ノーベル賞受賞者の影の功労者である浜松ホトニクス創業者で名誉会長の晝馬輝夫氏が亡くなったと朝日新聞訃報記事で知った。91歳だった。
晝馬輝夫さんの奥様が私の父方の親戚であったことから、浜松在住時にご自宅にうかがったことを思い出す。広いお家で浜松の名所佐鳴湖が見渡せる風呂場がすてきだった。
1926年に浜松市に生まれ、1947年に浜松工業専門学校(今の静岡大工学部)を卒業。1953年、「テレビの父」といわれる高柳健次郎博士の教え子らと前身の会社浜松テレビを設立。長年その前身会社と浜松ホトニクスの社長を務めた。
世界的な光関連機器メーカー浜松ホトニクスは、光電子増倍管で世界トップの評価がなされ、2002年の小柴昌俊さんのノーベル物理学賞受賞に関しては、赤字を出しながら観測施設スーパーカミオカンデの重要部品を制作、ニュートリノの観測に貢献した。
また、2015年の梶田隆章さんのノーベル物理学賞に関しては、スーバーカミオカンデの実験にも使われた。晝馬輝夫氏はノーベル賞受賞の「陰の功労者」と言われる所以である。
浜松はやらまいか精神と言うのがあって、世界的に有名な技術者を輩出している。楽器のヤマハ・河合楽器、オートバイのヤマハ・スズキ・ホンダの創業者はとくに有名だ。スズキ・ホンダは自動車メーカーとしても世界を相手に躍進している。
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