5月20日の朝日新聞朝刊社会面に、「居場所も仲間も奪われた」と白抜きのタイトル。全焼した「吉田屋」を焼け出された人たちの生い立ち、今の思いなどが報道されていた。
元潜水士はアルコールの過剰摂取で体を壊し、潜れなくなった。生活保護を受けるため「吉田屋」に6年前流れ着いた。直後に母を亡くし、家族との連絡も途絶えた。
なぜか「吉田屋」に足が向く。「やっぱ、居心地がよかったんだろうな」。「これからどうする?」。「新しい宿はどう?」。何気ない会話が続く。まだ身の振り方は決まってない。
「これからは、ここで細々と生きようと思います」。「吉田屋に泊まっていたのは変わった人が多かったが、ウソをつかないからみんな信頼できた」などなど。
19日付朝日新聞にこう書かれていた。『横浜・寿町周辺の簡宿も高齢化が進む。横浜市によると、124軒6300人が宿泊。半数が高齢者という。建物は建て替えが進み、10階前後のビルが軒を連ねる。半数以上はエレベーターを備え、車いすの持ち込みも可能という。』
様々な事情を抱えた人が集まる簡易宿泊所。昨日、同じ寿町にある家裁の仕事を終えて、新聞記事の簡宿のある通りを歩いてみた。確かに高齢者が多い。家で野本三吉氏著「風の自叙伝・・・横浜・寿町の日雇い労働者たちを思い出す」の一部を再び読み返す。
野本三吉氏著風の自叙伝・・・横浜・寿町の日雇い労働者たちhttp://blog.goo.ne.jp/goo3595628/e/426a57031ff246a4b2662c9a0b462899
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