宮崎県延岡市 今山弘法大師像(高さ日本一17m)
町の老人会でいつもの童謡・唱歌を唄っていたら、眼に涙が滲んでなぜか九州延岡のH姉さんの顔が浮かんだ。カミサンの一番上の姉で5日に亡くなったばかり。
今日の夕方、カミサンがやっと帰ってくる。先月来、姉さんの入院先介護で都城のシティホテルに泊まりながら、カミサンはよく頑張った。姉さんがとても喜んでくれたようだ。
今月初め姉さんの容態が落ち着いて、予約していた乳がん検診のため横浜に帰り、検査結果が異常なしでホッとしたのも束の間、容態が急変してまたもや九州へ飛び立った。
しかしながら、家族の介護も空しく、息子や娘、弟妹に看取られて逝ってしまった。電話口の向こうで泣きじゃくるカミサンの声に、涙を抑えきれなかった。H姉さんはこちらにもよく来ていただいた人で、カミサンと私と一緒に温泉旅行などにもよく行った。私と同い年の71歳、まだまだ逝くには早かった。気さくでとても優しい人だった。
亡くなる前、私の名前も呼んだらしく携帯電話で話したが、か細い声でがんの痛みに必死に耐えているような気がした。痛み止めのモルヒネを足の先までうっていたことを聞き、27才で原発性肝臓がんで亡くなった前妻も、モルヒネをうつところがないくらいだったことを思い出した。家族は覚悟していたようだが、いざ亡くなると辛く悲しい。
通夜、告別式は、H姉さんが私の都合に合わせてくれたように土曜日曜となり、すぐに私も羽田から飛び立った。延岡はカミサンの故郷であるが、私としては11年前にカミサンとハチと一緒に廻った3週間5千キロの九州クルマ旅以来の訪問だった。
帰宅当日、カミサンの実家の墓参りを済ませ、特急列車の時間まで今山大師にお詣りした。本堂でH姉さんの供養にとお経を唱えさせてもらった。浄土でお母さんが待っているだろうと思った。
いのち 生命
はかないというだけでは
語りつくせない
死はいつか
必ずやって来る
何人と言えども
避けては通れない
死を恐れるなと言われても
死ぬのは怖いものだ
因縁生起 因果応報
死後の世界を信じて
善行善徳
今日を明日を
生きてるうちに
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