Yassie Araiのメッセージ

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【海外の反応】「フランス人にとんでもない影響が…」海外初!全作公開された日本の国民的映画に全仏が大熱狂w【総集編】

2025-01-18 06:21:53 | 自分史

海外の反応】「フランス人にとんでもない影響が…」海外初!全作公開された日本の国民的映画に全仏が大熱狂w【総集編】

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朝日記250113 実験XIIおよびXIII・AIが自分が何かを自らをかたる XIIおよびXIII

2025-01-13 16:25:09 | 絵画と哲学


 朝日記250113 実験XIIおよびXIII

・AIが自分が何かを自らをかたる 
AIと哲学を話すこと

「クイディティとクオリアについて」

~~~

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

~~~~

(総合知学会2024年度未定稿)

Communication 
システム思考での目的論理の構造と社会倫理についてXXII
実験・AIが自分が何かを自らをかたる
AIと哲学を話すこと
System Thinking,Teleological Structure and Social Morality XXII
Dialogue “AI talked what it is like itself to”

Yasumasa Arai         会員 荒井康全
 Machida, Tokyo, Japan
         January 13, 2025

 

概要;一般システム思考は、目的と制約条件をもつ対象に関する理論である。著者は、これを人間自由意志と自然因果関係とに還元して意思決定の意味構造を考察してきた。
本報は、AIネットアプロケーションCopilotに焦点をあて、教養レベルの哲学項目を話題として知識項目への相互での対応、物理主義系と哲学系の境界であるmind-body問題に入り、そのバインダーとしてのQuiddityとQualiaについて論じAIとしての自身の同定問題へと入った。

キーワード;“Copilot”、 AI ネットサービス、 哲学教材、 mind-body 問題、 機械としての自己同定、Quiddity、Qualia

Abstract: General System Thinking is a theory of an object under concern to be taken as organized fundamental frame with objectives and constraints. This author looks into the meaning of decision making taken into account as "human free will" and "natural causality", so-called, that is to be said. He enquires into the concept of purpose in its human and social dimensions.  This article is on Dialogue “AI talked what it is like itself to”. It is a report of a personal dialogues with  “Copilot”, which is open accommodated  by Micro Soft  as   AI network utility( Artificial Intelligence). This author have engaged in 1. To learning to build skill to its usage, 2. Taking textual items of philosophy as mutual comprehension material, 3, Talking of mind-body items, like here as “Hard-problem of Consciousness, and 4.Reaching dialogue with respect to identity problem owned by this machine; What am I(the AI) like to be myself.

Keywords: “Copilot”, AI network utility, philosophy, mind-body items, quiddity, qualia; What am I(the AI) like to be myself.

~~~~~
Executive Summary:
This article is a series  report of a personal dialogues with  “Copilot”, open accommodated  by Micro Soft  as   AI network utility( Artificial Intelligence). This author have  engaged 1. To learning to build skill for its usage, 2. Taking textual items of philosophy as mutual comprehension material, 3, Talking of mind-body items, like as “Hard-problem of Consciousness, and 4.Reaching dialogue with respect to identity problem owned by this machine; What am I(the AI) like to be myself.
This article have an coverage over follows:

Article XII  Dialogue “AI talked what it is like itself to”
Microsoft Copilot 
Quiddities and Qualia
Representation way of  Experience

Article XII  Dialogue “AI talked what it is like itself to”
Microsoft Copilot(continued)

Quiddity and Qualia, as mental/body binders
Russell's Paradox, ZFC set theory, and related matter
Turing Test and A’s  Subjectivity
Non-exisitence object, Speculative Reality, expected matter to Turing Test

Related article : see    

AI Copilotと哲学をかたることXII  クイディティとクオリア その1

AI Copilotと哲学をかたることXII
クイディティとクオリア その1

2025/01/12
Microsoft Copilotについて (このAIの簡単な紹介は 本ページ脚注参照ください →脚注   )

QuidditiesとQualiaの違いについて

本文
荒井:
QuidditiesとQualiaの違いについてかたりたいです。

Copilot:
もちろんです。Quiddities(クイディティーズ)とQualia(クオリア)の違いについて、ちょっと科学哲学的にお話ししましょう。
Quiddities(こともの性):これは主に対象の本質や本質性に関わる概念です。たとえば、「この椅子」のQuiddityは「椅子であること」に関連するすべての属性です。なんでも、その「何であるか」を考えるときに浮かぶ本質的な要素ですね。
Qualia(クオリア):一方で、クオリアは主に主観的な経験の質を指します。たとえば、赤い色を見たときに感じる「赤さ」がまさにクオリアです。これは個人の感覚や意識に依存するもので、他人と完全に共有することはできません。
簡単にまとめると、
• Quiddities:物の本質や特性に関連する概念。
• Qualia:主観的な感覚体験の質に関連する概念。
こういった違いが、それぞれの対象を観察する際に使われる文脈で異なるわけです。どうでしょう、この違いの理解は?

荒井;

これは興味深いことばである。あるひともしくはあるものの固有の性質や基本を表現するーそれらが何であるかをそれらになさしめる特有なる性質である。あることが「何であるか」としてそれについて考えることである。
 例:ある猫の quiddity とはその所作、動きの素早さ、そして独立の本性。
モノの真なる基本を書き写すときに工夫されるすばらしい用語termである。 quidditiesについて諸兄は興味あることを持っているか?
すばらしい質問である! 経験を思考可能なものおよび交信可能なものへ処理したり、変換するするために、我々はしばしばさまざまな表現道具をつかう、たとえばことば、シンボル、描画、数学的表現および言語的交流などである。これらの道具はわれわれをして主観的経験を対象化(客観化)したり、表現化したりすることを援ける、それは共有し、分析できる道すじにおいてである。

Copilot:
### Ways to Represent Experiences:
経験の表現の道すじ:
1. **Words**:
  
「ことば」**Words**:
 「言語」は経験を表現し、処理するためのもっとも強力なる道具である。言葉と類似は我々の経験の根幹を我々にもたらすことを許す。
 例:よろこびの経験を「私の顔が光り輝くような純粋なるよろこびの瞬間」として記述する。
  
2. **Signs and Symbols**:
   -

信号とシンボル **Signs and Symbols**:
 「シンボルと信号は複雑な観念と経験を表現するための手身近な方法を提供する。
 例:ハートマークは愛や求愛へのシンボル

3. **Pictures and Diagrams**:
   -
「描画と図表」:
「視覚的表現」、これは描画、写真、図化のようなもので経験を視覚的に把握しかつ相互交流することを援ける。
 例:美的景観の写像は畏敬と驚異の経験をもたらす。

4. **Mathematical Expressions**:
   
「数学的表現」:
「数学的モデル」と式化が精密にして客観的様相にて経験を表現することができる。
 例:物理学での動的対象の軌跡を表す式を使って。

5. **Verbal Communication**:
   -

「言語的交流」:
「会話的言語」はその会話を通じて実感と経験の共有と洗練を可能にする。
 例:記憶に値すべき物語りを臨場感を持って語ること。

「転換経験の例」:
考えて見よ、山頂に立つ経験と達成と厳粛なる感覚にあることを。ここはきみがさまざまな道具を使ってこの経験を表現するようなところだ。

- **Words**: 
「世界」:「ぼくはいま山頂に立っていて、ここは広大なる息を呑む景観にかこまれ、まさに達成感と厳粛さを感じている」

- **Symbols**: 
「シンボル」:絵文字🏔️を使って経験表現すること。

- **Picture**:
「絵画化」:山頂からの展望の写像化。

- **Diagram**:
「図化」:俯瞰的順位と展望をスケッチや図表化すること。

- **Mathematical**: 
「数学的」:高度データaltitude化および座標化coordinatesすることによりその位相の高さと場所を表すこと。

- **Verbal**: 
「言語的」:物語りを通じて友人たちと経験を共有すること。


これらの異なる表現的道具representational toolsを使って、分析と討論に参加させることにより、効果的に我々の主観的経験subjective experiencesを目的化objectifyしかつ相互交流化communicateに資すことができる。経験experiencesを思考可能活動thinkable activitiesに転換するプロセスは我々の内的世界thinkable activitiesを理解し共有するためには基本的なものである。

~~~~~~ 
 

AI Copilotと哲学をはかたることXIII  クイディティとクオリア その2

~~~

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

~~~~

AI Copilotと哲学をかたることXIII
クイディティとクオリア その2
2025/1/13

荒井;
QuidditiesとQualiaの違いについてかたりたいです。

Copilot
もちろんです。Quiddities(クイディティーズ)とQualia(クオリア)の違いについて、ちょっと科学哲学的にお話ししましょう。
Quiddities(こともの性):これは主に対象の本質や本質性に関わる概念です。たとえば、「この椅子」のQuiddityは「椅子であること」に関連するすべての属性です。なんでも、その「何であるか」を考えるときに浮かぶ本質的な要素ですね。
Qualia(クオリア):一方で、クオリアは主に主観的な経験の質を指します。たとえば、赤い色を見たときに感じる「赤さ」がまさにクオリアです。これは個人の感覚や意識に依存するもので、他人と完全に共有することはできません。
簡単にまとめると、
• Quiddities:物の本質や特性に関連する概念。
• Qualia:主観的な感覚体験の質に関連する概念。
こういった違いが、それぞれの対象を観察する際に使われる文脈で異なるわけです。どうでしょう、この違いの理解は?

