山形県 寒河江
我々日本人の国語である日本語には、他国にはない様々な表現或いは形容が可能な言葉使いがある。しかし、造語、流行語が若者の間ではやり、本来の知的、文学的日本語表現は失われつつある。その要因として、歌謡曲が廃れていくように、季節や人情の機微を感じなくなったせいもあると思う。
音楽の世界でも同じで、息つく間もない若者たちのパワフルな歌にはとてもついていけない。団塊世代の私たちが遅れているとは思わないが、年代差は歴史の差でもあり、知識・体験の差があって当然で、言葉使いにも違いがあるのは当たり前かもしれない。
一方、政治経済、文化、スポーツなど、あらゆる分野でグローバル化、国際化が進み、外国語、特に英語を話し話せる人が増えている。今年の新学期から、教科ではないが小学校高学年を対象に、英語の外国語活動が始まる。若者たちの間では、漢字やひらがなより、横文字やカタカナがますます増えていくのかもしれない。
先日のラジオ深夜便で、歌手で俳優のささきいさおさんが、先月ニューヨークのカーネギーホールで英語の歌を日本語で唄ったところ、大喝采だったそうだ。同年代の日本人の来場者が多かったせいもあっただろうが、日本人がアメリカの歌を日本語で唄うことに一抹の不安があったらしく、安堵したことを放送の中で明かしていた。そして日本語の良さを語り、大切にしてほしいと言っていたことにとても共感した。
「言葉」という字は、「ことば」と読んでいたが、何年か前に会社の同期会で、俳句をやっている女性に私のフォト俳句を見せたとき、「言葉」のところを「ことのは」と読むことを教えてくれた。俳句ならではの美しい表現である。「ことのは」という読み方ひとつで、日本の風景をより一層美しく表現できるように思えた。
ことのは習作俳句 みちのくの言葉耳に旅立ちて
亡き母の言葉浮かぶ目に涙
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