古い衣裳箱がいくつか物置にのこっており、整理していたら昭和51年の社内誌が出てきた。「マイホビー」欄に投稿した32才の私の記事と写真が掲載されていた。
前妻を亡くして5年目のときで、当時から詩や箴言をよく書いていたが、そのノートも昭和61年頃うつ状態になって思い悩んだときに、焼却場へ投げ込んで処分してしまった。社内誌には短詩とわずかな箴言が載っている。貴重な私の青春の言葉である。
タイトルは「撮り続ける夕陽と石仏」
青春のプロセス ひとつ ひとつが 忽ちに消えていく
想いおこそうにも 甦ることなく 消えていく
仕事から肉体的に開放されても、精神は奴隷になっている
人生のアクシデント、それに対抗できるのは勇気と希望だ
こんな詩とか箴言を書いて十年余り。たまった大学ノートが十二冊。それにもまして、好きなカメラの方は、こりに凝って撮った写真が約一万枚。昨今は、浜名湖の夕陽と石仏を撮り続けています。
ときたま、喫茶店に作品のパネルを飾ってもらうこともありますが、夢は「写真詩集」を創ることです。自由が丘時代の財相のお客様が「蚊蝣集」というオリジナル写真入りの随筆集を自費出版され、それをいただいたのがキッカケです。
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カメラ歴50年を超えるものの、他人様に自慢できるような美しい風景写真などは一枚もない。しかし、郷里の石仏から始まった仏像写真だけは、祈りの情景として、また、私のライフワークとしてずっと続いている。ハチの家文学館の投稿記事から写真詩集のようなものは出来たものの、まだまだこれからオンリーワンの「写真詩集」をつくる夢が残っている。
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