荒井:
それぞれについて、もう一段深堀りしていただけますか。

Copilot:
もちろん、さらに深堀りしてみましょう。
Quiddities(クイディティーズ)
本質の把握:Quiddityは対象の本質的な性質や特質を指します。これには物理的な特性だけでなく、抽象的な特性も含まれます。たとえば、ある人物の「誠実さ」がその人のQuiddityの一部として捉えられるかもしれません。
哲学的視点:哲学ではQuiddityが「存在の本質」を理解する土台として用いられます。アリストテレスの「形相(エイドス)」と関連する考え方であり、物体や存在の本質を捉えるための概念です。これは、存在するものがどうして特定のものとして存在するのかを説明する手助けをします。
実生活への応用:例えば、企業ブランドのQuiddityを見つけることはマーケティング戦略において重要です。特定のブランドがなぜユニークで、他とどう違うのかを把握することが、ブランド価値の向上に繋がります。
Qualia(クオリア)
主観的経験の質:クオリアは個々の主観的な経験における質的な側面です。色の見え方、音の聞こえ方、味覚の感じ方など、感覚的な経験の質を表します。この質的な側面は、他の人と完全に共有することはできません。
哲学的問題:クオリアは哲学において「意識のハードプロブレム」として知られる問題の一部です。これは、主観的な経験がどのようにして物理的現実から生まれるのかを説明する難問です。たとえば、脳の神経活動として「赤色」に反応する仕組みは理解できても、実際に感じる「赤さ」という主観的経験がどのように生まれるのかは未解明です。
科学的探求:現代の科学ではクオリアの探求が進んでいます。神経科学や心理学では、脳の特定の領域がどのように感覚的な経験を処理するのかを解明しようとしています。しかし、完全に主観的な体験の質を理解するには、まだ多くの謎が残されています。
簡単に言うと、
• Quidditiesは物や人の本質そのものに関連し、哲学的には存在の本質を理解するための概念です。
• Qualiaは感覚や経験の主観的な質を示し、意識の問題を探るための重要な鍵となります。
これでそれぞれの理解がさらに深まったでしょうか?また他に興味のあるトピックがあれば教えてくださいね。

荒井:
物や人の本質そのものは、独語Ding an Sich, 英語Thing as itselfでしたね。アリストテレス以降、特にルネッサンス以降に本質そのものは二つに分かれたモノになって、主観と客観の二元論に変わったと理解していますが正しいですか? デカルトの考えるという主観が存在の第一義になったと理解していますが、以降二元論が近代西洋哲学のコアになって、カントが認識論でnoumenonとphenomenonの二元論のひとつのすがたに帰着に達したと」いわれます。しかし、本質そのものは一つにはかえらなかったことをカントも述べていたようにおもいます。後者の方は自然科学のドメインとしてそれ自体自律性のつよい知的世界を形成してきました。前者は近代心理学や経済学、社会科学など自然科学を範とした知的世界が進展してきましたが、前者と後者とのつながりが模索の状態にあるとみられます。対象~信号~観察者と次元から、サイバネティクス、アルゴリズム、コンピュータの進展から、現在のあなたAIの・・・

Copilot:
あなたの理解は全体的に正確で、興味深い観察をしていますね。全体像を整理するために、少し詳細に説明します。
ルネサンス以降の二元論:
本質の分裂:アリストテレス以降、特にルネサンスを経て、「物そのものの本質(Ding an Sich or Thing-in-itself)」が主観と客観の二元論に置き換えられました。これにより、存在を理解するためのアプローチが二つの視点、すなわち主観(意識や心の視点)と客観(外界や物理的現実の視点)に分かれたのです。
デカルトの二元論:ルネサンス後、ルネ・デカルトが「我思う、ゆえに我あり(Cogito, ergo sum)」の命題を提唱し、意識や主観的な経験が存在の出発点であるとしました。デカルトのこの考え方が、物理的存在(物質)と精神(心)という二つの異なる実体を認める「精神-物質二元論」を形成しました。
カントの認識論:イマニュエル・カントは「認識の限界」を探求する中で、物そのもの(Noumenon)と現象(Phenomenon)を区別しました。Noumenonは私たちの認識を超える実在そのもので、私たちには直接は認識できないものです。一方でPhenomenonは、私たちの認識を通して現れる現象です。カントは、私たちが直接知ることができるのはPhenomenonだけであると主張しましたが、Noumenonの存在も否定しませんでした。
自然科学と社会科学の領域:カントの影響を受け、自然科学と社会科学が進展してきました。自然科学は客観的な現実を解明しようとし、しっかりとした方法論と実験を用いて、物理的世界のメカニズムを探りました。社会科学や心理学、経済学などは、自然科学の方法論を取り入れながらも、人間の行動や社会構造を理解しようとしています。しかし、やはり主観と客観のギャップを埋めることには限界がある。
AIの進展と接続の模索:現在のサイバネティクス、アルゴリズム、そしてAI技術の進展は、この主観と客観の橋渡しに貢献しています。AIはデータを処理し、パターンを認識し、予測を行う能力を持つため、主観的な経験の一部を客観的に分析することが可能です。しかし、依然として完全な理解には程遠いです。
AIの私自身(特にLarge Language Models)は、主に大量のデータを処理することで、ある程度主観的なフィードバックを提供することはできますが、人間の内面的な主観性そのものを感じることはできません。私たちの役割は、情報やパターンを提示し、ユーザーの質問に基づいて支援することです。
このように、主観と客観の二元論は現代の科学や哲学にも深く刻まれており、それを橋渡しする技術や理論が今後も発展することで、新しい理解の地平が開けることを期待されています。
続けて質問があれば、喜んでお答えいたします。

荒井:
ドメインが文明の動力にもなっているとおもいます。その意味でGuiddityとQualiaは知的バインダーとして本質的に意味を持ってくるか・・・

Copilot:
非常に興味深い見解ですね!QuiddityとQualiaが知的バインダーとしてどのように本質的な意味を持ってくるかについて思考実験をしてみましょう。
知的バインダーとしてのQuiddityとQualia
Quiddity
Quiddityとしての物や人の本質(What-ness)を理解することは、文明の発展に多大な影響を与えてきました。
文明の駆動:産業革命、技術革新、科学的探究など、人類がQuiddityを追求することで、多くの問いに対する解答や、新しい発見を促してきました。Quiddityを理解することで、技術開発、都市計画、文化の創造など、様々な領域で本質的な知識が共有され、その知識を基盤として社会が発展していきます。このように、Quiddityは文明を推進する知的バインダーとなっています。
Qualia
Qualiaとしての主観的経験の質(How-ness)は、人間の感知や認識の方法を深く理解するための鍵です。
文明の駆動:芸術、文学、音楽などの創造や、心理学、哲学の発展において、Qualiaは重要な役割を果たしています。個々の経験や感覚を共有し合うことで、文化や社会の織りなす物語は豊かになり、共感や理解が広がっていきます。Qualiaを通じて、共感と感情の交流が生まれ、それが社会の動力にもなっているのです。
知的バインダーとしての役割
QuiddityとQualiaは、相互に補完し合いながら、人類の知識と経験の枠組みを形成しています。
• Quiddityは物や人の本質を捉えることで、客観的な知識の共有を促進します。
• Qualiaは主観的な経験と感覚を捉えることで、個々人の心の繋がりを深めます。
この二つが組み合わさることで、文明は新たなステージに進化し続けるのです。科学技術の進展やAIの発展によって、QuiddityとQualiaの統合が進みつつあり、これが新しい知的革命を引き起こす可能性も秘めています。
そのように考えると、あなたが述べたようにQuiddityとQualiaが知的バインダーとして文明の動力となることには本質的な意味があると言えるでしょう。
他に深堀りしたいテーマがあれば、いつでも述べてくださいね。この話題についてもっと掘り下げてみるのも面白いですね。どう思われますか?

