一週間前の4月5日、現代日本を代表する詩人大岡信さんが亡くなった。86歳。奥さんは劇作家の深瀬サキ(本名・大岡かね子)さん。
ネットで調べたら、大岡信さんは私と同じ静岡県出身。旧制沼津中(現沼津東高)在学中から短歌や詩を書き始め、旧制一高、東大国文科では、フランス詩や新古今和歌集の影響を受け、本格的な詩作を開始したとある。
また、大学卒業後、読売新聞外報部記者の傍ら旺盛な創作を進め、川崎洋、茨木のり子らの詩誌「櫂(かい)」に参加。56年に飯島耕一らと「シュルレアリスム研究会」を結成、59年には清岡卓行、吉岡実らを加えて詩誌「鰐(わに)」を創刊した。63年に新聞社を退社後は明治大、東京芸術大などで教えながら、幅広い文筆活動を展開。「記憶と現在」「透視図法-夏のための」「春 少女に」など清新な実験精神に富む詩集、「紀貫之」「うたげと孤心」など日本の古典に根ざした斬新な評論を次々と発表し、詩壇をリードしたとも書かれていた。
経歴からしても現代詩人の第一人者であり、詩作を続ける私にとっては、雲の上のそのまた上の天上人のような方である。詩は心の歌である。そういう意味でも大岡信さんはまさに歌人でもある。
それから、朝日新聞に1979年から2007年にかけて連載されたコラム「折々のうた」はつとに有名で、朝日新聞を40年以上購読している私もよく読ませてもらった。
大岡信さんは、『記憶と現在』をはじめ、これまでに26冊の詩集を出版している。
「春 少女に」
ごらん 火を腹にためて山が歓喜のうなりをあげ
数億のドラムをどっととたたくとき 人は蒼ざめ逃げまどふ
でも知っておきたまへ 春の齢の頂きにきみを押しあげる力こそ
氾濫する秋の川を動かして人の堤をうち砕く力なのだ
蟻地獄 髪切虫の卵どもを春まで地下で眠らせる力が
細いくだのてっぺんに秋の果実を押しあげるのだ
ぼくは西の古い都で噴水をいくつもめぐり
ドームの下で見た 神聖な名にかざられた人々の姿
迫害と殺戮のながいながい血の夜のあとで
聖なる名の人々はしんかんと大いなる無に帰してゐた
それでも壁に絵はあった 聖別された苦しみのかたみとして
大なるものは苦もなく小でありうると誇るかのやうに
ぼくは殉教できるほど まっすぐつましく生きてゐない
ひえびえとする臓腑の冬によみがへるのはそのこと
火を腹にためて人が憎悪のうなりをあげ
数個の火玉をうちあげただけで 蒼ざめるだらう ぼくは
でもきみは知ってゐてくれ 秋の川を動かして人の堤をうち砕く力こそ
春の齢の頂きにきみを置いた力なのだ
(大岡信詩集 『捧げるうた 50篇』 より)
ある人の解説
最初、この詩は大岡信が若かった頃、好きな女性のために書いた詩だと思った。しかし、『捧げるうた 50篇』 のあとがきに、大岡信はこう書いている。「 『春 少女に』 は娘が高校に進む直前の1978年1月10日付朝日新聞夕刊に寄稿した。彼女が中学から高校に移る年頃(15歳)であることを念頭に置いてこれを作った。」若い人のたくましい生命力。それを信じてまっすぐな思いを娘に託す父親。
今、詩人として食べていけるのは大岡信と谷川俊太郎くらいなものだろう。二人とも詩の世界だけでなく、あらゆる言葉のジャンルで活躍している。私はどちらも好きだ。大岡信には谷川俊太郎のような派手さはない。しかし、いぶし銀のような落ち着いた光沢があり、深い知性が漂う。谷川俊太郎の詩を直感的だとすれば、大岡信の詩はまことにアカデミックであり、理性的だ。
感性の赴くままに詩を書く私は、谷川俊太郎さんの詩をよく読んだが、大岡信さんの詩をもう少し読んでみようと思う。
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