NHKラジオ深夜便「明日へのことば」・・・元沖縄大学学長・ノンフィクション作家野本三吉氏のお話。
ネットで調べたら、野本三吉氏は1941年生まれの73歳、横浜国大卒業、父親の夢であった小学校の教師をやめ、北海道の牧場をはじめ全国の共同体の中で生きることの意味を模索。日本の教育学者・評論家、ノンフィクション作家。横浜市立大学名誉教授、沖縄大学学長などを歴任。本名・加藤彰彦。
ふと眼を覚ました時間が朝4時、ラジオ深夜便「明日へのことば」から、横浜寿町に住んでいたことや、「生きてると言うことは、個人ではなく関係で生きてるということ」という言い回しに興味が湧いて聴き入る。
大阪釜ヶ崎、東京山谷と並び称される横浜寿町に、自ら人間の生き方を探りたくて住む。そこでは年の若い自分を見て 子供や弟のように面倒を見てくれたこと、社会から偏見で見られているのに自分にはいろいろしてくれることに感動して、飛鳥田横浜市長当時に寿生活館の職員募集に応募して市の職員となり、寿町の生活相談を始める。
嬉しいこと、悲しいこと、話を聞いているとみんな夢を話すようになる。医者が町にきてくれるといいなと飛鳥田市長に頼んだらきてくれた、銀行のATMも出来た。
また、食べ物がなくなったとき、横浜中華街の残飯をもらいに行ったら、中華街の人がお客さんの食べ残しをきれいにして、寿町の人に分け与えてくれた話など聴いていて、初めて野本さんを知り、野本さんの凄さを知った。
その当時野本さんはまだ結婚していなかったこともあって、これまで全国を冒険するように共同体の中で様々な体験をしてきた。横浜寿町にいたとき、路上生活者を浮浪者として若者がリンチで殺した事件があった。
この事件をきっかけに、寿町から児童相談所のソーシャルワーカーとして勤務するようになる。社会から排除されてしまっているような子供が、社会との関係を取り戻せるようにしなくてはという思いがあったようである。
ものすごく純粋な方で、いろいろな人の話を聞きながら受け止め、自分が感じたことで必要だと思うことを行動に移す精力的な人という人物評で知られているようだ。また、庶民的な生き方をされてきた方で、父親の夢だった小学校教師をやめたのも、成績評価がいたたまれなかったためという。
著書も多数で読ませてもらったことはないが、近いうちに書店で買い求めて一冊は読ませてもらおうと思っている。特に、横浜寿町に住んでいた頃のことを書かれた風の自叙伝―横浜・寿町の日雇労働者たち (野本三吉ノンフィクション選集) 単行本は是非読んでみたい。
いま私は同じ寿町の家庭裁判所に勤めていて、今の寿町の人たちをすれ違いながら見かけることがよくある。勤めはじめの頃、町全体を散策したことがあったが、正直興味本位の気持ちもあった。今は家庭、家族問題の調停という仕事をしていることもあり、寿町にひっそりと暮らしている人のことを野本さんのような真摯な眼で見つめ、理解したいと思っている。
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