ハチの家文学館

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終戦記念日

2009年08月16日 20時06分03秒 | 

戦争は嫌だ
戦争は殺し合い

戦争が生み出すものは
悲しみと憎しみだけだ

戦死した英霊のために
申し訳ないと
一生倹しく生きてきた
老人がいた

その顔に その言葉に
物凄く感動した

何不自由なく
自由気儘に生きてきた
自分が恥ずかしい

物に溢れた身の回り
これから物は引き算で
心は足し算で生きようと思う



今日は戦後64回目の終戦記念日。日本中で戦争の悲劇が様々な形で語り継がれる。
夜のテレビで、アメリカが作った日本映画「硫黄島からの手紙」を観た。硫黄島で圧倒的な兵力のアメリカ軍と死闘を繰り広げた栗林中将指揮による日本軍将兵と、祖国に残された家族らの想いが描かれ、栗林中将たちが家族へと向けた手紙を基に展開される。クリント・イーストウッドが自らメガホンをとり、日本人の日本語によるアメリカ映画として日米でヒットした。日本人の心に沁みる名画である。敗者の側のやむにやまれぬ切羽詰まったシーンは、戦争の惨たらしさを増幅させる。

私は昭和19年生まれだから戦争を知らない。しかし、戦争の爪痕は記憶している。子供のころの遊び場は、防空壕や山の洞穴、艦砲射撃でできた1トン爆弾跡の池だった。戦争で腕や足を失くした人、家も家族もいない乞食、戦争未亡人などもたくさんいた。

小さい頃、五人兄弟の中で育った。家業に忙しい両親に甘えることは許されなかった。だから自分のことは自分でという独立心旺盛な性格が自然と形成されていった。航空基地周辺で鉄屑や真鍮を拾い、すぐそばの川で鰻を獲って売ったり、納豆売りもした。小遣いは自分で稼いだ。

終戦直後は、お金やモノがなくても、親子、兄弟姉妹、隣近所が食べ物などを分け合って、助け合って生きてきた。今のご時世は、飽食の時代、物に溢れたゴミ戦争の時代である。お金の多寡と社会的地位が幸福のバロメーターになってしまった。戦死した英霊たちは、平和を望んでいるだろうけれど、今の日本の現状に心を痛めていることだろう。

                       21/8/15 草稿



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