)1月黒船が再渡来(ペリー来航)し、横浜村の海岸において日米和親条約が締結(いわゆる神奈川条約)され、外国人との接触を持つようになると幕府の不安をよそに「黒船見物」とばかりに外国船に接近したり、密商・密航を企てる者も出るようになってきた。
このことから安政2年(1855)4月肥後藩の手による海防は十分ではないと言う理由で、伊予松山藩松平隠岐守が海上防衛を命じられ、7月神奈川奉行とはかり運上御用船を設け、もっぱら横浜港内の警戒に当たらさせた。
御用船は船10隻をもってこれにあて、横浜の漁夫勘九郎、九蔵の両名に水主頭取りを命じ、水夫30名に運上所北門脇に溜所を設けて外国船の出入りを監視させた。
船の出入りごとに逐一運上所に注進させ、入り船のあったときは役人3人、通詞1人、下番2人を、その船に派遣して尋問させ密商の防止を図った。
安政6年(1859)横浜が開港し幕府は警吏として上番、下番及び同心を置き各役所の警戒勤務の当たらせた。警戒の拠点は、番所7か所、領事宿所4か所、商館箱番所5か所、市内各所勤番所、関門番所で、その形態は現在の交番勤務と相通じるものがあり、明治維新の新警察制度に影響を与えた。
■■■警察制度機構の確立と横浜水上警察署の誕生■■■
元治元年(1864)3月神奈川奉行は、横浜裁判所となり、更に神奈川裁判所と改称され4月20日、裁判所総監督東久世中將通禧が、奉行水野若狭守、同依田伊勢守より政務を引継ぎ、御用出役として警衛隊を編成し、港内の警衛にあて、各関門、番所、及び近郊町村を巡邏させた。 その際イギリス波止場に、水上見張り所が設置された。
これが水上警察署の始まりである。
明治5年(1872)海上においては外国の入港船が多くなるに従い、港内碇停船に遊女、密商、密輸等を目的に行き来する者が多くなり、また海賊の出没も増え、「港内碇停船規則」が設けられた。これにより明治6年(1873)3月、邏卒20人を港邏卒にあて、巡邏船を備え、常に港内を巡回警らした。
警察署の統廃合により、 明治32年(1899)8月1日水上警察署誕生する。
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と、いう事でした
で、話を戻すと、漁船は2隻の水上警察の船と海保の船に注意を受けて(聞こえないけどたぶん)航路の外に
その航路の外は、小型船舶(業務用も、プレジャーも)が通るところなのですが
そこにたくさん居るし、プレジャーボートはアンカーを入れている船も、漁船の方は流しているので動いてる
しかも、ある程度前へ進むとUターンして後ろに付く
その動きを予想して(釣り人が竿を下ろしているときには急な動きは無い)
間を、縫うように進みます、ところがプレジャーボートは急に前を横切り、向きを変えて進路をさえぎる
自分たちの方向(船団)しか見ていないので、他の交通船が通るところが無くなる状態
P旗を挙げた船は結構飛ばしている
何とか、D突堤を交わし外に出たけど、こちらもズラ~ッと結う漁船が並んでいる
風に立てたいのだが、航路を避けるためには、一度漁船の船団方向に入らないといけない
いつもより沖に出し(緑の浮標ぎりぎり)で浮標に向けて風に立て、一気にセールアップ
浮標の15~20m手前で、風を入れて南下(この時点でエンジンは掛かっているので問題は無いです)
ジブも出して、エンジン停止
空が気持ちいい
雲がきれい
風は無~い
風は2~3m
3ktsほどで船は進むが、時々風が落ち、失速
漁船船団とも離れたので、本牧沖をのんびりと漂う
アンカリングしている本船が居るので、早めにタックして沖出しして交わす
風がますます落ちてきた
2ktsほど
1ktsを切ったら、エンジンを回そうと決める
(見ているのは対地速度なので、潮で流れているのかもしれないけど、とりあえず動いている状態=漂流とも言う)
それでも、時々風が吹いてきて、3.8ktsまで出た
そのまま、南本牧沖まで進む、気づくとかなり沖まで来ていた
タックで八景島まで行けそうだが、帰りの風もなさそうなので、いつもの練習フィールド(本牧海釣り公園の沖)で少し遊び
ヒーブーツーで昼食と思ったけど、風が無さ過ぎで、安定せず、波で船が揺られるし、そのままのんびりと戻ることに
ゴジラが飛んで(?)くる
空を見上げながら、下に座り、ライフラインに寄りかかってアンヒールを維持
テストを兼ねてオーパイをセットする
それでも、1時間弱でシンボルタワー前まで戻った(たぶん2kts平均)
ラジオを聴きながら、のんびりするには良い、暑くもないし、寒くも無い
久しぶりの卵専用運搬船がドック前にいました
セールを下して、(少し減ったけどまだ居る)漁船の船団の中に突入
よく見ていると、小さな(←ここ重要)鯵が釣れているようです
*さすがに船がたくさんなのでオーパイは解除しました
港の中かも静かですね
見送ってくれた鳥さんが、まだおなじところに居てお出迎え?
そのまま、帰港し舫を固めて解装していると、Suさんが来艇、ジブハリをロープに変えるとのことで(それなら、ダイニーマが良いのでは)というお喋りをして、食事は済んでるとのことで、私だけ「プシュ~」とランチタイムとなりました
ラジオを聞きながら(いつも聴いているのは英語ばかりの放送で、音楽しか判りませんが(^^) )のんびりと
さて、作業に取り掛かるか・・・
で、先週塗った部分をウエスでふき取り(良い感じになってます)、少し修正を行って、2度目のオイル塗布、少し多めに(少なくて良いのだけど、良く染み込んでいるので)塗りました
ついでに、差し板周りは3回目(余ったので)を塗りこんでおきました
後片付けをして船を後にしました
今度は猫が見送り
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