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ハチの家文学館

ハチの家写真館(http://hachinoie.exblog.jp/)の文芸版

半沢直樹

2013年08月18日 05時14分38秒 | ハチパパのひとり言

先日、小学校6年生の孫娘から電話がかかってきて、「おじいちゃん半沢直樹みてる?」ときた。私が元銀行員だったから見てると思ったらしいが、残念ながら「みてなーい」とそっけない返事をしてしまった。

TBS夜9時日曜劇場「半沢直樹」のことで、高視聴率をあげている人気番組らしい。原作は元銀行員の作家池井戸潤の、「オレたちバブル入行組」と「オレたち花のバブル組」。池井戸さんの業界内幕モノは、実際に銀行に勤めていたから、専門用語や銀行の仕組みなどリアリティーがあり、登場人物の「優秀さ」と「しぶとさ」が池井戸作品の魅力となっているようだ。

第一話は、銀行支店の融資課長半沢直樹が、融資直後の倒産による焦付き債権5億円の回収に燃える物語。責任を押し付けられ、銀行内外の妨害勢力と闘いながら、「やられたらやり返す。倍返しだ!」などと、堺雅人扮する半沢直樹の快刀乱麻ぶりが好評で、銀行内部の争いや国税庁、融資先企業などとの攻防も、視聴者の興味を引き付けるドラマのようだ。

私も定年まで銀行に勤めていて、おカネに纏わる様々な人間ドラマ、事件、事故に遭遇することがあった。特に、海外を含む社内外の事件・事故の調査報告を取り扱う、検査部特別検査チーム発足当時のメンバーだった頃は、銀行内部でもごく一部しか知らない事件も手がけてきた。融資に関わるものを手がけたこともあるが、ドラマ半沢直樹のような事案は経験していない。しかし、あり得ることだと思う。

銀行員というのは、当然ながら守秘義務というのがある。私の場合、長年勤めた銀行のことは忘れることにして、「仕事の話と女の話は墓場へ持っていく」信条に変わりはない。人間というのは、業欲の塊のようなものが心底深く渦巻いている生き物で、仏教でいう無明の生き物である。利他を蔑にして、際限なく自利・私欲に走るどうしようもない動物でもある。

ハチの家文学館に仕事の話を書くことは殆どなかったが、自身の生き様という意味も含めて書いてみたいことがある。公庫融資を含む住宅ローンや、カードローンの債権管理の統括をしていた頃、偶々部下の代わりに電話を受けたカードローンのお客様で、わずか3万円余りの返済を先延ばししてあげられなかったことである。

銀行は、大企業に対する数百億円から数千億円もの債権を、放棄或いは免除することがあるのに、わずか3万円を猶予してあげられないのかと、その理不尽に甚だ悔しい思いをしたことがある。しかしながら、大企業が倒産したら何千何万の社員が職を失うし、その家族を入れたら数千数万人が路頭に迷うということもあり得るわけで、比較すること自体無理があるのは十分承知の上でのことである。

電話してきたのは子供と思しき声の持ち主。電話の後ろで聾唖のお母さんが、手話声で息子に指示しているのがまる聞こえで、「8日に障害年金が入って来るので、待ってほしい」という。あとでおばあちゃんに代わったところで「お孫さん今日は学校では?」と訊ねてみたら、この日のために休ませたという。途端にやりきれない気持ちで眼がうるうるしてきたのを覚えている。

こんな気持ちは銀行員になって初めてだった。お客様が言う日にもしも入金がなかった場合、銀行は保証会社から回収できない。待ってあげたいけれど、保証会社との契約で、その前の5日までにご入金いただけないといけない旨説得せざるを得なかった。

債権管理の仕事は、謂わば借金取りである。お客様の大事なおカネで融資しているのだから、回収出来ないと困るのは至極当然ではある。プロパーの個人融資は、殆どが保証会社保証になっているので、形の上では銀行にリスクはない。保証会社が損害賠償請求権(略して求償権)を担保するために抵当権設定をするのが一般的で、保証会社が競売にかけたり、任意売却を仕掛けて債権回収に走る。

