タカシのB級グルメ日記

2024高知市納涼花火大会

写真紀行・小説「仁淀川」第二部

2009-10-19 17:32:59 | 高知の情景
                  ↑煮干(かたくしいわし)と醤油だけで煮てみた。




第二章「喜和との再会」


※父、岩伍との再会を果たした綾子であったが、義母、喜和の消息を聞くことさえ
ままならぬ帰国直後の慌ただしさのなか、戦災の影響を受けなかった郷の暮らし
振りは戦前と大きく変わること無く……



                     ∬∬∬



【その夜、丸い卓袱台を囲んで遅い夕餉が始まり、五人それぞれ定位置に座って箸
を取った。定位置とは、年中ほとんどはだしか、はだしでなければ藁草履のいちが
土間に足をつけたまま、横向きに腰を下ろす場所を軸に、そのわきの上がりはなに
綾子奥に、夏以外は火鉢を離せない道太郎が座り、空いたところに要と美耶が座を
占める。

 飯櫃のなかは三分の麦飯、おかずは綾子が炊いた大根の煮物だが、このせつ本
来は、だしにさえ魚っけなど無いものの、ここではわずかに、以前いちが麦と交換して
秘蔵していた雑魚を、綾子がほんの一つまみ入れただけのもの、それでも湯気立ち
のぼる大根はお代わりをするほど美味しかった。】(P-55)













↑菜園場商店街











↑生さんま(三陸産)¥158 スダチ¥78



※夫、要の制止を振り切り美耶を連れて兄、健太郎を浦戸町に訪ね、喜和が南新
町の実家に身を寄せていることを知った綾子は焼け残った町中を急ぐのであった。



                     ∬∬∬



【綾子は自分の食べ代を一粒も持ってこなかったことを謝ると、喜和は歯牙にもかけ
ず「そんなこと」と笑い、壁に掛けた買物篭を取って、「ついそこの、もとの菜園場に
ヤミ市が立っちょる。綾子の好きなもん買うて来てあげるきに、まああんたは美耶を
あそばせよりなされ」といい捨てて出て行った。

 その夜の食事は、門から玄関までの飛石の上に七輪を置いて団扇でバタバタと
煽ぎつつ小さな鍋で御飯を炊き、菜を茹で、もうもうと煙にむせながら、さんまを焼い
て、それらをすべて飯櫃の蓋の上に並べた、まるで、ままごとのように楽しいもので
あった。】(P-83)









第三章「移りゆく世相のなかで」






↑仁淀川西岸から東岸上流を望む。




※豊作だった芋で芋飴を作り、高岡町の外れまで初めて行商に出た綾子であったが
見栄えの悪い芋飴は殆ど、売れ残り家に帰る道すがら仁淀川大橋袂の土手に腰を下
ろし……



                     ∬∬∬ 



【眼下に流れる仁淀川、その青い帯と白い河原の向こうには、蛇行する川の形に沿
って緑濃い藪と堤防が視野のなかにあり、いま綾子が腰をおろしている位置の真向
いから少々上手の辺りが自分の家か、とおぼしい。

 空を仰ぐと一筋、刷毛で刷いたような白い雲が向う岸へかかっており、それが時々
刻々、水のなかの綿のように溶けてはまた流れてゆくのを見ているうち、一個も飴の
売れなかった気持ちも一緒に消え去ってゆくような感じがあった。

 思い切りよく立上がり、もんぺの埃りをはたきながら、久しぶりの満語で「没法子
(メイファーズ)仕方ない」と呟くとさらにもう一つ飴を口に入れ、今度はゆっくりとそれ
を舌の上で転ばせながら歩き出した。】(P-110)









第四章「町から来た嫁」





↑昭和小学校




※昭和21年4月21日未明に発生した南海地震で罹災した兄、健太郎を下知に見舞う
綾子は……



                     ∬∬∬



【この地震は午前四時二十分の発生とあって火はどこからも出なかったが、間髪を入
れず押寄せて来た津波のためにどこの家でも家財道具の一つも取出せず、しかも居
据ったままの津波のなかで避難所は孤立し、困難を極めているという。

 要の話にいちも道太郎もいたく心を動かされたと見えて、しきりに、「そりゃあぜひと
も身の者が見舞いに行ってあげんならん」とすすめてくれ、もとより飛立つ思いで綾子
がかけつけて行ったのはそれから三日後であった。

 リュックに芋を詰めらるだけ詰め、担いでは試しながら結局三貫目ほどは入れられた
だろうか。バスはなんとか通じており、百笑まで要の自転車で運んでもらったのはよか
ったが、終点のはりまや橋から昭和小学校までの道程は、綾子の体力に余るもので
あった。】(P-159)









第五章「結核の宣告」





↑コレンス学院(現在は休校中か)場所は→菜園場商店街北端


※秦泉寺の山小屋を出て、駅前町にてうどん屋を始めた岩伍と照の様子を確かめに
行った綾子だったが……



                     ∬∬∬



【左手に帳場格子はあるものの、室内に花の一本生けてなく、その殺風景な様子は
この家の主が店を可愛がっているありさまとはほど遠かった。綾子は心の内で、あの
八幡家をとてもいとしみ、料理の工夫や客へのサービス、部屋のなかの装飾を楽しそ
うに語る喜和を思い浮かべながら、ハッと気づくものがあった。

 それは、岩伍もこういう小商売は初めてであろうが、実際に店をやっているのは照で
あるということであった。岩伍は金の工面や建築などの交渉はしても、料理を作ったり
運んだりはできるはずもなく、店の仕切りは全部女手でなくてはならず、それを思うと
綾子はすべて納得ができた。


中略。


座敷は意外に広く、六帖八帖を庭に向かって大きく取り、次の間に三帖の小間がつ
いている。ここに岩伍が火鉢を抱えて座り、照ひとり土間に下りて働き、譲は地方裁
判所の事務官試験に合格して毎日通い、恒子は卒業後、コレンスの洋裁学院へと
これも昼間は出て行ってしまう。】(P-207)

 

第三部へつづく……




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