胡麻が笑う

胡麻 23歳(♀猫)を迎えた9月に星になりました。
松本潤くんを応援しています。

演劇批評より~

2011-11-12 10:12:06 | あゝ、荒野

*追記 

沖縄行きの飛行機の中で、5×10PV集をひさびさにみていた

台風ジェネレーション・・まるで5060年代のニューヨークの不良少年のような映像からスタート

リーゼントに合わない・・綺麗すぎると潤くん!ということで大━゜+(〃▽人)+゜━好きなんですが

この批評を読んでいたのでちょっと気がついた

 

2転3転・・・ブルーと白のブロックのようなバックで元気に踊る10代のみんな

なかでもまだ体が柔らかいのか今みたいに決まってはいない

そして・・なぜかあんまり前にでてこないんでがオレンジのシャツについついかわいいなぁ・・

いやいや

 

最後のほうの「君にさよなら、電話で告げた・・」のところで一人おもむろに一番後ろにいき、白い背景のところにもたれて、両手をあげて、伸び~♪

脚をくいってまげ、腰も・・・ぼけちゃって雰囲気だけが伝わるんですが、

 

・・磔のキリスト・・・

 


 いろいろな劇評を読ませていただいた中で一番印象的だったのが、劇評家として著名な中村さんが11/3に上梓してくださった「演劇批評」にいろいろな意義、価値、喚起・・そしてと演じた若い二人への激励とも慰労ともとれる(少なくとも私には)文章に感謝の涙 

そして・・・ついつい思い出してしまった、自分の中での戯曲の時代と世界
でも・・60年代の新宿は私がまだ東京の東側の端で生まれて、隅田川を渡った先の病院に母の見舞いにいくぐらい・・、あとは小学校の遠足や写生会で新宿御苑、叔母の家に遊びにいった四谷や渋谷・・まで 

そう新宿って、怖くて、なにか闘っているイメージの街で、ほとんど行ったことがなかった記憶

あ、姉が日本に初出店した「ケンタッキーフライドチキン」(まさか後年潤くんがCMしようとは!)
に食べに連れていってもらった後、紀伊国屋書店にいって、偶然黒柳徹子さんの著作本の発売サイン会にでくわして、もっていたお年玉の残りで本を買い、○○さんへ、と本人サインを書いていただき、握手をした・・・

 それはもう70年代に入ってときでしたが、でも・・新次みたいな人は結構生きていたような気がする

60
年代は、まだ日本中がなんとなく貧しく・・、でも近所付き合いも濃く、銭湯で見知らぬおばさんが背中流してくれたり・・・あとで商店街のいまはもう廃業してしまった精肉屋のおばさんだったと知った。買い物にはよく行ってたし(お手伝いでは、中プレスハムか豚こま、おやつには揚げたてのコロッケ・ハムカツ・ポテトフライ(丸い)をよく買ってた~)話したけれど、いつも白いうわっぱりみたいなのとチーフで頭を包んだ人が、隣で裸でいる人だなんてわからなかったから。あと当時は一般的だった銭湯にあまり行った記憶がなかった。うちは母の病気の関係で下町でも比較的早くに内風呂をむりくり階段下につくったり、水洗トイレにしりと父が頑張っていたように記憶している。 

なーんて、この方の評論をきちんと読んでいったら、新次にもバリカンにも舞台にも関係ないことを思いだしてしまった()、私の60年代・・ 

ちなみに、最後・・・まるで聖母子像のようにそこだけ光に包まれながら、新次の腕の中で抱きかかえられながら慟哭されながら・・(やがて病院で逝く)バリカンの死亡診断書が読み上げられる。

 

最初に行ったときにはあまりに感動して、まるで切なく悲しい歌の歌詞のように聞き流してしまったが

 2回目、双眼鏡で映像詩のように眺め、涙を流していたときに急に耳に、心に響いてきた

 

 

「平成23115日、21時・・・」

 

そう、60年代から今日、実際にこの美しい二人が戦わなければならなかった試合が行われた時間に戻る 

今、の世界なのか・・

  ↓中村義裕さん「演劇批評」2011113日「あゝ、荒野」
http://engeki-hihyou.sakura.ne.jp/hihyou/hihyou2011.html#aa


 

あゝ、荒野 2011.10 彩の国さいたま芸術劇場 

テレビで屈託のない笑顔を見せている人気グループ「嵐」の松本潤と、寺山修司の作品に漂う「虚無感」が意外に相性の良い組み合わせだったのが、この舞台での発見である。

もう一つは、女性と戯れる時のにこやかな美しい笑顔の中に、カミソリの刃を手で持っているような鋭さを見せる瞬間がある。これが、彼の魅力なのだろう。

 