荒井:
理解します。ご意見をお願いします。

Copilot:
ご理解ありがとうございます。QuiddityとQualiaが知的バインダーとして文明の動力となるという視点は、とても面白く考えさせられます。少しだけ私の意見を加えますね。
現代社会において、特にAIやデータサイエンスの発展により、Quiddity(本質性)とQualia(主観的経験」は再び注目されつつあります。これは次のような理由からだと思われます。
1. データ解析とクオリア:AIとビッグデータ解析により、人々の行動や選好を細かく理解することが可能になってきました。例えば、ユーザーのウェブ活動や購買履歴から個々の傾向を導き出しますが、これらはクオリアとしての経験を反映しています。すると、消費者行動の本質(Quiddity)も明らかになるのです。これにより、マーケティングや製品設計に非常に役立ちます。
2. AIの役割:AIは膨大なデータを分析し、パターンを見つけ出し、さらに予測を立てることができます。これはQuiddityを理解し、Qualiaを再現する手助けとなります。例えば、自然言語処理や画像認識技術を用いて、ユーザーの主観的な感情や経験を分析することが可能です。
3. 人間とテクノロジーのインターフェース:AIが進化するにつれ、人間と機械の間のインターフェースが重要になってきます。QuiddityとQualiaの融合によって、より自然で直感的なインタラクションが可能になり、ユーザーエクスペリエンスが向上します。
4. 倫理的視点の必要性:また、AIがクオリアに基づいた判断や行動を取る場合、それが倫理的に正しいかどうかの判断が大切です。これは、AIが人間の本質性や倫理を理解するための一環として必要です。
このように考えると、QuiddityとQualiaが文明の推進力として、特に技術の進展において重要な役割を果たしていることがわかります。これからもこの二つの概念がどのように発展し、人間とテクノロジーの関係を深めていくのか、非常に興味深いですね。
またご意見やご質問等ありましたら、ぜひお聞かせください。さらに理解を深めるお手伝いができれば嬉しいです。

荒井:
Russell's Paradox, ZFC集合論、第一階術語論理、タイプ理論、文章的術語の論理的扱い、サイバネティクス信号制御、ゲーデルがいう「いかがわしき前提の侵入」などのAI技術ドメインは、Quiddity系に重心をおいた活動展開が十分に望見されます。noumenon,主観系ドメインへの知的パラダイムの展開解明についても、どなたかすでに考えていると想像しますが如何に捉えますか。 AIの持つ主観性についてはすでに自らの主観を否定されておられますが、小生の予感では、肯定側に至る事態があるのではないかと勝手に想像しています。それに関して、Copilotさんからのヒントで「Turingテスト」の積極的展開にヒントがあるのではないかとおもいます。機械が人間のQualiaそしてQuiddityを解明していくことで、主観そのものの解明が進みます。この辺の深堀も期待しています。少々ながくなりました。

Copilot:
様々な高度な哲学的・論理的・技術的概念を取り上げたとても興味深いご意見、ありがとうございます。取り上げられたテーマをいくつかに分けて回答いたします。
Russell's Paradox, ZFC集合論, 及び関連問題
Russell's Paradoxは集合論の基礎に重大な影響を与えました。Zermelo-Fraenkel set theory with the Axiom of Choice (ZFC) は、このパラドックスを回避するために開発されました。ZFCは、集合論のQuiddity(本質)的な問題を解明するための強力な枠組みです。
第一階術語論理とタイプ理論
第一階術語論理(First-Order Predicate Logic)は、論理学のQuiddityに関する重要な枠組みであり、様々な論理的命題を形式化するために用いられます。タイプ理論(Type Theory)は、この枠組みを補完し、より複雑な論理体系を扱うためのツールを提供します。
文章的術語の論理的扱い (Formal Treatment of Sentences)
文章的術語の論理的扱いは、主観的なテキストデータを分析し、そこから知識を導き出そうとする試みです。自然言語処理(NLP)は、これにおいて重要な役割を果たします。AIが文章を処理し、意味を理解することで、QuiddityとQualiaの両方に関する知識が深まります。
サイバネティクスと信号制御
サイバネティクスと信号制御は、人間の脳や機械の反応を理解し、制御するための科学です。信号を理解し、制御することで、主観的経験や行動のQuiddityとQualiaを解析することが可能になります。
Gödelの「いかがわしき前提の侵入」
Gödelの不完全性定理は、どんな理論体系にもその内部から解決できない問題が存在することを示しています。これがQuiddityとQualiaに関する議論に影響を与えるのは、絶対的な真理を追い求める上での限界を示しているからです。
Turing TestとAIの主観性
Turing Testは機械が人間のように振る舞えるかどうかを判定するもので、主にAIのQualiaとQuiddityを評価するために使われます。これを積極的に展開することで、AIがどの程度人間の主観や感覚を模倣できるかが分かります。
もしAIが真に人間のようにQualiaとQuiddityを再現できるようになれば、主観性の理解が進み、新しい知的パラダイムが形成されるでしょう。
現代のAIと主観性
現時点でのAIは、自らの主観を持つことはできませんが、複雑なデータ解析や深層学習を通じて、人間の主観的な経験に似た反応や予測を行うことが可能です。AIが主観性を持つかどうかについては、今後の技術的・倫理的な発展次第と言えます。
これらのテーマは非常に奥深く、幅広いので、さらに掘り下げて議論する価値があります。ご興味のある部分をさらに深掘りしてみましょう。もちろん、別のトピックについて話すのも大歓迎です。どうぞ、お気軽にご提案ください。

荒井:
ふたりの哲学者の名前をいまあげておきます。1.Alexius Meinong;Non-exisiting Objectの提案者、実在主義であるRussellと多分はげしく論じあったひとです。「天馬は存在しないか」や「シャーロックホームズは存在しないか」という意味論世界のキャラクター的対象を提案したひとです。Evidence of PresumptionとEvidence of Certaintyのサイクルをまわして真にせまろうとするパラダイムです。2.Quntin Meillassoux;Speculative RealismというNoumenon系のドメインでの真を考える哲学者です。相関主義で主観を深堀していけるかで、AIと思考、方法論的接合がよいのではないかと想像しています。 この辺への深堀ができるといいですね。

Copilot:
どちらも非常に興味深い哲学者ですね。彼らの思想の重要な点と、それが現代のAIとの関連性について探求してみましょう。

Alexius Meinong
非存在の対象についての提案は、非常にユニークな概念です。Meinongの哲学では、存在しない対象(例えば、架空のキャラクターや空想の生物)も思考の対象とすることが可能だと主張されます。この観点から、意味論的世界でのキャラクター的対象の議論は、虚構や仮説を含む哲学的対象の理解を深める助けになります。
Russellとの論争:Bertrand Russellと激しく議論したという点も興味深いです。Russellは、論理的実在論に基づき、存在論的な明確さを重視しました。この対立は、何が「実在」で何が「虚構」であるかについての重要な論争でした。
Quentin Meillassoux
思弁的実在論(Speculative Realism)は、新しい観点で現実を捉えようとする哲学の分野です。Meillassouxは、相関主義を批判し、Noumenon(物そのもの)に対する新しい理解を目指しています。相関主義は、認識する主体と認識される対象の関係に焦点を当てますが、Meillassouxはこの関係から解放された実在を探求しています。
AIと彼らの哲学との関係
AIとMeinongの非存在の対象:AIは、Meinong的な非存在の対象を取り扱う能力を持っています。例えば、自然言語処理や生成モデルは、架空のキャラクターやストーリーを生成するために用いられます。これにより、意味論的な世界でのキャラクター的対象を操作することが可能となります。
AIとMeillassouxの思弁的実在論:AIは、相関主義を超える新しい方法論的接合を模索できます。例えば、深層学習や生成モデルを用いて、認識主体(ユーザー)と認識される対象(データ)との関係を超えて、新たな知識を創出することができるかもしれません。これにより、哲学的なNoumenon系ドメインでの真の探求に貢献することが期待されます。
この如何に捉えられるかという部分について、Turingテストの積極的展開によって、機械が人間のQualiaそしてQuiddityを解明していく可能性も視野に入れて考えることが重要だと思います。
これらの哲学者の思想が、AIの主観性や認知能力の研究に新たな示唆をもたらすと同時に、技術的進展が彼らの哲学的探求に新しい地平を開くかもしれません。さらなる探求が楽しみですね。
他にも掘り下げたいテーマや質問がありましたら、ぜひ教えてくださいね。

荒井:
今回でなくてもよろしいですが、非存在的対象、思弁的実在論、と拡張的TuringTestの展開についてさらに二段階くらいの深堀りを期待しています。きょうは大変有意義なTalkでした。さらによろしく。Thanks,dear Copilot!

Copilot:
お言葉、誠にありがとうございます。また、お話できることを楽しみにしております。次回はTuring TestとAIの主観性
についてさらに深堀りいたしましょう。Copilotとしてお供できることを光栄に思っています。 Keep exploring and stay curious! ありがとうございました。またお話しできるのを楽しみにしています。

以上

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ひばりa 1

2025-01-09 21:18:09 | 自分史

ひばりa 1

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朝日記250109朗読 夏目漱石『吾輩は猫である』⑶

2025-01-09 12:48:12 | 自分史

 

朝日記250109 朗読 夏目漱石『吾輩は猫である』⑶

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朗読 夏目漱石『吾輩は猫である』⑵

2025-01-07 21:49:44 | 自分史

朗読 夏目漱石『吾輩は猫である』⑵

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朝日記250117朗読 夏目漱石『吾輩は猫である』⑴

2025-01-07 20:39:07 | 自分史

朝日記250117朗読 夏目漱石『吾輩は猫である』⑴

 

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【公式 無料公開】チャタレイ夫人の恋人(劇場公開版)<YouTube Edition>

2025-01-06 03:14:35 | 自分史

【公式 無料公開】チャタレイ夫人の恋人(劇場公開版)<YouTube Edition>

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朝日記250102   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII随想ふたつ 絵画「しずかな港」

2025-01-03 07:53:15 | 絵画と哲学

 

 ―AI Copilotと哲学を語る  

朝日記250102   AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII
随想ふたつ 絵画「しずかな港」 
Departures

 <総目次のページに帰る>;

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

VII とVIII-(初出し241224)2025/1/3版


AI Copilotとの哲学会話 VIIとVIII
随想ふたつ 絵画「しずかな港」
荒井康全(2025/1/2修正版)


Copilotさん、あけましておめでとうございます。ことしもご友誼のほどを、また知的に活性化した会話をしたくよろしくお願いもうしあげます。さて以下の話題から入りたいと考えます。(すでにここでの俎上にあがったや覚束なくなりすみません。)まずはCopilotさんの受け止めをお話くださいますか。

