寂聴さんのエッセー40「老いのケジメ」を読む。毎月1回第2木曜日に、朝日新聞朝刊の文化・芸術欄に掲載されているもので、いつも興味深く読んでいる。
作家としても有名な瀬戸内寂聴さんは御年97歳。まさかこんなに長生きするとは思ってもみなかった、身体の衰えはひどく、毎日口癖のように死んだ方がましとつぶやいていると書かれているが、2度の食事はけろりと平らげて、当分死にそうもないなどとおっしゃる。
得度して46年にもなる寂聴さんだが、あの世へのキップがまだいただけないのは、出家したぐらいでは許されない悪徳の数々を、私が積んでいるからであろうと自虐的に語られているところがおもしろい。
また、この年齢になれば今死んでも不思議はないので、近頃、急にせかせかと、この世への「ケジメ」をつけ始めているという。読み返したら、ろくでもないことばかり書いている旧い日記や、大切そうにとってあった昔々の恋文とやらも、みんな焼いてしまうという。
著名な寂聴さんのことは誰もが知りたいのが人情で、いくら「ケジメ」をつけると言っても焼かないで残してほしいと思うが、凡人の私などの日記や手紙などは誰も読みたくもないし見たくもない。
恋文もどきの手紙やノート日記はとうに処分してあるが、50年も前から使い続けている手帳は残っている。写真の撮影場所などを特定するのに便利だし、家族の営みもわかっていい。
内容的にはろくでもないことばかり書いているが、父親の手帳なんぞ、死んでしまえば家族も読まないだろうとタカをくくっている部分もある。恥ずかしいことだって書いてあるかもしれないが、今更カッコつけても仕方ない。そんな根性だから「老いのケジメ」をつけられるはずがないと自嘲している。
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