タカシのB級グルメ日記

2024高知市納涼花火大会

写真紀行・小説「仁淀川」第三部(完)

2009-10-20 21:28:08 | 高知の情景
                     ↑追手門(おおてもん)クリックで→拡大



※戦後の復興に伴い、追手筋の木々も大きく育ち現在では日曜市の開かれるこの
通りの西端まで行かなければ天守を仰ぐことが出来なくなった。




第六章「両親の和解」



※綾子の結核発症の報に接した父、岩伍はその些細を聞くため八幡家を訪れ離縁
した喜和と再会し、八年振りに和解する。桑島村の家では病気療養もままなら無く
なった綾子は一人娘の美耶を伴い、中の橋の喜和の店に身を置くのだが、繁盛する
八幡家の昼間に親子が落ち着ける居場所など無く、やむなく炎天下の町中を彷徨う
のだった。




                     ∬∬∬




【通りに立って空を仰ぐと、真向かいに高知城が屹立しているのが見え、その城山は
裾にかけてこの焼土のなかでなお緑ゆたかに目にしみるほど青々と茂っているのが
見える。女学校時代、学校の行き帰り、この城山の森のなかを抜けて通ったことがな
つかしく思い出され、綾子は吸い寄せられるように追手門に向かった。(P-269)】








↑北側入口より追手門方向を望む



中略。


【物見櫓のように四方吹き抜けになっている天守からは一望のもとに高知市が眺められ
北は四国山脈、南は太平洋がつい目の下に鮮やかに拡がっている。何よりも、下界では
そよとの風もないこの炎熱が、ここではまるで嘘と思えるほど、まことに快い風が吹き抜
けてゆくのであった。】


中略。











↑現在、天守の板敷きは横になりたくなるほど綺麗だが、喫煙、飲食、昼寝は御法度
である。




【「美耶ちゃん、ここは気持えいねえ、涼しいね」と綾子はやっと落着きを取戻し美耶の
汗を拭いてやり、喜和にもらったコッペパンとミカン水を取出して膝の上に拡げた。
天守の板敷きの広さは四帖半ほどか、しかしいま母子して天上に在る愉楽はたっぷりと
広く、のぞき込むと美耶の瞳には真蒼な空と、ゆったりと流れていく雲が映っている。】
(P-271)




                     ∬∬∬



※この後、町の仮住まいに見切りを付け、桑島村に戻った綾子は美耶に満州での経験を
書き残したいとの思いから筆を執り、次第に書くことのみによって癒される自分の心情に
気付かされるのであった。



小説の終盤



第七章「新客来訪」では桑島村の神祭に呼ばれ、初めて三好家を訪れた喜和の垢抜けた
所作や押出しの良さに感服した様子をみせる「いち」の言葉が印象深い。
綾子はいちに買って貰ったミシンでの内職にも意欲を見せ、多少落ち着いた病気とも付き
合いながら桑島村の生活に溶け込んで行くかにみえた。



第八章「綾子自立へ」箪笥の件(くだり)では町とは違う農家のしきたりの重さをやんごと
無き事と捉え、なんとか喜和の助けもあっていちの思いを叶えるのだが、そのしこりは、そ
の後の転機にも大きく影響を及ぼしたと思われる。


やがて喜和の急死と、それに続く岩伍の病死に因って大きな後ろ盾を失った女一人の生活
力は、いくばくかと思われるが、この年(25才)村立保育所の保母として職を得、37才の年
婚家を出て要との20年の結婚生活に終止符打ち、38才で高知新聞社学芸部の記者と再婚
そして上京へと続くのである。



終わりに



「高知県立文学館」の常設資料に依ると、出版社からも執筆依頼は有るようだがこの小説
「仁淀川」の終盤で多少割愛された感のある、綾子自立に至る紆余曲折から夜逃げ同然
と自書されている上京までの事、そして「櫂」で太宰治賞の受賞以降、世に認められ平穏
ながらも多忙な日々のこと、更には長女「美耶」のその後など、興味本位で無く、小説或い
は随筆化を願うファンの気持ちは強いようだ。




 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。