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朝食タイムはNHK-BSにくぎ付け。マッサン人気で巷のウイスキーの売上も大幅アップのようだ。
若かりし頃ウイスキーをロックやハイボールにして飲んでいたことがあったが、ハイニッカとかサントリーレッドの安い酒ばかりであった。三十代四十代になって、オールドパーとかカミュなどの高級酒をも飲むようになったが、五十代からは洋酒を飲むことは殆どなくなった。
今日のマッサンをみていて印象的なシーンがあった。一馬が出征前日に、お父さんに遺書を託して「明日出発してから読んで」と言っていたのを、父親である熊虎が読んでしまうシーンで、私自身思うことがあってグッときてしまった。
遺書の中で、「もし生きて帰って来る事が出来ましたなら、お母さんの思い出を教えて下さい。お父さんが幼いころの事を教えて下さい。お母さんとの出会い、私がこれまで知らなかった事を教えて下さい」というくだりである。
マッサンとは事情が異なるが、43年前の昭和47年、前妻が亡くなってすぐに会社の温情で郷里浜松へ転勤させてもらい、おふくろと息子二人と親子三代の生活を始めたものの、幼い息子たちの母親のいない寂しさは如何ばかりかと、当時から息子に母親のことを話したことはなかった。
子供心に寂しい思いをするだけだと、おふくろが母親の話を息子たちにするたびに私はおふくろを詰った。それ以前は家を出ていたおふくろにそのような態度をとったことなんてなかったのだが・・・。
河島英五の歌で「野風増」というのがある。「お前が二十才になったら思い出話で飲みたいものだ」などと、小さな息子に話しかけるような切ない歌で、1984年(昭和59年)に発表された当時この歌を時々唄っては、息子たちが成人したころに亡き妻のことを話してみたいと思っていた。
亡くなった妻のことを息子に話すようになったのは、数年前に長男が東京で一緒に飲もうと誘ってくれた時が最初で、それ以降も偶にしか触れることはない。私の幼いころの話や亡き妻、亡きおふくろの話をこのブログに時々書き込んでいるので、息子たちが読んでくれているかもしれない。
今のカミサンは亡くなった前妻のことをすごく理解してくれていて、前妻の話がどこで出てもどんな場面でも、我が家のおばあちゃんとして存在感を示し息子やその家族全員に慕われている。
遥か昔の話のことであるが、マツサンの今日のシーンを見ていて、一馬の気持ちと私の息子の気持ちが重なるような気がしたのである。27/3/7
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