浜松 瑞雲寺境内
この頃、仏像撮影と銘打って外出することがめっきり減ってしまい、お寺の建物の中でどっしり構えて仏像を撮らせてもらうことが少なくなった。仏像写真撮影に夢中になっていた頃は、境内の花木や佇まいに眼もくれず見過ごしてしまうことが多かったが、写真のように何気ない風情にもカメラを頻繁に向けるようになった。
お寺の建物から一輪の花まで、すべてが仏の世界の姿という受け止め方をしていくと、自分の心が一層広く、深く、優しくなるような気がする。正直な話、国宝だとか重要文化財だとか、はたまた平安時代作とか、鎌倉時代作とかいう肩書のようなものに囚われて、仏様の軽重を図っていたのかもしれない。金ぴかの仏様には見向きもせず、古ければ古いほどよいとしてきたのも事実である。
山門で一礼し入山したときから心が安らぐ。お寺というのは不思議な場所である。異空間である。四季折々の顔を見せてくれる。過日、郷里浜松の実家の菩提寺へ立ち寄ったとき、境内に木漏れ日を浴びたお地蔵さんに手を合わせた。「花とお地蔵さん」というタイトルがすぐに浮かんだ。
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