朝日新聞朝刊の文化・文芸欄に寄稿された、作家小池真理子さんの「夫・藤田宣永の死に寄せて」を読む。
夫婦ともに直木賞作家で、おしどり夫婦と呼ばれるほど仲睦まじいのは知っていたが、37年前に出会い互いに子どもをつくらない選択をして事実婚を続け、婚姻届けを出したのは11年ほど前と知ってちょっと驚いた。
2年前に夫の肺がんが見つかり、昨年秋に再発して今年1月末に亡くなった夫のことを、作家視点と妻の視点で切々と書かれていた。その中で次の文章が強く印象に残った。
亡くなるまでの一年と十か月。彼は「闘病」ではなく「逃病」と称して、一切の仕事に背を向けた。書くことはもう、苦痛でしかない、と何度か私に明かしてきた。堂々と何もしないでいられるのは病気のおかげだ、とも言った。文学も哲学も思想も、もはや自分にとっては無意味なものになった、とまで言いきった時は、聞いているのがつらかった。彼が求めていたのは、死に向かう際の、自身の心の安寧だけだった。(中略)
いつ死んでもいいんだ、昔からそう思ってきた、死ぬのは怖くない、でも、生命体としての自分は、まだ生きたがっている、もう生きられないところまできてしまったのに不思議だ、というのを聞くたびに胸が詰まり、嗚咽がこみあげた。(中略)
不安と怯えだけが、彼を支配していた。無情にも死を受け入れざるを得なくなった彼の絶望と苦悩、死にゆくものの祈りの声は、そのまま私に伝わってきた。(中略)
彼は今、静寂に満ちた宇宙を漂いながら、すべての苦痛から解放され、永遠の安息に身を委ねているのだと思う。それにしても、さびしい、ただ、ただ、さびしくて、言葉が見つからない。
ひとつ屋根の下で過ごしてきた二人の作家の生き様は、凡人の私には到底真似できないことはわかっていても、最後まで互いに語り続けたことの崇高さが胸に響いた。「闘病」ではなく「逃病」と称した表現も共感を覚えたのは私だけだろうか・・・。
今突然、夫婦のどちらかがガン宣告を受けた時に、慌てふためいてウロウロすることのないようにしたいと思うし、生きてるうちにもっともっと夫婦の会話を大切にしたいと感じた。
48年前、亡き妻が余命宣告を告げずにガンと闘っていたときは、唯ひたすら奇跡を信じて毎日病床で時間を過ごしモルヒネで痛みを和らげていた。その時、もし妻が余命を知っていたら夫婦の会話も違っていたかもしれない。しかし、どんな会話になっていたかはもう想像の世界でしかない。
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