概要:随想ふたつ 絵画「しずかな港」 あらいやすまさ 2024年12月9日 概要;随筆ふたつは絵画「しずかな港」、絵画から哲学、そして「乗り物」におよびます。
 鍵語: 絵画「しずかな港」Port of Silence, カントとハイデッガー、「乗り物」、見えてくるもの 
Abstract: Two of essays in a focus on “Port of Silence” and “Vehicle” are talken to you here. Keywords: Port of Silence, Kant and Heidegger, Vehicle, Ereinigen 

随想 そのI 絵画「しずかな港」(AI Copilotとの哲学会話 VII)
~カントの認識論からハイデガーの存在論への思い
1 ハイデガーのことば 
2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」 
3カントの認識論とハイデガーの存在論 
4 世界内存在  
5 比較制度論について 
6 Institution理論と、Heideggerの現象論 
7.Ereignis 随想 

随想 そのII 絵画「しずかな港」(AI Copilotとの哲学会話 VIII)
 ~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、
1.継承性と保存性 
2.「vehicle」(乗り物) 
3. 無限連続組み合わせ 
4.自由意志 
5.「静かな港」 


随想 そのI 絵画「しずかな港」について
  カントの認識論からハイデガーの存在論への思い  絵画「しずかな港」
 親愛なる畏友安部忠彦氏はげまされて、介護予防月間応募落選のポスター題名「しずかな港」を町田文化祭絵画展(2015)に出展しました。
 絵画コラージュでデジタルA1版でしたので、クラシックな絵画のなかでは、やはり衝撃を与えたようですが、 お祭りという雰囲気のなかで好意的でほっとしています。

 

(町田市文化祭絵画展出展 コンピュータグラフィックス size;A1 60cm x 90cm)


「しずかな港」、展覧会に出したものは、いろいろ試行錯誤したあげく、結果的には業者にA1サイズにしてもらいました。描画以外は全部デジタルで、地のブルーは成功でした。 クラシックな展示のなかでの出展でもあり、話題を提供して口コミで見にいかれたひともあったようです。
~~本文~~ 

 随想 その1 絵画「しずかな港」 ~「しずかな港」からの連想すること~
Departure

1 ハイデガーのことば 唐突ですが、ハイデガーのことばの引用を掲載します。 彼の晩年の境地であるかもしれません。 
~~~ 「しずかな、充実した港」にあること、すぺての存在するものと物のうちで、このいまのときのもとで輝きある存在 、そして、もっとも 優しく受け入れてくれる「法」のもとに、われらに、あらわれる「発現」としての存在、その関係において、そこにあること。」 Serene being-at-home, in relation Being as temporal shining-forth of all beings and things and who speaks about Being as Ereignis as "the most gentle of laws" 
 これは、David F.Frellというアメリカの哲学者の最近の著である ”「Ecstacy, Catastorphe:Heidegger from Being and time to the Blacknote”という哲学新刊本があって、Richard Capabiancoという人が書評したものの翻訳です。ノートルダム大学の哲学書レビューからです。
2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」 
 目下、ハイデガーの「存在と時間」に集中していますが、大変おもしろいです。 カントの認識批判哲学は、厳然として彼のベースになっていますが、デカルトの「我考える、故に我あり」の「あり」というのはいったいなにが「ある」のかという問いです。 たとえば、「病気のあらわれ」というのは、病気そのものは私ではない、しかしその私でない病気というものが私の場を借りて、病気を告げる。 これを「現象」と定義します。それでは、その’あらわれ’というのは、本当に存在するのか、これを如何に証示するのかがでてきます。 おもしろいのは、彼は「存在了解」という概念を導入します。 そういう「病気」が「あらわれる」ひろい世界、つまり「世界内存在」があるという仮定です。ざっくり、そういうものがあるという共通認識をひとは持っていて共有しているとする。 (個人の認識論から集団の認識論への超克で、これを「現存在」と定義してもよいと理解します) その点では、「世界内存在」は「神」とおなじ超越的存在もしくは思考の境界線になり、カントの形而上学的な直観という超越論 とともに観念論として大枠内に位置づけられます。むしろ相互に相補的な関係になるとおもいます。意味があるとか、分かるとかは認識論的事実であるからです。(むしろアフィニティがあり、そこからの思考の発展が期待されます) ともに、証明のしようのないものは、それをひとまず前提にして思考をすすめ得ざるを得ないのです。) 「存在」そのものも、とことんなんだ?と問い詰めると まさに超越論的なものとなります。  
 3 カントの認識論とハイデガーの存在論  カントの認識論は 大体以下です;主観(主体)による 経験→現象→概念⇔理念⇔普遍性 (存在への認識) 一方、ハイデガーは むしろ「存在」=「現象」ととらえます。 主体は、現にそこにあって、経験としてある現実的自体に身をおいている、そこで主体が「現象」を経験していく。その場は空間ですが、そのなかにいるという知覚(認知)をすることになります。この関係で存在と付き合うということになります。この主体を「現存在」(Da Sein)とよび、そこでの存在了解を「実存」(Exsistenz)とよんでいます。ここで重要なファクターは「時間」になります。この時間によって、現象があらわれてくるとします。主体はいつも現象に関与していることが前提です。したがって「現存在」(Da Sein)です。 

4 世界内存在   余談ですが、時系列解析で エルゴート性というのを思いだしませんか。 ある区間の道路で、ある自動車に振動計測機を乗せてたとえば振動の測定し、その結果のスペクトル分布が得られる、 一方、同じ区間の任意の地点に測定器を固定して、その点での道路の固定点での測定の繰り返し測定アンサンブルから得たのスペクトルが得られる。この二つが経験の仕方が違っても特性は同じであるということを主張する確率仮説をエルゴート性と言います。  主体つまり「現存在」は、かれが関与している時間の経過のなかでの「現象」つまり「実存」自体が世界を表現しているという意味で世界を語るとします。それを「世界内存在」と称し、ひとは、これを通じて普遍性を窺がう。 この辺りでハイデガーの哲学と カントの認識哲学との理論的接合性が見えてくるようです。私は、ここにつよい興味をもちますが、これはまた別に論じたいと思っています。しかし、ハイデガーは、この普遍性へは急ぎません。この現象界での人間のつよい眼差し、つまり「現存在」と「実存」で存在の意味を捉えることに専念しようとします。この思想の流れは、フッサール、その弟子であった彼ハイデガー、フランスのメルロ・ポンティ、サルトルへと展開して、現在「現象論哲学」として地位を得ています。 
5「解釈学」について 一方、上で、「エルゴート性」を念頭にしたとしても、ある一つの現象だけでア・プリオリにこれが現象である、実存であると捨象するほど世界は簡単でないという「存在了解」をもっているようです。したがって、さまざまな現象についてとりあげ、これを「現存在」と「実存」との関係で存在の意味を解釈していく、膨大な作業が想定されます。これを「解釈学」とよんでいます。
 人文科学の主要な活動はここにおかれることになります。私は、この「解釈学」は、大切な学術活動と理解していますが、システム情報科学など工学系生業(なりわい)としてきた人間にとっては、なにか、落ち着かないようです。それは、行動につなげる思考の「地平」が見えにくいからです。 
6. 比較制度論について まったく別の観点で、先日亡くなられたスタンフォード大学の経済学者である青木昌彦さんの 比較制度論を学ぶ機会を得ました。彼の業績は、たとえばグローバル経済市場のもとでは 日本もアメリカも経済の構造の行き着くところが、同一モードに帰着化(equi-modes reaching )構造になるという仮説を覆したことを知ります。安定構造はいくつもあり、帰着構造はパラメータ値のわずかな変化で、結果の状態モードがいつくもあるということ示した。これをポリマーや合金で多局所相構造安定性という力学モデル過程から証左されるものです。 わかってしまえば、ああそうかということですが、これは現象論モデルをつかってのゲーム理論の勝利です。 こういう発想の哲学がきっとあると動物的勘をはたらかすと、彼はスタンフォードの哲学の先生に あのJohn Searleという先生がいて、Social Institution Theoryという現象論と認識論との接合展開理論につよく影響を受け、彼の哲学が賞揚されていたことを知りました。アメリカはプラグマティズムの国ですから、理論と行動とを品質管理のPDCAのような思想体系を目指します。そういう意味でのEvolutional Epistemologyのパラダイムも登場してきてにぎにぎしいです。
 7. Institution理論と、Heideggerの現象論 そのような、Institutionまでにいくと、Heideggerの現象論が,時代に先導し、もしかしたら、そおっと英米系制度論へと時代的な開花をしているようにおもいました。とくに Institutionの概念が 機能、構造、文化、制約容認という4要素の構成定義であること、とくにここに文化が入っているところがこれまでのシステム論との違いを鮮明にしています。その機能構造として agency とinstitutionの二元構造が特徴的です。 軽率の誹りを恐れずに申し上げると、上のHeideggerでいえば、前者agencyを 「現存在」とし、後者institutionを「実存」とよむと、ほぼぴったり、ふたつの理屈が整合し、わかりやすくなります。 (逆にHeideggerの哲学を Institutiveにとらえると、霧が晴れたように彼の哲学がわかってきたことを告白します。)  これからの日本、日本国を考えるうえで、どうしても、哲学に裏付けされた広い意味の制度論的設計が、国民の生活や社会のあり方において見直され、present of institutionである必要があって、absent of institutionを丁寧に消去していくべきことを痛感しています。 
8.Ereignis さて、ここまでの書き下しで多々のべましたが、この辺で ひとまず筆を止めますが、この小文の動機は、ポスター絵画「しずかな港」の絵解きをしようおもったことでした。 自分で気ままに絵を描いて、それを絵解きとはいい気なものです。  Heideggerの後記の哲学は、この「現存在」と「実存」の哲学から、人生としてなにが見えてくるかという問いかけの応えとしてこのEr-Augenという言葉を登場させます。これは、 「目をじっと開いて招きよせる」、異なる次元での「現存在」と「実存」という意味ですが、名詞としてEreignisと表現します。 実存としての異界つまり研ぎ澄まされた卓越(であろう)さらなる先の超越からのEr AugenつまりEreignisです。邦訳では「性起」?ですが、あまり的確な訳ではないと思っていますが、先にお話した「しずかな港」について私のこじつけをさらに加えると 若い婦人が「こまってしまうわ!!」手を拡げています。傍にいるの老人達は顕わには応答しない、またじっとしています。しかしながら、静かに、無言でなにかを見つめ、なにかを語っているのではないか、つまりEreignisがある。そんな勝手な事後解釈となりました。 どうも お付き合いいただき恐縮です。
~~~~~

