私が1歳から5歳まで過ごしたときの駅です。親父が幌内炭鉱に勤めていて、まだ両親と私の3人で暮らしていました。3年前に亡くなった親父に口癖は「このころが一番幸せだった。」でした。私も物心ついたばかりの頃でしたが、長屋の子供達と裏山にノイチゴやココア(今思えば、サルナシの実)、そしていろいろなグスベリの実を採って食べたのを覚えています。長屋の小屋でニワトリを飼っていて私の仲良しの友達でした。そのニワトリのコケっ子ちゃんがある寒い冬の朝に凍り付いて死んでいたのを覚えています。悲しい思い出でした。この幌内駅近くに映画館がありまして、私は親父におんぶしてよく連れて行かれました。その頃は、炭鉱夫の楽しみは映画でした。私は当然、映画の内容は覚えていませんが
帰る道に玩具屋があってそこで両親をてこずらせたことを覚えています。幌内駅は、昭和50年代になくなってしまいました。
帰る道に玩具屋があってそこで両親をてこずらせたことを覚えています。幌内駅は、昭和50年代になくなってしまいました。