7月30日(土)
復興支援(チャリティー)寄席「柳家小三治・入船亭扇橋二人会」に行ってきました。
池袋演芸場、全席自由、木戸銭1000円。
出演者は、上記お2人の他に、柳家小袁治師匠。
それから、司会というか、開口一番が、三遊亭円丈師匠でした。
その前日。
いったい全体、何時から並べばいいものか、皆目見当がつかず、いろいろと検索をしていました。
「池袋演芸場 整理券 行列」
とか、まぁ、そんな感じで。
でも、結局、よくわかりませんでした。
なので、およそ、開演の2時間半前くらいが妥当かな、そう思って、9時から並ぶことにしました。
ま、池袋はそれなりに遠いので、それでも早起きになります。
もし、それでダメだったら、潔く諦めて、浅草演芸ホールにでも行こう、そう思っていました。
結果的に、整理券の番号は、36番でした。
まぁ、ちょうど良かったです。
結局、会場に入れたのは、先着130人のみで、立見はありません(補助席も使用)でした。
あぶれた方達は、外のモニターで見ていたようです。
今回は、旧友のRYOちゃんも合流してくれました。
彼にとっては、まさに、はじめての寄席、はじめての生落語、はじめての小三治だったわけです。
彼、大満足だったようです。
やっぱり落語って、もっともっと、新たなファン層を獲得できるのに、そう思いました。
その魅力に気づいていないだけなんだ。
もったいない!
さて。
入船亭扇橋師匠です。
凄かったです。
私の筆力では、とてもとても、その壮絶さを、伝えられません。
その役は、他に誰かにお願いしたい。
ふさわしい方がいらっしゃるはずです。
例えば、立川志らく師匠が、10代目金原亭馬生の最後の高座を、熱く語っているみたいに。
でも、ブログ検索しても、ひっかからない・・・。
扇橋師匠は、2人のお弟子さんに抱えられて、登場されました。
あまりにも失礼な言い方ですが、我が施設のお年寄りたちのほうが、よほど元気に見えました。
<ほとんど聴こえない>
<何をしゃべっているのか、さっぱりわからない>
そういう噂は知っていましたが、さすがにここまで衰えているとは、思いませんでした。
何を話しているのだろう。
会場はシーンとしていましたが、それでも、片言しか聞こえませんでした。
でも、これも、落語なのですね。
落語って、想像力で楽しむものですからね。
そうして、今回の扇橋師匠の落語ほど、人の想像力をかきたてる落語ってのも、なかなかないもんだと思います。
そう意味では、これもまぁ、究極の芸のひとつ、と言えるのかもしれません。
枕では、どくだみのことを話していたようです。
はっきり聞き取れる時もあるので、そういう声、音調で話し続けることも、可能だったのかもしれませんが、きっと、それは落語ではないんですね。
つまり、例えば、男の言葉で、女性を演じることはできないわけです。
言葉がお客さんに通じていないであろうことは、師匠もわかっている。
けれども、落語のあらすじは、大方の人が知っていますから、それはお客さんの想像力で補えばいい。
そういう意味では、私や、RYOちゃんのような初心者は、ちょっと辛いんですけどね。
でも、RYOちゃんだって、「扇橋凄かった」って、そう言っていました。
そうして、会場全体、凄い拍手でした。
言葉は通じなくても、扇橋師匠の落語に対する想いは、きっと伝わっていたんだと思います。
まぁ、そんなこんなは、聴く側の勝手な妄想です。
扇橋師匠にしてみれば、そんなことは、どうでもいいことだったのかもしれません。
無二の親友である、小三治師匠との、二人会だということ。
復興寄席だということ。
そうして、やはり、かつての師匠=3代目桂三木助の最後の高座を意識していたのではないでしょうか。
三木助師匠も<身体は病魔に蝕まれ両足が腫れ歩行困難の状態>だったそうですから。
むろん、小袁治師匠は面白かったし、小三治師匠も最高でした。
でも、今回の寄席は、扇橋師匠の、扇橋師匠による、被災地で苦しんでいる方たちのための落語だった、そんな風に私は思っています。
復興支援(チャリティー)寄席「柳家小三治・入船亭扇橋二人会」に行ってきました。