1983年に47歳の若さで亡くなった寺山修司の、元から芝居として書かれた戯曲ではなく、唯一の長編小説「あゝ、荒野」を夕暮マリーが脚色し、蜷川幸雄が演出している。私の手元にあるもので約320ページに及ぶ長編小説を劇化した手順は、良い意味での「いいとこ取り」で、舞台の両側に寺山が詠んだ短歌が何首か映し出されながら、テンポを持って進む。舞台は、1960年代の新宿。

 

松本潤が演じる小生意気なボクサー、新宿新次と、小出恵介のどもりのボクサー、バリカン健二が、友情を育みながら勝村政信が演じる片目のコーチの元で練習を積み、やがて二人が対決する、という話だ。何やらマンガの「明日のジョー」を想起させるストーリーだが、ボクシングを愛した寺山修司のオリジナルである。

今とは種類も匂いも違う猥雑さと活気を持っていた新宿。例えば、安っぽいネオンが毒々しく煌めくごちゃごちゃした繁華街、葬式の花輪と開店祝いの花輪が並んでいても何も違和感を覚えないような街が舞台である。今の観客にも分かりやすいような工夫で舞台が創られている半面、時代感覚が薄れるのは仕方のないことだろう。我々は追憶よりも現代に生きなくてはならないのだから。

私が子供心に憶えている60年代の新宿にしても、靖国通りを走る都電、三光町の交差点のトロリーバス、東口の「二幸」といった点景でしかない。そんな時代の新宿のうらぶれたホテルに、娼婦が次から次へと男たちを咥え込み、したたかに生きている。

 

ここで印象的だったシーンがある。新宿新次がセックスの後で、パンツ一枚で両手を広げて、眠っているシーンだった。何やら、磔刑のキリストのようだ、と思っていたら、娼婦が舞台の上に吊り上げられて消えた。「俗」に暮らし、生きる娼婦や、それを買う若者を「聖化」する辺りは、いかにも寺山修司らしい。

 

もう一つ、印象的だったのは、バリカンと新次が互いに母を語る場面だった。

当然二人の母親は違う人物なのだが、どちらも作者である寺山修司の母親像である。終生、母親との桎梏を抱え続けた寺山修司の複雑な感情を垣間見た気がした。

私小説的な要素をも含んだこの長編小説には、今どきの若者が口にするとは思えないような難解な言葉がたびたび出て来る。日本で有数の繁華街・新宿で「荒野」を語る二人の青年。今の若い人々には異質なもの、として映るかも知れない。しかし、二人の口から発せられる言葉には、繁華街を荒野に変えるようなエネルギーの発露と、くすぐったいような青春の痛み、とが同居している。

いつもポマードの匂いのするようなイカした新次と、自分の想いを口にすることも容易ではないバリカンとは、一見対照的に見えながらも、双子の兄弟のようでもある。松本潤も小出恵介も、細かな演技の巧拙について言えばいろいろな問題が出て来る。しかし、二人がこの難解で、するめいかのような歯ごたえと噛みごたえを持った「あゝ、荒野」という大作に裸でぶつかり、身にまとった雰囲気でその人物を演じようとしている姿勢には好感が持てる。

ラストに近いシーンで、リングの上で4ラウンドのボクシングの試合をする二人は、お互いが相手に対して抱いていた憧れや恋慕にも似た感情を、肉体を傷つけることで確かめ合っているかのように感じられた。

 

寺山修司と同世代で、一入の思い入れがあるのだろうか、最近の蜷川幸雄の演出作品の中では、最も蜷川らしさを感じる演出である。

 

この批評を書いていてふと気づいたのだが、寺山修司が亡くなって間もなく30年になろうとしている。もはや、寺山修司は「伝説」として語られるべきほどの年月が経ってしまった今、こうした形で寺山の新しい作品が陽の目を見るのは意義のあることだ。

歌人・詩人・エッセイスト・小説家・劇作家・シナリオライター・評論家・作詞家・演出家・映画監督などの多彩な顔を持ち、「僕の職業は寺山修司です」とインタビューに答えた人物の、代表的な短歌を一首最後に紹介しておこう。今、我々が、日本が直面している姿だからだ。1954年、18の時に「短歌研究」という雑誌で新人賞を受賞した歌だ。

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」

 

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