奈良 壺阪寺 千手観音菩薩
慈悲とは?
梵語のマイトレーヤ、カルナーの訳。マイトレーヤは、マイトラ(友)という語から作られた抽象名詞で、最高の友情というべきもの。特定の人にだけではなく、すべての人々に友情を持つことがである。
カルナーの原意は、人生苦に呻き声をあげることである。人生の痛苦に呻き嘆いたことのある者のみが、苦しみ悩んでいる者を理解でき、その苦しみに同感し、その苦しみを癒すことができる。その同苦の思いやりをと呼ぶ。
神の恩寵のように高きから低きに向かうのではなく、常に同じ高さにあるもの同志の心のふれあいを重んずるところに、仏教の慈悲の大きな特徴がある。
しかも、仏教の慈悲は人間に対するだけでなく、生きとし生けるものすべてに対し、平等に注がれることを理想としている。万物はすべて仏のいのちの現れだと見るからである。(山下民城 くらしの中の仏教語より)
私の仏像写真テーマ「み仏の慈しみと悲しみと」は、まさにこの慈悲の意味するところの思いを託したものである。仏像写真を通して、多くの同苦の友を思いやることが、私のセカンドライフである。家庭裁判所の家事調停の仕事も、家族の苦しみに耳を傾け思いやることが大切で、仏教の慈悲に通じるものがある。
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