ハチの家文学館

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生かされて

2013年06月25日 04時55分14秒 | ハチパパのひとり言

                   福岡県前原市雷山 大悲王院 千手観音

 

まさかの入院手術。危ないところで助けられた。担当医師からは「あなたは運がよかったんだよ」と言われた。み仏に救われた思いがした。

5月18日から約2週間、毎日ではないが顎から頸部につーんとするような、一時的な軽い痛みを感じていた。その間、生活に支障をきたすようなこともなかったし、仕事もいつもどおりこなしていた。

1年半ほど前に、すぐ近くのK総合病院で心臓と頸動脈のエコー検査をしたとき、頸動脈に脂が溜まっているよなどと言われたこともあり、なんとなく気になって、脳梗塞や心筋梗塞などの緊急時に、どの病院がいいのかネットで調べていた。

カミサンの助言もあり、自宅から車で15分程度の独立行政法人国立病院機構横浜医療センター(旧国立横浜病院)に、かかりつけ医院の紹介状を手にして5月31日バイクで行ったところ、、「不安定狭心症」の診断がなされ即刻入院、3時間後にはカテーテルによる検査と手術が行われた。勿論のこと仕事に出かけたばかりのカミサンに電話連絡、急遽帰宅して車で駆けつけてもらった。

数十年続いている日記代わりのスケジュール手帳に加え、昨年から始めた健康手帳なるものに、日々の体調の変化も書いていたので、いつ、どこで、どんな時、どんな症状が、どのくらいの時間あったかなど記録していたことが役に立った。 

受診の前日、最近の症状や既往歴、服薬中の薬などを1枚の紙表裏に記載した書面をパソコンで作成しておいた。この書面をもとに行われた問診の段階で、外来の医師から「狭心症の疑いが高い」と告げられたのである。診察室を出たときは車椅子が待っていて、ピンピンしているのに歩いてはいけないとまで言われた。この時は「エッ!何なの!」という感覚しかなかった。

胸部レントゲンと心電図の検査のあと、すぐに6階の循環器集中治療室CCUのベッドに寝かされ、採血などを行うと同時にカテーテル検査の準備が進められた。腕からカテーテルを入れるが、入らない場合も想定して、鼠径からも入れられるよう陰毛の除毛も行われた。若い女性看護師が、「剃りまーす」の掛け声と同時に、事務的に電気カミソリを充てている間、年甲斐もなく恥ずかしい気がしたが、まな板の鯉である。

右腕の手首に麻酔注射の強い痛みがあったほかは、カテーテルが心臓に入っている感覚もなく、周囲のすべての声、音が耳に入ってくる。正直なところ、急なことだったので、最初の2~30分は体が震える思いもしたが、カミサンや息子、嫁さん、孫やハチたちの顔が浮かんでくるし、亡くなった前妻やおふくろの顔まで思い出していた。

もしものことも考えると遺言を書いておけばよかったなどということも頭を過ぎった。3週間前に地元の老人会で遺産相続の講演を頼まれ、「遺言」をテーマにしてお年寄りに書いておくことを勧めたばかりであった。しかし、もうなるようにしかならないのである。ただ一心に普段唱えているご真言を繰り返していた。

オンアビラウンケンバザラダトバン(大日如来)                                                                          ナウマクサマンダバザラダンセンダマカロシャダウンタラタカンマン(不動明王)                                                      南無大師遍照金剛(弘法大師)                                                                                     オンカカカビサンマエイソワカ(地蔵菩薩)                                                                                オンコロコロセンダリマトオギソワカ(薬師如来)

病院のすぐ近くにある聖母の園教会のマリア像を思い出しながらルルドの奇跡を信じて祈りもした。奇しくもこの病院は、41年前幼い二人の息子を残して亡くなった前妻が、原発性肝臓がんで余命1ヶ月の宣告を受けたところである。病室で待つ妻のところへ涙顔では行かれず、顔を洗って気持ちを落ち着かせて以降、毎日通った苦い思い出の病院である。3年前に全面的に建替えられ、きれいになって当時の面影は全くないが、27歳で逝った前妻の顔が思い出され、同じ病院で手術を受けているのも何かの因縁かもしれない。