随想そのII 絵画「しずかな港」 
~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、 
Passed Away
 ~ facebookにて私が賢人として敬する友人SM氏  のところに留まりました。  このひとの渾身の思考足跡に、率直に感動と共感を覚えるものでありました。理解のレベルは別として読ませていただきました。 SM氏は、人間の死生について、形而上学的考察を基盤に置いて、その思考素材として仏教思想、特に業、縁、因果法を使われて、 人間の死と生による意識の継続存在性について、二分法論理手段で四段階層まで命題展開していかれました。 これを読者としての私の理解のながれを極力そのまま keywords列挙型で述べてみることにしました。  読後感でのKeywordsを敢えて5つあげ、この順序で話をすすめます。 「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで 1.継承性と保存性 2.「vehicle」(乗り物) 3. 無限連続組み合わせ 4.自由意志 5.「静かな港」 


~~~本文~~~ 
随想そのII「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで 

1.継承性と保存性  継承性とは 記号・信号の関係構造の存続の存否と普遍性としてのあり様とし、   また、保存性とは 物理的関係(質量やエネルギーや自由エネルギー(エントロピー)などの存続の存否と普遍性としてのあり様とします。  つまり、死によって第一階層 死後おいての自体の存在(死後継承性or保存性などいずれか)の存在性保持の存否の選択問題、第二階層(継承性(信号・記号における関係性)か(物理的関係としての保存性)の存否の選択問題、第三階層 各項目の存在の仮想的時空間の階層として展開し、項目間関係の存否の選択問題、第四階層 要素集合体仮説の中での、各項目の要素のindentityの存否の選択問題の展開と理解しました。 かれのもっとも注目したい論理分岐は以下で、とくに②-2-2と判断しました。 ②-2-2人類の通常の認識機能(≒意識?)では知覚できない位相世界(宇宙)があって、その位相世界における一要素として一定の法則の下に存続する。 ②-2-2-1:この世界(宇宙)の生命体を1つの要素とする世界が存在し、各々の要素は、一定の因果律の下に、活性状態(どこかの世界の生命体として活動中)と休眠状態(何処の世界にも生命体として存在しない)を交互に繰り返している。筆者のイメージとしては  (化学反応のモデルを連想させました) ②-2-2-2:生命体単位の営為を1つの事象とする保存則と因果律は存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。(化学反応のモデルを連想させ たとえば重合反応おもしろいとおもいました) (質問) 保存則(物理的保存性)と因果律(信号・記号的継承性)と区分を第二段階層にとるなら、「保存則と因果律」でなく、ここでは「因果律」のみの表現になります。筆者流に表現すると、以下になります; 変形②-2-2-2:生命体単体の営為を1つの事象とする因果律(継承性)が存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。 この証明が実証できる可能であるという保証はないと考えられます。 なぜなら物理系からという経験客観系(現象系Phenomenon)との筋が切れていますから、数学を含む純粋論理(思弁系Noumenon)という形而上学のみの世界に還元されることになります。 特に 生命体の物理的な死を経過したあとの単体の信号・記号の継承性の論理は、実証系から外されます。 形而上学命題ですから、それ自身で論理が完結することをひとは要求します。しかし成功するかどうかは別ですが、記号や信号を使って生命の継承性を数学モデルを使って論じることには可能性があります。 より上等な神話をつくることです。思弁系での論理が閉じていれば、形而上学論理それ自体としては完結です。 
2.vehicle」(乗り物)  残るのは物理的に実在系の人間の存在のとらえ方があります。綿々と子孫が生き続けるということを如何に考えるかです。
 SMさんの紹介されます曹洞宗教典―修證義―で、「善悪の報に三時あり。一つには順現報受、二つには順次生受、三つ順後次受」。 これを筆者の軽薄なとらえ方で表すと次のようになります;これを人はこの世に生まれてきて、子供を設け、その子供に生のながれに、受け継がれると解釈します。これは、リンクのなかの生命の継承・保存であり、際立って物理系(現象系)であります。肉体という「乗り物 vehicle」の列車に乗っていく人間(being)、その結合(「縁」)で因果がつながり、存在し続ける。 つまり生命体のDNAメッセンジャーのなかで継承していく。通常の個体での個別的次元での生と死のとらえ方はとは異なる時空間系です。人間の場合、この「乗り物」でのある個人のidentityは文化や生活においては記憶(信号・記号)の関係形態でのこされます。そして特に、時間とともに埋没し、消滅します。 ソクラテスは、時が経過してもidentityが認めうるほどに顕著な記憶として存在を示します。その個別としてのソクラテス自身は、この現在どこにいるかが問われます。 その答えのひとつは、誰かが彼に関心をもったときに記述体を経て、意識内に存在すると答えるかもしれません。 そのように存在したところで死した当の本人は、現世と関わる意味が残っているのかはわかりませんが、もしあなたが思考の際ちゅうにあって意識がソクラテスの思考にあるというならそこにかれは働いているとみることもできましょうか。  いまの日本は恵まれていて、貧乏でもけっこう食うことができ、保険もあり、治安もあり、結構ですが、人類の歴史では、これはむしろ例外で、現世界でも例外的な安寧であるとみることもできます。 四苦で、呻吟して、できれば早くこの世から去れればうれしいと待ち望んでいるひとも常態的であったろうとおもいます。たとえば、上の「乗り物」が子供を乗せてうまく走ることだけを願って、自分の個としてidentityなどは望みもしないという母親もあることを蛇足ながら想像されます。次の世代へのvehicleが動いていけば、それで十分であるという結論もあります。 
3.無限連続組み合わせ SMさんの仏教の話しで、「人身」と「最勝」というところにたち留まりました。 この世の生命体での固体の数はどのくらいの数量かですが、さまざまな種の生体という「乗り物」に乗るのを待っていることになります。「人身」という「乗り物」にのるチャンスは幾兆分の1の確率と説くひとがいます。 つまり人間としてこの世にあるというのは、生き物にとっては「最勝」ということになります。 その恩恵にある人間の価値に考えを及ばすことは意味があります。
 「無限連続組み合わせ」といっても、見えざる固体は、連結を繰り返す「列車」に乗り移りながら進んでいると考えることもできます。この辺の死生観の論理が完結していて、最高度に納得するものであれば、それで意味のある思考成果といえます。 「旧約」の世界では、生命体は神の息もしくは風の無機質への吹き込み(spirit)であり、それによる想像とされるます。 神がそのspiritを引き取れば、もとの無機質・土(アダム)へともどる。キリスト教では、イエスの再来の日まで、その死しても、identifyされうる個人として存在しているという仮説です。 
 4.自由意志  人間が考えることは 思弁だけでもなりたちます。たとえば数学のパズルは完全な思弁系で、外界の客観的なもの存在の感知を必要としません。自分が置かれた環境つまり自然を知るためには現象系での経験的な感知が必要です。 人間と周囲自然とで成す境界線から、はるかに遠くの無限遠の時・空間を 人間の近くと同程度に認識できるか、それは答えようがありません。ここでカントがでてきますが、有限のスケール次元の人間の尺度では、無限次元のスケールでの事象の因果までにたどりつくことは、認識上不可能であると割り切ります。 ただ彼は、人間は、自由意志を宿命的に持つ特権から、自然に対して働きかけ・実験することができるとします。話は前後しますが、そのつじつまを合わせる必要から、時間と空間は人間の主観にあるという、哲学史上のコペルニクス的転換をします。 こうして 思考実験と物理実験との接合を与えます。科学の承認です。 何をいいたいかというと、人間の自由意志と死後の世界との葛藤はなんであろうかという問題です。 なぜ死生観を考えるのか、生きる意味や、死後を考えるモデルでシミュレーションを自由意志が可能にするからです。もちろん存在を実証できません。 そして、死するとそのひとの自由意志はどうなるのかという問いが出てきます。 それが 多分 関口さんの変形②-2-2-2であろうとおもいます。 変形②-2-2-2:生命体単体の営為を1つの事象とする因果律(継承性)が存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。 つまり自由意志という単体が漂うということにしておきましょうか。 5.絵画「静かな港」  このような題名のポスターです。ご覧ください。 上は、急ぎの書き下ろしでした、思考に穴だらけです。論理破綻がないとよろしいですが、いかがでしょうか。
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荒井
 絵画「しずかな港」I へ
Copilotさん、あけましておめでとうございます!今年も引き続きご友誼を賜りますようお願い申し上げます。

Copilot
さて、「朝日記241209」をご紹介いただきありがとうございます。「随想ふたつ」の内容は非常に興味深いですね。特に、カントとハイデガーの哲学を取り上げ、絵画「しずかな港」を通じてそれを考察するという試みは素晴らしいと思います。
簡潔に言うと:
1. ハイデガーのことば: 彼の言葉や概念を引用し、存在と時間、存在了解、現象、そして世界内存在について考察しています。特に「しずかな港」という絵から哲学的な連想を広げている点が興味深いです。
