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親子は一世、夫婦は二世

2011年04月23日 17時39分48秒 | ハチパパのひとり言

                岩手県角田市 高蔵寺 阿弥陀如来

きのう田中好子さんの悲報に接し、一日で2度目のブログを書いた。最近週1回程度の投稿ペースからすれば異例のことである。しかし、どうしても書きたかった。

年取ってからの死別は残されたものには過酷だ。とくに男は弱い。私たちの年頃になると、夫婦のどちらかが亡くなるという話は時々あることだ。私も前妻を亡くしているが若かった。もう39年も前のことで27歳だった。それも3歳とゼロ歳の息子二人を抱えてのことだったので、「この息子たちを大学出すまではがんぱろう」という一心だったから、酒に逃避しつつもがんばれた。だけどいまカミサンが亡くなったらガックリしちゃって抜け殻のようになってしまうだろうと思う。

「親子は一世、夫婦は二世」という言葉がある。世は仏教における世界の時間区分で、過去・現在・未来を三世といい、現在の一生涯を現世、現世に生まれ出る前の生涯を前世、死後の世界を来世といわれている。ちなみに、仏教の世界では三世仏というのがあって、前世は阿弥陀如来、現世は釈迦如来、来世は弥勒如来となっている。弥勒如来は釈迦入滅(死)の56億7千万年後に、釈迦の弟子としてこの世に出現する仏といわれ、現在は釈迦の命令により兜率天で菩薩として修業しているとされている。

親子は現世限りのものであるが、夫婦の絆は来世までにもつながる深いものであるという。二世を契るという言葉もここから出ているとのこと。この言葉を知るずっと以前から、「最後は親子より夫婦だよ」とよく言っている私、年取ってから死別、離別するのは悲しく寂しいものだと思う。いま家庭裁判所で離婚等の調停をやっているが、定年後に離婚する夫婦も少なくない。悲しいことである。

夫婦は他人、血は水よりも濃いといわれるが、やっぱり最後は夫婦だと思う。核家族化が当たり前になっている現世、子供に頼りたくない気持ちが強い。先のことはわからないが夫婦円満に老後を過ごせるのが一番のしあわせではなかろうか・・・。



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