検査と手術は2時間で終えた。廊下に出た時カミサンと向かい合ってお互いにっこりホッとした。家族に心配かけたことを詫びる思いであった。家ではハチがウンチまみれになるなど孤軍フン闘しているカミサンが大活躍で、またもやカミサンのいるありがたさを実感。また、翌日の土日に名古屋や茨城に住む息子たち家族が見舞いに駆けつけてくれた。病室に入れない孫の顔をベッドから眺めて、手を振りながらありがとうの合図をした。家族っていいなと改めて思った。

検査の結果は、冠動脈の枝分かれした部分4ヶ所の血管が狭くなっていて、まずは最も狭い2ヶ所にステントを挿入して血管を広げたのである。そして3週間後の今月21日予定通りさらに2ヶ所にステントを挿入した。いす゜れも3泊4日程度の入院で済ますことが出来て、1回目は慎重であったが術後すぐに歩いていいほどカテーテル手術は体への負担が軽かったのは幸いであった。

もう1ヶ所太い冠動脈の一部に狭窄が見られ、現時点では血流状況に問題がないと判断されているが、来年1月にカテーテル検査を施し、状況によっては再手術となるが当面心配はないとのことで安堵した。

68歳の今まで、血液検査で中性脂肪とコレストロールが高いと言われたことは一度もないし、高血圧の薬は十数年飲んでいるものの正常値にコントロールされている。食後血糖値も120くらいで推移、1年半前に年だから飲んどいたほうがいいとかかりつけの医師に勧められた薬を飲んではいる。

動脈硬化の程度を測る検査でも、動脈の固さは60代後半と出ており、動脈の詰まりも正常となっていた。主治医の話では、原因は特定できないが長年の間に脂肪やコレストロールが血管にへばりついてしまったためだろうとのこと。ここ1~2年くらいは脂っこいものは避けて注意はしていたものの、時すでに遅し、量は少ないものの50年も酒を飲み、腹一杯食べて運動もせずにいたら病気になるのは当たり前だったのである。

2度目の入院の夕刻、夫婦で管理栄養士の食事指導を受けた。焼酎1合で320キロカロリーもあること、配達してもらっているヤクルトの小さなカップ一つに、コーヒーによくついてくる砂糖のスティックが、3本半分も入っていると聞かされ夫婦で驚いた。

驚いたと言えば、最初の退院時の会計を見て個人負担額54万円にも驚く。3割負担だから医療費等の合計は約180万円になる。しかし、命を預かる心臓の手術であることを思えば至極当然かもしれない。高額医療費補助の制度があり、退院の日の帰宅途中で区役所に立ち寄り、高額医療費の認定証を発行してもらった。これにより実際の負担額は月額10万円程度で済む。国民健康保険料の高さをかねがね嘆いていたが、保険のありがたみを痛感している。

病院食は物足りなかったが、毎食ポケットカメラに撮影してあり、カミサンとも話し合って食事療法を真剣に考えていこうと思っている。今からでも遅くない。心臓という臓器はタフである。脂肪とコレストロールをできるだけ貯めないよう、適切な食事と適度の運動が求められる。

入院していた横浜医療センターは、医師、看護師、薬剤師などの方々が親切丁寧で、パソコンやミーティングで患者の情報を共有しながら的確な診断と手術、処置が行われていると感じた。主治医もスタッフも若い人が多かったが、いい病院を選んでよかったと心から感謝している。

退院の翌日から仕事に行っているが、家族問題の調整はやり甲斐があり、ストレスになることはなく穏やかな気持ちでやっている。これからも無理せず、適度の緊張感を保ちながら続けたいと思う。また、ライフワークにしている仏像写真も、心の安らぎとしてコツコツ続けていきたい。

病院で77歳の男性Sさんと親しく話ができた。60歳で心筋梗塞、心臓の一部組織が壊死していたが、70歳まで仕事して無理が祟ったのか再発したらしい。病気のこと、家族のこと、人生のことなどなど、時には早朝デイルームでおしゃべりさせていただいた。同病相哀れむではないが、病気になって入院したりすると誰かとおしゃべりしたくなる。いい方に出会った。

ベッドで何冊か本を読んだ。尊敬する仏師で京都愛宕念仏寺住職だった故西村公朝さんの「仏像の声」など仏教関係の本も何冊か読み返した。全国行脚もして仏像写真を数多く手掛け、坂東、西国、秩父、四国などの観音霊場巡りもしてきたが、今度のことも大事に至る前に処置がなされ、運というよりみ仏に導かれていたように思えてならない。生きているというより生かされている思いである。

 

 

 

 



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