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柳美里さんありがとう!

2008年03月05日 | 日記
柳美里さんが、我らが師匠にスポットライトを当てくれました。
NHKの「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 色川武大 穏やかにアウトロー」。
全国放送で「狂人日記」をとり上げるなんて、おそらく彼女にしか出来ないことです。

柳美里 1968年6月22日生まれ
ごめり 1968年6月14日生まれ
へへ、同級生なのさ。

「色川武大」と「阿佐田哲也」がセットで存在しているように、
「狂人日記」と「うらおもて人生録」もセットで存在していると思う。

そういえば最近「日本アウトロー列伝」なる本が出ていましたが、
「無頼派」というキーワードは、あくまで師匠の側面のひとつでしかありません。

以前も紹介しましたが、再度抜粋しましょう。
<人を好きになること。
人から愛されること。
こういうことというものは、陽の光みたいなもので、
人によって陽当たりに恵まれて育った者もあろうし、
陽あたりのわるいところで育った者もあろうけれど、
動物がほんのちょっぴりの陽光を求めて移動するように、
そこのところを大切にしてほしい。>


おそらく、恥ずかしかったでしょう。
照れもあったでしょう。
なにせで「無頼派」売っている人なのです。
けれど、書かずにはいられなかった。

色川武大は、大きな十字架を背負った人です。
今なお、わたしたちが手を合わせたくなった時、そこにいる人なのです。

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2 コメント

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無頼 (熊男)
2008-03-07 00:24:29
 ごめりに影響されて、かなり久しぶりに『狂人日記』を読み返そうと思いましたよ。本棚から引っ張り出すのに、一苦労。
 ところで、なんだかんだ言って、私、太宰は今でも、ちょくちょく読むよ。否定していながら、ちょくちょく読むなんて、おかしいよね。
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色川氏の口から私はついに一言も、父についての言葉を聞かなかった。 (ごめり)
2008-03-07 21:37:01
長い引用をします。

<実を言うと今私の思うのは、氏は私の父についてなにか私に語りたかったのではないかということで、しかし色川氏は私のあまりの未熟さにまだその時期は来ていないと判断されていたような気がしてならない。私の父は戦前に思春期を過ごし、戦後すぐに死んだ太宰治という小説家で、その世代のいわゆる「無頼派」と呼ばれる小説家たちについて親近感はおぼえるものの、根本的なところがまったくちがう、そのちがいを分かってほしいと色川氏の作品を読んでいると訴えかけてくるような気がしてならない。そのことをいつか、氏の世代よりもさらに下の世代の私と語り合いたいものだと、氏は辛抱強く私の成熟を待っていてくださったのではないか、私は情けないことにいまだに成熟からほど遠いところにいるものの、そんなことを強く思う。色川氏の口から私はついに一言も、父についての言葉を聞かなかった。>
津島佑子さん「個人的な感想」より

<まったくちがう>のかどうか、私も<成熟>からほど遠いので、よくわかりません。ただ、何かを否定するということは、常に自分に刃がむかってものだという気はするのです。だから、実生活においては、常にじたばたせずにはいられないのではないか。そういう資質が<無頼>にあるのではないか。

しかし、津島さんはこう記します。

<自分なるものを決して規定せず、意味づけず、無価値なものを無価値のまま生きること、その曲芸的な足場を守り続けようとした氏の意思。否定も肯定もない。氏のしがみつきつづけたこうした世界の逃げ場のないおそろしさが、個人的な立場からのみ生みだされていると受けとめてしまうと、ほんの小さな範囲でしか理解できなくなってしまう。私の理解がそうしたものに過ぎなかった。>
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