タカシのB級グルメ日記

2024高知市納涼花火大会

連載TiltShift-007「AEON vs BERTIS-19:50」

2010-07-21 23:55:05 | 高知の情景
                          ※拡大 (19:07)



齢、30を過ぎて、一人住まいを始めた頃、ブログどころかインターネットさえも始めて
無かった訳ですが、健康=食事という呪縛から解き放される迄に数年、掛かったよう
に思います。


お昼は、外食等で誤魔化していても、夕方になると「何を食べようか」という半ば義務
とでも言うべき難題の答えを出さなければならない事が、なんとも重苦しく感じていた
時期でした。


およそ20年前といえば、既にテイクアウトのお弁当屋さん全盛の頃で一昔前と比べれ
ば随分、選択肢もあったのですが、それでも毎日というわけにはいきません。


よく陥るのが「野菜は毎日摂らなければならない」とか「塩分を摂りすぎてはいけない」
とか、はたまま「食事は三度三度、食べるべきである」というような「べき論信仰的」な
考え方。


もう、こうなると「食事」が苦痛にさえ思われて「人間、食事を摂る必要が無かったら
どれだけ楽か」などと考えたりしたものです。


で、ある日、自分なりに出した結論は


「その日、食べたいモノを食べよう」


という、至ってシンプルというか、至るべくして至ったような答え。


そういう意識の変化が起こってからは、例の「食べなければお化け」の影は消えて
いました。


それから、20数年経った現在、私は「しっかり生きています」















最近読んだ「魯山人の食卓」という本の巻末に氏の語録が纏められていて、その一文に
興味深いものがありましたので、ご紹介させて頂きます。


「えて栄養食と称するものは、病人か小児が収監されているときのような不自由人だけ
に当てはまるもので、食おうと思えばなんでも食える自由人には、ビタミンだのカロリー
など口やかましくいう栄養論者の説など気にする必要はない。

 好きなものばかりを食い続けて行くことだ。好きなものでなければ食わぬと決めてか
かることが理想的である。

 鶏や飼犬のような宛てがいの料理は真の栄養にはならない。自由人には医者がいう
ような偏食の弊はない。偏食が災いするまでには、口のほうで飽きが来て、転食する
から心配はない」


ほぼ、三度三度、自炊の食事をしていた筆者の悟りにもにた境地ですから素人がその
まま鵜呑みにするのは如何かとも、思いますが、早い話、お母ちゃん(奥さんを含む)
の手料理を食べられる事が一番、体にも精神的にも宜しいという事ではないでしょうか。





















(19:50)


最後に「暑い夏を元気に過ごす方法、其の一」


「睡眠を良く摂りましょう」


早寝早起きが一番です、それでは、おやすみなさい。









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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うなぎ (弥二朗)
2010-07-23 01:07:33
昼飯は出来るだけ抜くようにしていますが、今日は堺町方面にでかけたので、帰りにうな泰の弁当を買いました。 夕食は、手結まで出かけた帰りにかりや食堂でどんぶり食べました。夏はうなぎでしょ。やっぱり早寝ですか。寝るべ、寝るべ。
返信する
日曜市では天然が一尾千五百円 (タカシ。)
2010-07-23 07:46:50
専門店の鰻ならハシゴしても問題ないでしょう、間違っても○○家、等のはダメです。
確か今年の「丑の日」は7月26日だったかと「7月の鰻」は何処にすべえか
思案中……四万十市まで食いに行くべ、行くべ。
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Unknown (ひつじ)
2010-07-26 23:15:19
私は結局近くのスーパーで昼間に
少し鰻食べただけでしたw

っていうかココうちんとこのテリトリーやん
(でもジャスコにはあまり行かずに隣か別のスーパーです)
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