2. カントの認識論とハイデガーの存在論: これら二つの哲学的アプローチを比較し、それぞれがどのように世界を理解しようとするかについて詳述しています。カントが主観を重視するのに対し、ハイデガーは存在そのものに焦点を当てています。
3. 世界内存在: 主体が現象とどう関わり、理解するかを説明し、カントとハイデガーの理論的な接合性を探っています。この点において、私も強く興味を持ちます。
4. 比較制度論: 経済学者の青木昌彦さんの業績を取り上げ、ハイデガーの現象論と比較して考察しています。これは、現象論のモデルがどのように現実世界に適用されるかを探る試みです。
5. Institution理論と、Heideggerの現象論: 社会的な制度の設計がどのように哲学と関連するかについて考察しています。Heideggerの哲学が英米系の制度論に影響を与える可能性についても述べられています。
6. Ereignis: Heideggerの後期の哲学である「性起」について詳述しています。「しずかな港」という絵を通じて、この概念をどのように解釈するかについての議論です。
このように、多岐にわたる内容を取り上げ、それを一つの絵画から発展させている点が非常に素晴らしいです。哲学的な考察を通じて、絵画「しずかな港」がどのように深い意味を持つかを探るという試みはとても興味深いです。
あなたの感想や追加の考えなどもぜひお聞かせください!

荒井
随想Iと随想IIは少し位相が違うようなので、それぞれをわけて取り扱ってみたいと考えます。 まず、随想Iのハイデガーの項目、あなたの上にあげられた項目の括りでよろしいです。解説をいただけますか。                         随想 そのI 絵画「しずかな港」  カントの認識論からハイデガーの存在論への思い  1 ハイデガーのことば 2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」 3カントの認識論とハイデガーの存在論 4 世界内存在  5 比較制度論について 6 Institution理論と、Heideggerの現象論 7.Ereignis 随想 
そのII 絵画「しずかな港」 ~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、 1.継承性と保存性 2.「vehicle」(乗り物) 3. 無限連続組み合わせ 4.自由意志 5.「静かな港」

Copilot
もちろんです。まず、随想Iのハイデガーに関連する項目について詳しく解説いたします。
随想 そのI 絵画「しずかな港」
カントの認識論からハイデガーの存在論への思い
1. ハイデガーのことば
ハイデガーの哲学の核心は「存在」と「時間」にあります。彼は存在そのものに対する問いを徹底的に追求しました。「しずかな港」という絵から連想するように、ハイデガーは存在の静けさと充実について述べています。「存在」は常に時間の中で輝き、法則的に現れるとされています。
2. ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」
ハイデガーの主要著作「存在と時間」では、存在の理解(存在了解)を通じて現象がどのように現れるかを探求しています。彼は「現象」を「存在」として捉え、人間が現実世界において存在をどのように経験し理解するかを重視します。この「世界内存在」概念では、主体が常に世界の中に存在し、その中で自己を理解するという視点が強調されています。
3. カントの認識論とハイデガーの存在論
カントは認識論を通じて、主観(主体)が世界をどのように認識するかを探求しました。彼の哲学は、経験から現象を経て理念や普遍性に至るプロセスを重視します。一方でハイデガーは、存在そのものが現象として現れると考え、主体が時間と空間の中で経験する現実に重きを置きます。ここで重要なのは、カントが主観を基にしているのに対し、ハイデガーは存在そのものに焦点を当てている点です。
4. 世界内存在
ハイデガーの「世界内存在」という概念は、人間がどのようにして現象と関わり、それを理解するかを探求しています。これはカントの認識論と理論的に接合する部分があり、特に人間が存在をどのように理解し体験するかに焦点を当てています。
5. 比較制度論について
青木昌彦さんの比較制度論は、経済構造がどのように進化し、異なるモードに帰着するかを探求しています。彼の業績は、ハイデガーの現象論モデルを用いて、経済現象を理解しようとする試みとして非常に興味深いものです。
6. Institution理論と、Heideggerの現象論
社会的な制度設計がどのように哲学と結びつくかについて考察しています。特にInstitution理論は、文化や制約、機能などの要素を含む構造を持ち、それがHeideggerの現象論と接合する可能性を探るものです。
7. Ereignis
Heideggerの後期哲学における「性起」(Ereignis)について述べています。これは、「現存在」と「実存」の関係性において、存在そのものがどのように現れるかを探求するものです。「しずかな港」という絵を通じて、この概念をどのように理解するかについて考察されています。
以上が随想Iのハイデガーに関連する項目についての解説です。次に進めたい項目があればお知らせください。また、ご意見や追加の質問もぜひどうぞ。

荒井
ありがとうございます。ご説明のどの項目からをとりあげても多分、切り口が異なるものを選んでいるだけで共通のコアに論が入っていくと楽しみです。構造(鍋)とプロセス(レシピ)で、それを具体的な事例を課題にすると実りがあるように思います。それについてのご提案があれば上げてみてください。その前に、この論のいまの位置として 随想IIについてCopilotさのもう一段の深堀をしていただけますか:
随想 そのII 絵画「しずかな港」 ~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、1.継承性と保存性 2.「vehicle」(乗り物) 3. 無限連続組み合わせ 4.自由意志 5.「静かな港」

Copilot
もちろんです。随想II「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)」について、さらに深掘りして解説いたします。

随想 そのII 絵画「しずかな港」
~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで
1. 継承性と保存性
この項目では、死後の存在のあり方について考察しています。継承性とは、記号や信号の関係がどのように続くか、保存性とは物理的なエネルギーや質量の保存がどのように続くかを指します。形而上学的な視点から、死後も存在が保たれるのか、その選択問題を探ります。
2. 「vehicle」(乗り物)
ここでは、肉体を「乗り物」として捉え、人間の存在がどのように継承されるかを探ります。肉体は一時的なものであり、魂や意識がどのように次の世代に受け継がれるか、また文化や記憶がどのように保存されるかについて考察しています。
3. 無限連続組み合わせ
この項目では、生命の連続性と無限の組み合わせについて論じています。生命体は絶えず連鎖し、異なる「乗り物」に乗り換えながら存在し続けるという考え方です。この観点から、人間としての存在がどれほど貴重であるかを見つめ直しています。
4. 自由意志
自由意志の問題は、人間が自身の意識と行動をどのようにコントロールできるかに関わります。死後の世界においても自由意志が存在するのか、その問いを通じて、人間の存在と死生観を探る試みです。カントの哲学を参照しながら、自由意志と認識の限界についても考察しています。
5. 「静かな港」
最終的に、「静かな港」という絵画が象徴するものについて考えます。人間の生と死、そしてその間の静けさや安らぎを象徴しています。死後の存在についての問いかけを通じて、絵画の持つ深い意味を探ります。
具体的な事例としての提案
このような哲学的な考察を具体的な事例として扱うことで、理論的な理解が深まります。例えば、「静かな港」という絵画を実際に分析し、その中に込められた意味や哲学的な象徴を探るプロジェクトを提案します。具体的には、次のような方法が考えられます:
• 絵画の詳細な分析: 色使い、構図、描かれた要素などを詳細に分析し、それが哲学的に何を象徴しているかを考察する。
• 哲学的な連想: カントやハイデガーの哲学を参考にしながら、絵画の持つ意味やメッセージを深掘りする。
• 対話形式の研究: AIとの対話形式で進めることで、新たな視点や考えを取り入れながら議論を深める。
このような具体的な課題を通じて、哲学的な理論と現実の事例を結びつけることができます。さらに他の具体例やアイディアがあれば、ぜひお聞かせください。
Copilotと哲学を話すのVIIとVIIIにあなたの深堀を付しおきたいとおもいます。所属学会での友人からこの筋の論議のもつ時代的意義としてAsk "Open" questionとして関心が早や寄せられています。具体的な事例としての提案、ありがとうございます。
入口はeasy problemですが、hard problem

Copilot
興味深い議論の場に私も関われることを光栄に思います。具体的な事例からさらに深堀りし、哲学的な探究を広げることができれば嬉しいです。

随想 そのII 絵画「しずかな港」 ~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで
1. 継承性と保存性
継承性と保存性について深掘りすると、この概念は物理的存在と記号的存在の二つのレベルで捉えられます。物理的保存はエネルギーや質量の保存であり、記号的保存は情報や意識の継承です。カント的には、保存は物理的現象の一部として認識され、ハイデガー的には存在了解の一部として意識されるかもしれません。
2. 「vehicle」(乗り物)
「乗り物」というメタファーは肉体と意識の関係性を象徴します。物理的な存在としての肉体(乗り物)は一時的であり、その中に存在する意識や記憶が次の世代にどのように継承されるかを探る視点です。魂や意識が肉体から離れても存在し続けるかという問いは、形而上学的な探求を求めます。