池袋演芸場、全席自由、木戸銭1000円。
出演者は、上記お2人の他に、柳家小袁治師匠。
それから、司会というか、開口一番が、三遊亭円丈師匠でした。
その前日。
いったい全体、何時から並べばいいものか、皆目見当がつかず、いろいろと検索をしていました。
「池袋演芸場 整理券 行列」
とか、まぁ、そんな感じで。
でも、結局、よくわかりませんでした。
なので、およそ、開演の2時間半前くらいが妥当かな、そう思って、9時から並ぶことにしました。
ま、池袋はそれなりに遠いので、それでも早起きになります。
もし、それでダメだったら、潔く諦めて、浅草演芸ホールにでも行こう、そう思っていました。
結果的に、整理券の番号は、36番でした。
まぁ、ちょうど良かったです。
結局、会場に入れたのは、先着130人のみで、立見はありません(補助席も使用)でした。
あぶれた方達は、外のモニターで見ていたようです。
今回は、旧友のRYOちゃんも合流してくれました。
彼にとっては、まさに、はじめての寄席、はじめての生落語、はじめての小三治だったわけです。
彼、大満足だったようです。
やっぱり落語って、もっともっと、新たなファン層を獲得できるのに、そう思いました。
その魅力に気づいていないだけなんだ。
もったいない!
さて。
入船亭扇橋師匠です。
凄かったです。
私の筆力では、とてもとても、その壮絶さを、伝えられません。
その役は、他に誰かにお願いしたい。
ふさわしい方がいらっしゃるはずです。
例えば、立川志らく師匠が、10代目金原亭馬生の最後の高座を、熱く語っているみたいに。
でも、ブログ検索しても、ひっかからない・・・。
扇橋師匠は、2人のお弟子さんに抱えられて、登場されました。
あまりにも失礼な言い方ですが、我が施設のお年寄りたちのほうが、よほど元気に見えました。
<ほとんど聴こえない>
<何をしゃべっているのか、さっぱりわからない>
そういう噂は知っていましたが、さすがにここまで衰えているとは、思いませんでした。
何を話しているのだろう。
会場はシーンとしていましたが、それでも、片言しか聞こえませんでした。
でも、これも、落語なのですね。
落語って、想像力で楽しむものですからね。
そうして、今回の扇橋師匠の落語ほど、人の想像力をかきたてる落語ってのも、なかなかないもんだと思います。
そう意味では、これもまぁ、究極の芸のひとつ、と言えるのかもしれません。
枕では、どくだみのことを話していたようです。
はっきり聞き取れる時もあるので、そういう声、音調で話し続けることも、可能だったのかもしれませんが、きっと、それは落語ではないんですね。
つまり、例えば、男の言葉で、女性を演じることはできないわけです。
言葉がお客さんに通じていないであろうことは、師匠もわかっている。
けれども、落語のあらすじは、大方の人が知っていますから、それはお客さんの想像力で補えばいい。
そういう意味では、私や、RYOちゃんのような初心者は、ちょっと辛いんですけどね。
でも、RYOちゃんだって、「扇橋凄かった」って、そう言っていました。
そうして、会場全体、凄い拍手でした。
言葉は通じなくても、扇橋師匠の落語に対する想いは、きっと伝わっていたんだと思います。
まぁ、そんなこんなは、聴く側の勝手な妄想です。
扇橋師匠にしてみれば、そんなことは、どうでもいいことだったのかもしれません。
無二の親友である、小三治師匠との、二人会だということ。
復興寄席だということ。
そうして、やはり、かつての師匠=3代目桂三木助の最後の高座を意識していたのではないでしょうか。
三木助師匠も<身体は病魔に蝕まれ両足が腫れ歩行困難の状態>だったそうですから。
むろん、小袁治師匠は面白かったし、小三治師匠も最高でした。
でも、今回の寄席は、扇橋師匠の、扇橋師匠による、被災地で苦しんでいる方たちのための落語だった、そんな風に私は思っています。
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