大分県 無動寺本尊 不動明王坐像
不動明王の本を開いていて、3年前に訪ねた大分県豊後高田市の六郷満山無動寺を思い出す。国東半島1300年の歴史を誇る六郷満山の六郷とは、国東半島を構成する古い地名で、安岐、武蔵、国前、伊美、田染、来縄の六つの郷のこと。満山とは山岳信仰で使われる言葉で、山すべてを全ての仏とし、山すべてが仏の浄域であり、その浄域にあまねく点在する寺院の集合体を満山と称しているそうだ。謂わば、国東半島そのものが仏と言うことになる。
無動寺は奈良時代初期に造られた寺で、最盛期には伽藍の規模が五十〜六十あったと云われ、常に百名あまりの僧が修行に励んでいたと言われる。本堂には本尊の不動明王像をはじめ、大日如来座像、薬師如来座像などの平安時代から鎌倉時代にかけての十六体の木造の仏像が安置されており、すべて大分県の有形文化財に指定されている。
3年前の2月下旬、カミサンの実家で義母と義姉の法事があり、1週間宮崎と大分に行って来たときに、大分のYさん夫婦と国東半島巡りをした。無動寺には毎月28日に行われる不動明王縁日護摩供養に合わせ、予め参拝予約をしておいたが、不動明王の護摩焚きの日であるにも関わらず、是非いらっしゃいと撮影を快諾してくれた。
無動寺に到着したのは護摩炊きの終わりごろで、線香の煙が立ち込める本堂には近隣の信者さんがお見えになっていた。読経のあとご住職が経典を蛇腹のように掲げて、経題から巻末まで一巻読み終わったとする略読の姿も見られた。
不動明王をはじめ、薬師如来と12神将、大日如来、弥勒仏の写真撮影を終えて、丁度お昼時ということもあり、檀家部屋でカレーライスのお接待を受けた。大勢の信者さんが参加する不動明王の護摩焚き風景や、地域に根差した仏像を拝む姿に、皆さんの篤い信仰心を垣間見た記憶は忘れない。
不動明王ご真言
ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン
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