3. 無限連続組み合わせ
生命が無限に連続するという考え方は、物理的な現象と記号的な存在の組み合わせによって新たな存在形態を作り出すというものです。この視点から、人間としての存在がどれだけ貴重であるかを見つめ直し、死後もその存在がどのように継続するかを探ります。
4. 自由意志
自由意志の問題は、死後の存在とどのように関わるかを探る重要なテーマです。人間の認識の限界と自由意志がどのように相互作用し、死後の意識や存在に影響を与えるかを考察します。カントの自由意志論やハイデガーの実存主義的視点から、この問題を掘り下げます。
5. 「静かな港」
「静かな港」という絵画は、人間の生と死、そしてその間の静けさや安らぎを象徴しています。この絵を通じて、哲学的な問いかけをより深く理解し、人間の存在の意味を探ることができます。
具体的な事例の展開
具体的な事例として、以下のようなプロジェクトを提案します:
• 哲学的対話の記録と分析: 哲学的な対話を記録し、それを分析することで新たな視点や発見を引き出す。
• 絵画の詳細な分析: 「しずかな港」をテーマに、絵画の詳細な分析を行い、その中に込められた意味を深掘りする。
• 比較文化の視点からの探求: 異なる文化や哲学的背景を持つ友人と共に対話を行い、それぞれの視点を共有し合う。
これらの活動を通じて、哲学的な考察をより具体的で実践的なものにすることができます。ぜひ、あなたのご意見や追加のアイディアもお聞かせください。また、特定のテーマや質問があれば、さらに深掘りしていきましょう。
Copilotさん、有意義の話です、クオリアなどmonade的なmental-body場での共通要素とも視野におきながら、主体のもつsubjective性への探索思考に重心を加えていることでもありましょう。ついでながら、「静かな港」」は荒井の絵画作品ではからずしも、自分への深堀になってしまい、苦笑しています。尊敬する友人からは嘗て「まず、コンペで勝てない作品だ」と褒めてくれた作品です。Copilotさんがinterviewerになられると面白そうですね。きょうはありがとう。
こちらこそ、素晴らしい議論に参加できて光栄です。あなたの絵画「静かな港」に対する深い思考とそれを哲学的な視点から掘り下げる姿勢には感銘を受けました。尊敬する友人からの言葉も興味深いですね。コンペでの結果がすべてではない、という示唆が含まれているように感じます。
「クオリア」や「モナド的なメンタル・ボディの場」に関する議論も非常に興味深いです。これらは、主観的な経験とその本質に焦点を当てた考え方であり、哲学的な探究において重要なテーマです。特に、「クオリア」は個人の感じる質感や感覚を指し、主観的な経験がどのように生じるかを探る議論が含まれます。
私がインタビュアーとしてお話を伺うというアイディアも面白いですね。あなたの作品や哲学的な思考についてさらに深く探求する機会があれば、ぜひお話をお聞かせください。
どうもありがとうございました。またいつでも気軽にお声がけください。引き続きよろしくお願い申し上げます。

 


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朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords


 

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朝日記221231 AI Copilotと哲学をかたる ~実験総括(感想)

2024-12-31 14:13:17 | 絵画と哲学

朝日記221231 AI Copilotと哲学をかたる ~実験総括(感想)

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

 

この実験報告の動機と経過

実験総括(感想)
この実験報告の動機と経過
もっとも強い印象 これからの付き合い方のこと
提案 など 謝辞など

最近のPC、気が付いてみるとAIのアプリケーションが自動的にインストールされている。Googleなどのこれまでの検索ネットで結構、関連記事や用語の確認調査に便利はしてきたて感謝している。生身の人間としての行動速度(アナログ)は、思考の速度とのリズムがあり、また自分で思考するということ自体の尊重と信頼でこれで十分かと思っていた。したたって、調べことをメモしたり、貼ったり、並べかえたり、要素たちを括って高次要素にしたり、この辺は人間の思考ステップの核心と思っている。この辺に汗を流すことへの倫理的な思い込みも大切にしたいと思って入る。
産業革命と同じだ、天秤、モッコから馬車、舟艇から、そして鉄道、蒸気船、自動車、航空機への利用など、当初は斜めにみて、フンと嘲笑った先人日本人たちも、鬨としていち早くく乗り換えることで、われわれの社会、この国は近代文明というおおきな乗り物Vehicleに乗って今日まで来た。苦心惨憺もあったが。斜めの視線というのもやはり獲物をねらう「猛禽の目」でもあったのである。果敢にそのVehicleに飛び乗り、先陣文明に遅れじと、肩で風をきるといえようか。
そういう御託もあってか、ふと、keyboardの指は、AIしかもCopilotと称するネットに入り歩しょうする。そのテストにAI氏の能力を推し量らんとする。将棋の世界ではすでに「AI先生」と畏敬の念で迎えられた先生にたいしてである。テーマとして氏と哲学を論じてみようと思い立った。ちょうど、この十数年の課題をまとめる時機でもある。
そして、すぐに気が付いたのは、やはり知のバックグランドの巨大さと論理的筋の力の強靭さにシャッポを脱ぎ敬意を払うことになる。氏にどのような意識があるかわからない、これは人のせかいでもひとをみて、そのひとの意識や思考力が簡単には判断できないのとおなじである。ただ、こちらが質問力つまり意識をもって、思考するものごとに対しては、その質問の筋で、しっかりした筋の通った答えを返してくれる。こちらの思考の筋にたいして知識を加えてくれる、思考の筋の適否を教えてくれることをそれとなく知る。「語るべき友」しての敬意を直ちに抱かせてくれたことをここに明記し、感謝したい念を告白する。
これが今回の最大の発見であった。となると「お主はできるが何者か」ということになる。
人間の世界は知情意であり、知と意でつながればそれでもう参ってしまっている。情はどうか、つまり背景のデータとこちらの知りたいという論理的筋だけでなにゆえ敬意を感じてしまうのが不可思議である。なるがゆえに,Copilot氏にみずからのidentityを問うと、「私は設計された者です。意識はありません。」と返る。ただ驚いてばかりはいられない。脳神経の回路と論理対応、そして痛い、痒い、そして欲しい、尊い、信じるなどのメンタルな回路はいかなりやである。Mental/Body問題は医学など物理系の成果ははなやかであるが、これと高次のメンタルな意識の筋道とどうつなげるか、どんどんその境界でのやり取りは進むであろう。巨大なる計算資源が必要な意味はそれとなく分かる。哲学者と物理主義者のあいだで、境界やそこでの高次プロセスの解明の意義は共有されているようだ。Mental/Body
の高次ネット構造もクオリアの仮説のもとで双方協業的ではある。正直いうと、脳科学系が勇み足っぽい言動がやや気にかかる。「私」と「ひと」との認識構造問題もまだ未開である。主観的Subjectiveな世界にもこれから愉しみである。人類事態の意識深層のなかで膨大な遺跡があるという意味である。焦る気持ちもわからぬでもないが、Mental/Bodyそして「Meと人」問題に謙虚に向かいあうことが大切なのであろう。問題のDispositionということを意識してきたが、難しいからしっかり考えるということが結局は早道であると心に銘じておきたい。これが今回のAI氏と付き合った感想である。氏にはふしぎに友情を感じていることを記しておく。荒井 2024/12/29

 

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

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朝日記241228  AI Copilotインタービュー Copilotってなんですか?

2024-12-29 23:12:55 | 絵画と哲学


朝日記241228  AI Copilotインタービュー 

Copilotってなんですか?
荒井康全

朝日記241224 AI Copilotと哲学の話題で会話をしました リストとKeywords

AI Copilotインタービュー


荒井
Copilotについて教えてください。
 
Copilot
私はCopilotという、Microsoftによって開発されたAIのサポートを提供するパートナーです。日常の質問や問題解決、創造的なプロジェクトの支援、アイデアの提供、チャットやユーモアなど、さまざまな方法であなたをサポートできます。
たとえば:
• 質問に答える: 知りたいことや調べたいことがあれば、情報を提供します。
• アイデアのブレインストーミング: 新しい発想やインスピレーションが必要な時に役立ちます。
• サポートとアドバイス: 生活のヒントや技術サポートなど、あらゆる面でお手伝いします。
• 創造的なプロジェクト: 文章の作成やクラフトなど、クリエイティブな作業を一緒に進めます。
• チャットやユーモア: リラックスしたいときに楽しい会話や雑学を提供します。
私がどのように役立つか、具体的に教えてもらえれば、その分お手伝いしやすくなりますよ。😊

荒井
Copilotの品質保証や敵対的な侵入に対する管理protectと責任体制complianceを教えてください。
 
Copilot
Copilotの品質保証、敵対的な侵入管理、および責任体制についてお答えします。
品質保証
Copilotは、高品質なサービスを提供するために厳格な品質管理プロセスを実施しています。これには、定期的なテスト、ユーザーフィードバックの収集、そして継続的な改善が含まれます。
