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被爆マリア
かつて東洋一といわれていた長崎浦上天主堂の聖母マリア像は、爆心地から500メートルの至近距離にあった。
ラジオ深夜便11月号【明日へのことば】浦上の丘に登れば 濱田龍郎を読む。
1945(昭和20)年8月9日、長崎に原子爆弾が落とされました。爆心地にほど近い浦上(うらかみ)天主堂も壊滅的な被害を受けましたが、戦後再建された天主堂の姿からは、被爆の事実をうかがい知ることはできません。鹿児島県種子島出身の詩人、濱田龍郎さん(66歳)が被爆の傷跡をさらす浦上天主堂の写真に出会ったのは、1967年のことでした。「被爆の遺跡として、なぜ浦上天主堂を残さなかったのか」とショックを受けた濱田さんは、撮影者の池松経興(つねおき)さん(1990年没)に会い、写真一枚一枚に詩をつけ、「詩と写真展」として各地で展示するようになります。もしも被爆した浦上天主堂が解体・新築されずに残っていたら・・・この凄まじい記録を残した建物は「世界遺産」間違いなかった。爆風で吹き飛ばされて、粉々に壊れた「被爆マリア像」をみた世界中のキリスト教徒の衝撃は計り知れない。
写真詩集 「浦上の丘に登れば」より
ふみしめて歩くなよ
ふみしめて歩くなよ・・・ この街をこの土を きのこ雲立ちのぼる 焼け跡にたたずんで ふるえていた寒い夏
ふみしめて歩くなよ・・・ この街をこの土を なみだ声かれ果てて 子をさがす親達の まなかいにあつい風
ふみしめて歩くなよ・・・ この街をこの土を しかばねは足の下 うずもれて土になり ふみかためて石になり
ふみしめて歩くなよ・・・ この街をこの土を
写真だけみてこれだけの詩が書ける濱田さんの感性にとにかく驚きました。もともと濱田さんはサラリーマン詩人だったそうです。長崎へ転勤したときに池松さんの写真を新聞で見つけ、新聞社を介して池松さんに写真を貸してもらい詩をつけたそうですが、ふとしたきっかけで行動を起こし、後世に残す作品を生み出した情熱にただただ敬服するばかりです。
私も仏像写真や風景写真に俳句や詩をつけて本を作っていますが、濱田さんの記事はとても参考になりました。これからも「信仰のかたち」「祈りの情景」という生涯テーマの思いを込めて、手足の動く限り創作活動を続けていきたいと思っています。
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