今月初めに郷里浜松へ行った時のこと、兄と二人で弟夫婦の墓参りを済ませて、そこから5分程度の不動寺というお寺に兄を誘ってお参りした。不動寺というのは、真言宗のお寺で浜松市北部に位置する古刹である。
決して大きくないお寺であるが、本堂の中には小さくとも密教寺院なりの諸仏が安置され、兄も気に入ってくれたようでしばらく佇み合掌していた。
帰りに実家の菩提寺である瑞雲寺というお寺に立ち寄り、いつものように先祖代々の墓参りも済ませる。この寺は臨済宗方広寺派の禅寺で、私も小さい時から馴染みの場所だ。保育園も二つ経営しており、寺の管理運営も安定している。
境内でちょうど住職と話す機会があり、兄が墓地の空きを尋ねたところ3ケ所ほどあるとのことで案内してもらった。そのうちの1ケ所がお地蔵さんの石仏の前で、広々していて脇に桜の古木も2本あり、兄は大いに気に入る。弟の墓参りと不動寺にお参りしたご利益かもしれないと笑みがこぼれていた。
家族にすぐ相談してみるとその場は帰宅したが、家族も賛成してくれて、76歳の兄としては、先祖代々のお墓と同じ瑞雲寺に決めたことで安堵していた。勿論墓所の確保だけで墓を建てるのは自分が逝ってからのことである。
お墓について、今の人たちは要らないという人も多い。核家族化が著しく、少子高齢化に伴い、墓を建てても先々のことを考えると躊躇せざるを得ない気持ちもわかる。
わが家の場合、御殿場の富士霊園にお墓があるが、今の自宅から車で2時間はかかる。今のところ息子もよくお参りに行ってくれているが、その先はどうなるかわからない。
家もお墓も固定観念を持たずに柔軟な対応を考えでいるが、自分が亡くなったあとは、その時その時の家族が判断するしかない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます