ひ~ちゃんも卒業まで間近になってきた。
陸上メンバーの母達で集まって、先生へのお礼の品を考える為に集まって話をしていた。
私は入学時に、知り合いは少なくて同じ幼稚園からの友達3人だけだった。
ひ~ちゃんの事を、みんなどう思うかな?。
親御さんは、どう思うんだろう…。
第一子だから、わからない事だらけの事で不安でしかたなかった。
入学して間もなくにあった、参観後の保護者懇談会の時の自己紹介の時に
「○○××の母です。よろしくお願いします。
それぞれのご家庭で、息子の名前をお子さんから、お聞きかもしれません。
息子には、知的な障害があります。
そのため、意思の疎通は少し難しい事もあります。
相手の話を、理解出来ないので一年のお友達には、何だこの人は?と思う場面が多いと思います。
お母様方に、お願いがあります。
お子さんが、息子の事を話題にした時に
あの子は、障害児だから…とは言わないで欲しいんです。
意味が分からず、障害児という聞き慣れない言葉を心にとめて欲しくないのです。
障害児ではありますが、あの子なりに人に馴染む努力もしています。
お子さんに聞かれた時には
あの子は、お話が苦手なんだよ。
ゆっくり話をしてあげたら?
付き合い方がわからないから、お母さんに聞いてみようか?
その様に、言っ下さいませんか?
現実には、あの子に障害はあります。
だから、障害児と言われてもしょうがない事だとわかっています。けれど、あたたかな言葉で見守って頂いていただけたら…と思います。
あの子が引き起こしたトラブルがあるのでしたら、いつでも言って下さい。きちんと解決するように、親も努力をします。」
そう挨拶をした
あの時は、必死で何を言ったかなんて私自身はあまり覚えてなかったのだが
お母さん達に、ひ~ちゃんのお母さんが、そんな挨拶をしてビックリしたんだよね~家庭で、ひ~ちゃんの話は確かに出てて、答に困ってた時だったんよね。だから、言われたまんまに息子にも言ったんだよね
って話になった。
そうだよね、あの時は必死だったんよね…。
6年間、無事にやってこれた訳ではない。
あちこちに波はあって、凹んでくじけて(つい最近もあったが…)、上がってウキウキしてみたり…だったよね。
波があってやってきた6年間だったけれど、周りの人に支えられてきた6年だったんだな~としみじみ思う。
途中で、転校をしたい、仲良しに入れたい・・・と悩んでいてた時期もあったけれど、同じクラスの男の子達がそれを「それだけは、やめて」と言いに来たこともあった。
4年の時からの陸上のメンバーは、18人。
このメンバー以外にだって、ひ~ちゃんの学校生活を支え続けてくれた友達もいる。
陸上メンバーのお母さんや、お父さん達も同じように見てきてくれた。
たった3人の知り合いが、たくさんの知り合いになれてよかったな。
知り合っただけじゃなく、ひ~ちゃんをひ~ちゃんとして受け入れてくれてよかったな。
記念品の使う写真をみんなで選んでいる時に見た写真のひ~ちゃんは、みんなの真ん中で笑顔だった。
「みんなで写真をとる時に、ひ~ちゃんが、盛り上げてみんなが笑える様にしてくれたのよ。」
みんなの笑顔を見れて嬉しいよ。
ひ~ちゃんの、笑顔が嬉しいよ。
卒業まで、後少し。。
この6年間を、温かく見守ってくてた先生や、他のお母さん達に感謝をしないとね。
陸上メンバーの母達で集まって、先生へのお礼の品を考える為に集まって話をしていた。
私は入学時に、知り合いは少なくて同じ幼稚園からの友達3人だけだった。
ひ~ちゃんの事を、みんなどう思うかな?。
親御さんは、どう思うんだろう…。
第一子だから、わからない事だらけの事で不安でしかたなかった。
入学して間もなくにあった、参観後の保護者懇談会の時の自己紹介の時に
「○○××の母です。よろしくお願いします。
それぞれのご家庭で、息子の名前をお子さんから、お聞きかもしれません。
息子には、知的な障害があります。
そのため、意思の疎通は少し難しい事もあります。
相手の話を、理解出来ないので一年のお友達には、何だこの人は?と思う場面が多いと思います。
お母様方に、お願いがあります。
お子さんが、息子の事を話題にした時に
あの子は、障害児だから…とは言わないで欲しいんです。
意味が分からず、障害児という聞き慣れない言葉を心にとめて欲しくないのです。
障害児ではありますが、あの子なりに人に馴染む努力もしています。
お子さんに聞かれた時には
あの子は、お話が苦手なんだよ。
ゆっくり話をしてあげたら?
付き合い方がわからないから、お母さんに聞いてみようか?
その様に、言っ下さいませんか?
現実には、あの子に障害はあります。
だから、障害児と言われてもしょうがない事だとわかっています。けれど、あたたかな言葉で見守って頂いていただけたら…と思います。
あの子が引き起こしたトラブルがあるのでしたら、いつでも言って下さい。きちんと解決するように、親も努力をします。」
そう挨拶をした
あの時は、必死で何を言ったかなんて私自身はあまり覚えてなかったのだが
お母さん達に、ひ~ちゃんのお母さんが、そんな挨拶をしてビックリしたんだよね~家庭で、ひ~ちゃんの話は確かに出てて、答に困ってた時だったんよね。だから、言われたまんまに息子にも言ったんだよね
って話になった。
そうだよね、あの時は必死だったんよね…。
6年間、無事にやってこれた訳ではない。
あちこちに波はあって、凹んでくじけて(つい最近もあったが…)、上がってウキウキしてみたり…だったよね。
波があってやってきた6年間だったけれど、周りの人に支えられてきた6年だったんだな~としみじみ思う。
途中で、転校をしたい、仲良しに入れたい・・・と悩んでいてた時期もあったけれど、同じクラスの男の子達がそれを「それだけは、やめて」と言いに来たこともあった。
4年の時からの陸上のメンバーは、18人。
このメンバー以外にだって、ひ~ちゃんの学校生活を支え続けてくれた友達もいる。
陸上メンバーのお母さんや、お父さん達も同じように見てきてくれた。
たった3人の知り合いが、たくさんの知り合いになれてよかったな。
知り合っただけじゃなく、ひ~ちゃんをひ~ちゃんとして受け入れてくれてよかったな。
記念品の使う写真をみんなで選んでいる時に見た写真のひ~ちゃんは、みんなの真ん中で笑顔だった。
「みんなで写真をとる時に、ひ~ちゃんが、盛り上げてみんなが笑える様にしてくれたのよ。」
みんなの笑顔を見れて嬉しいよ。
ひ~ちゃんの、笑顔が嬉しいよ。
卒業まで、後少し。。
この6年間を、温かく見守ってくてた先生や、他のお母さん達に感謝をしないとね。
ひ~ちゃんもだけれど、チャーリー君が高校生になるのも衝撃的事実よん♪
N学園を、卒園して幼稚園に行かせる時もオロオロ
でも、この学校に入れて良かったよ。。ッて言えるる6年間だったよ。
今度の学園懇談会の時に、きちんとお礼を言ってくるわ。。
たくさんの人に支えられ、味方が増えていったのは、あややがそれだけやってきたってことなのよ。
それにしても月日の経つのはなんて早いんだろう・・・ひ~ちゃんももう卒業かあ・・・。