ちなみに、当時の住宅金融公庫融資については、銀行が代理店として回収業務もしており、延滞が6ヶ月以上に及ぶと期限まで借りていられる権利(期限の利益)を失う。そうなると全額繰上償還請求の内容証明郵便を送ったり、保証協会の競売手続きまで代行する。債務者の中には、自殺する人もいて、因果な商売をしていることに嫌気がさすこともあった。当時のデータだが、死亡した場合の借入金残高全額を、保険で返済できる団体信用生命保険支払の15%は、何と自殺によるものであった。

こんな気持ちが続いたときに、ふとお寺参りをして気持ちが安らいだことも事実で、祈りの情景や信仰のかたちを更に追い求めるようになったのかもしれない。仏像写真展で何度かマスコミの取材を受けているが、必ずといっていいほど聞かれる「仏像写真を撮り始めた理由」の一つとして、このやりきれない気持ちがキッカケになったなどと、新聞等に書かれたこともある。

ついでに仏像写真を撮らせていただいている理由を書いておくと、仏教との出会いが前妻を早くに亡くしたときで、仏像にも関心を持ち始めたこと、夫婦互いの亡き母の供養を兼ねた全国行脚や、巡礼の旅の中で、般若心経とご真言を唱えさせていただいたみ仏の姿を、行動の証として記録しておきたいこと、また、一人でも多くの人に、地方の名もないみ仏の姿を見ていただきたいという願いも込められている。理由というより、波乱の我が人生の拠り所として、み仏の放つ慈悲の心を撮り続けているのかもしれない。「み仏の慈しみと悲しみと」が私の仏像写真展や仏像写真集のタイトルになっている。

サラリーマンとしての私は、父子家庭20年という家庭の事情からとっくに出世を諦め、年2回の定期人事異動の前に、支店長から「今度どうする?」と迫られても、頑なに転勤拒否をしてきた。長男が大学に推薦入学を決めたときに初めてOKしたら、直後の定期異動で横浜支店に転勤となった。このとき、既に買ってあった今の自宅を建替えた。

地元で2度目の勤めとはいえ、同じ銀行支店に通算20年もいたというと、誰もが怪訝な顔をする。しかし、その間7回にわたる店内の異動で、預金信託、企業融資、個人ローン、内国為替、外国為替、証券代行、企業年金、総務人事など、銀行の様々な業務を経験できたのは大きい。しかも20代のうちに、宅地建物取引主任者や衛生管理者などの資格も取得、また、支店で採用を担当していたときに、クレペリン精神検査の性格特性判定資格も取得した。クレペリン検査の判定は浜松在勤当時、看護学校の入学試験で毎年100人以上の判定をしていたこともあり、今でも自信のある資格である。

個人法人を問わず、様々なお客様と出会い、銀行の信用力、資金力、企画力、運用力などをバックに、銀行員として地元のために長い間仕事をさせてもらった。また、母や地域の人たちのおかげで、父子家庭のハンデを背負いつつも、息子たちをそれなりに育てることができたことは、実に幸せなことであった。

余談になるが、検査部門にいた当時、国内すべての支店に臨店した。月曜日に飛行機か新幹線で現地に飛び、金曜日に自宅に帰る生活を4年ほどやってきた。郷里の支店で定年までの半分以上を過ごした自分としては、短期滞在ではあるものの、支店のある街を知ることもできたし、夜は地酒を嗜み、地料理に舌鼓をうって、地元の人との会話を楽しむこともできた。これも幸運と言えるかもしれない。

管理職に身を置きつつも、ドラマのような出世競争に見向きもせず、業務経験の豊富さを生かして、思いっきり仕事に専念できた自分には、ドラマ半沢直樹は小説の世界のことにしか思えてならない。



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