
しまいっぱなしの古手紙、その数約200通。懐かしさと家族・友人の温かい励ましや、想いなどにあらためて感動!
一番数が多かったのは母の手紙で、家を出ていた頃の苦悩や寂しさが綴られていた。しかし、運命のいたずらか43年前に前妻が亡くなって私と孫と同居するようになってから、釈迦力がんばって寂しいなどという手紙もないし聞いたこともない。
母の手紙の中に昭和40年9月1日消印の「おわび」というのがあった。私が20歳50年も前のことで、そんな手紙があったなんてすっかり忘れていた。
母の詫び状の内容を要約すると・・・。
今までのお母さんの行動について、子供たちを苦しめてきたことを心からすまないと思っています。過去2年間を振り返ってみると、家にいるときの苦しさと、家出している今と同じ苦しみがついて廻ることがよくわかりました。皆のためにもお母さんが辛抱していれば、つらい思いや肩身の狭い思いをしなかったでしょう。ほんとに悪いお母さんだったと思います。
お母さんの努力が足らなかったわけです許してくださいね。子供たちの将来やいろいろ考えると、働く弾みのないくらいです。生きていくにも大変だと思います。お父さんのお許しがあるまでは、生きていかなければなりません。そして皆と一緒に暮らせる日を待ってます。
この希望が叶えられないときは最後の道を選ぶしかありません。娘のない私にとってどんなに辛いかわかりません。そのうち良いお母さんになったら気持ちよく迎えて下さいね。 母より
子供は五人とも男の子で、従業員三人も含めて母以外全部男という世帯。母にもし娘がいたら随分違ったと思う。今のカミサンも同じことを言っている。
男所帯の中で家業の染色工場手伝いと、炊事洗濯を長男が結婚するまで一人でやってきたから、子育てまで手が回らないのが現実で、私たち五人兄弟は自分のことは自分でやるしかなかった。五人とも早くから自立、結婚も早かった。
母は寅年で気が強いとよく言われていたけれど、私に言わせれば気丈な母という印象が強い。生きているうちにもっともっと親孝行しておけばよかった。このブログに母のことを何度も書いているが、その度に「おふくろゴメン」と心で詫びている。
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