4月6日の朝日新聞朝刊記事を見て、ニコンカメラの凋落を感ずる。最後に残っていたプロ向けの機種「D6」の宮城県での生産を、主力のタイ工場に移管する。関連部品や交換レンズの国内生産は続けるようだが、1948年以来続いてきた本体の国内生産は幕を閉じる。
デジタルカメラの市場は近年減りつづけ、とくに一眼レフの落ち込みが激しい。中でもニコンはミラーレスへの対応が遅れ、2020年のデジタルカメラの国内シェアは、BCNの調査ではキャノンが1位(36.8%)、2位がソニー(19.5%)、3位がニコン(12.6%)となっている。また、近年はスマートフォンの搭載カメラの性能が劇的によくなって、あえてカメラを持ち歩く必要がなくなったことも大きいと報じていた。
カメラの話を少ししよう。私の写歴ならぬカメラ歴は60年を超える。いろいろなカメラを集めることが好きで、カメラは私の人生の貴重な体験ツールであった。高校生時代から興味があり、最初に手にしたのは昭和35年(1960)発売のヤシカミニスターで、その次に買ったのがハーフサイズのオリンパスペン。36枚撮りフィルムで72枚も撮影できた。高校を卒業してすぐに銀行へ就職、お金を貯めて一眼レフなどを買い揃えていった。
最初に買った一眼レフは、「世界のベストセラー」がキャッチフレーズのアサヒペンタックスSPである。交換レンズはスクリューマウントで、17ミリF4の魚眼レンズ、28ミリF3.5、50ミリF1.4の明るい標準レンズ、更に105ミリF2.8と135ミリF3.5の中望遠レンズを買い足していった。ボディはSLブラックもある。これらは今でもドライボックスのおかげで保存状態はすこぶるいい。
その後はニコンを中心にキャノン、ミノルタ、オリンパス、コンタックスなど、各メーカーのカメラ・レンズを買い揃え、一時はバカチョンも含めて、20を超えるボデーとレンズが3台の防湿庫に収められていた。今では珍しい二眼レフや中判カメラも骨董品的に持っている。
デジタル時代になってからは、フィルム時代からのレンズが使えるニコンに集中して使い込んでいた。仏像写真家として全国行脚したときも、デジタルのニコンが大活躍した。最後に買ったのはニコンD800で今では息子が使っている。
これまで自由気ままにカメラ人生を歩んでこられたのは、家族のおかげであり、健康と安定した収入のおかげだと思っている。それより何よりカメラをこよなく愛してきたからと言えよう。カメラのおかげで国内外を飛び回り、美しい風景や様々な風俗、人間模様に巡り合えた。
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