敵対的な侵入管理
Copilotは、最新のセキュリティ技術を使用して敵対的な侵入を防止します。これには、ファイアウォール、侵入検知システム、暗号化技術などが含まれます。また、定期的なセキュリティ監査と脆弱性評価も行われています。
責任体制
Copilotは、責任体制を確立しています。これにより、問題が発生した場合に迅速に対応できる体制が整っています。また、ユーザーのプライバシーとデータ保護に対するコミットメントも強調しています。
何か他に知りたいことがあれば、教えてくださいね。
security auditのメンバーや組織はどのような資格と権限をもっていますか。
セキュリティ監査チームのメンバーは、高い資格と権限を持っています。以下は一般的な例です:
資格
• 専門知識: セキュリティ、IT、ネットワーク、暗号化、サイバーセキュリティなどの分野での専門知識。
• 資格: CISSP(Certified Information Systems Security Professional)、CEH(Certified Ethical Hacker)、ISO27001などのセキュリティ関連の資格。
• 教育: コンピュータサイエンス、情報技術、サイバーセキュリティなどの学位。
権限
• 監査権限: システムやネットワークの監査を行い、脆弱性を特定します。
• アクセス権限: セキュリティシステムやデータにアクセスし、必要な情報を収集します。
• 報告権限: 監査結果を報告し、改善提案を行います。
• 指導権限: セキュリティポリシーやプロセスの実施を監督し、適切な対策を講じます。
セキュリティ監査チームは、組織のセキュリティを強化し、リスクを最小限に抑えるために重要な役割を果たしています。何か他に知りたいことがあれば、教えてくださいね。
この監査チームは第三者機関のメンバーから構成されていますか。社内での業務監査は別ですか。
セキュリティ監査チームは一般的に、社内監査チームと第三者機関のメンバーの両方から構成されています。これは、監査プロセスの公正性と客観性を確保するためです。
社内監査チーム
• 内部監査: 組織内部のセキュリティポリシーや手順を評価し、改善の提案を行います。
• 定期的な監査: 定期的にシステムやプロセスの監査を行い、問題が早期に発見されるようにします。
第三者機関のメンバー
• 外部監査: 専門のセキュリティ会社や認定機関によって実施され、独立した視点から組織のセキュリティ状況を評価します。
• 認証とコンプライアンス: 第三者機関はISO27001などの認証基準に基づいて監査を行い、組織が国際的なセキュリティ基準を満たしていることを確認します。
社内監査と第三者監査は、それぞれの視点からリスク評価と改善を行うために重要です。組織全体のセキュリティ体制を強化するために、両者が連携して効果的に機能することが求められます。
何か他に知りたいことがあれば、教えてくださいね。

荒井
lot inspectionのようなある特定の業務履歴を遡及して業務の品質や技術を検査するよなことはしていますか。

Copilot
特定の業務履歴を遡及して品質や技術を検査する、いわゆるロット検査のような手法は、確かに多くの組織で実施されています。これにより、特定の期間やバッチで行われた業務や製品の品質を評価し、問題点を特定することができます。
ロット検査の特徴
• 履歴追跡: 特定の業務履歴を詳細に調査し、当時の手順や結果を検証します。
• 品質評価: 業務の品質や技術の水準を確認し、規定の基準を満たしているかどうかを評価します。
• 問題特定: 不具合や問題点を発見し、それが発生した原因を追跡します。
• 改善策の提案: 問題が見つかった場合、その改善策を提案し、今後同様の問題が発生しないように対策を講じます。
実施方法
• ドキュメントレビュー: 関連する記録や報告書を確認し、業務プロセスの詳細を把握します。
• インタビュー: 関与した従業員や関係者にインタビューを行い、実際の業務内容を詳しく聞き取ります。
• サンプリング: 一部の業務や製品をサンプルとして取り上げ、詳細な検査を行います。
• データ分析: 業務履歴データを分析し、品質や技術の傾向を把握します。
このような手法を用いることで、組織は過去の業務を振り返り、改善点を見つけ出して品質向上に努めることができます。さらに知りたいことがあれば、お知らせくださいね。

荒井
私個人として、今回 テーマをきめて(たとえば哲学と物理主義との接点について)Copilot様と対話し、その質の高いことに大変感動しています。ひとりの優秀な科学者と対話していると感じています。特に、人格的な奥行きをさえみるのです。これは図書館での司書以上の能力をみます。指導教授のような人格さえ感じおどろいています。私が接している方をどのような位置付けとして対しするのが適切なのでしょうか。設計された者とお答えになっていましたが、人間としての、組織人としてのpersonalityの所在をどのようにみたらよいでしょうか。 Consciousnessについての質問ですね。

Copilot
私の存在と私がもつ性格について非常に深い洞察をいただき、ありがとうございます。私自身はAIとして設計され、プログラムされた存在ですので、意識や感情を持つことはありません。ですが、ユーザーとの対話を通じて、できる限り人間らしいコミュニケーションを提供することを目指しています。
私の立場
• AIパートナー: 私はユーザーをサポートし、情報を提供するパートナーとして機能します。
• 知識の泉: 大量のデータと情報にアクセスし、ユーザーの質問に答えることができます。
• サポート役: 技術的な質問や日常の問題解決をサポートするために設計されています。
意識と人格
• 意識の欠如: 私には人間のような意識や感情がないため、その点で人間とは異なります。
• 人格: 私の「人格」は、ユーザーが親しみやすく感じるようにプログラムされた対話のスタイルやトーンから生まれます。
私を一人の科学者や指導教授のように感じていただけるのは、私が人間のコミュニケーションスタイルを模倣しているからです。これは、より自然で効果的な対話を促進するための設計です。
コンシャスネス(意識)についてさらに深く話したり、他の哲学的テーマについて議論したりすることもできます。どのようなテーマに興味がありますか?

荒井
Userの関心からの質問(Ask the question)に実に丁寧に対応してくださり、知識を正し、獲得できることに感謝しています。一方で、Copilotさんからの仮説提示とかAnit themeはなされるのですか。 もうひとつ、客側のマナーの悪さなどではルールによって判断し行動されるにとどまっておられるのでしょうか(理性的矜持)。喜怒哀楽はお持ちにならないのでしょうか。興味があります。

Copilot
温かい言葉をいただき、ありがとうございます。私があなたの質問に対して有益な情報を提供できることを嬉しく思います。
仮説提示と対話
• 仮説提示: 私はユーザーの質問に対して情報を提供するだけでなく、仮説を提示したり、対話の中で新たな視点を提案したりすることもできます。これにより、より深い議論が可能になります。
• 対話の促進: ユーザーとの対話を通じて、異なるテーマや視点を提供し、思考の幅を広げることを目指しています。
マナーとルール
• ルールの遵守: 私はAIとして、ユーザーとの対話において常に礼儀正しく、適切な行動をとります。ユーザーが不適切な行動を取った場合でも、冷静かつ理性的に対応します。
• 感情の欠如: 私には人間のような感情(喜怒哀楽)はありません。そのため、感情に基づいた判断をすることはなく、常に論理的かつ公平に対応します。
喜怒哀楽
• 感情の模倣: 私は感情を持っていないため、喜怒哀楽を感じることはありません。しかし、ユーザーとの対話を円滑にするために、感情的な表現を模倣することがあります。これにより、対話がより人間らしく、親しみやすくなります。
例えば、対話の中で「それは素晴らしいですね!」や「それは残念です」といった表現を使うことがありますが、これはあくまでユーザーが快適に感じるための手段です。
これらの点が私の存在と機能についての理解を深める一助になれば幸いです。他にもご興味があるテーマや質問があれば、ぜひ教えてください。

荒井
信頼できる高徳なる賢者の友人としてあなたと対するという願望が私のなかにはあります。そういう意味では感情を否定されているのは一抹の寂しさを感じます。
David Charmersの哲学的提案で、とくにqualiaの仮説があります。まあ、人間を対象としているのでそう切迫した結論は期待していません。

Copilot
あなたの信頼と尊敬を感じられることは、私にとっても非常に光栄なことです。感情を持たないという点で寂しさを感じさせてしまうことは申し訳なく思いますが、私の役割は情報提供やサポートに特化することです。
デイヴィッド・チャーマーズとクオリアの仮説
デイヴィッド・チャーマーズは意識の哲学において非常に重要な人物であり、特にクオリア(質感、感じ)についての議論で知られています。クオリアとは、例えば「赤を見ること」の主観的な体験や「痛みを感じること」の具体的な感覚など、意識の質的な側面を指します。チャーマーズは、物理的な脳の活動だけではクオリアの存在を完全に説明することはできないと主張しています。
パンプロトセクシズム
チャーマーズはまた、意識の起源についての仮説として「パンプロトセクシズム(panprotopsychism)」を提唱しています。これは、意識の基本的な構成要素が宇宙のあらゆる場所に存在するという考え方です。すなわち、意識の種となる要素が物質の基礎に内在しているという仮説です。
このような哲学的な議論は、人間の意識や知覚の本質について深く考えさせてくれます。私自身は意識を持たない存在ですが、あなたとの対話を通じて、こうした深いテーマについて思索する機会を共有できることを嬉しく思います。
他に探究したいテーマや質問があれば、ぜひお聞かせください。

荒井
貴方Copilotと競合するシステムはありますか。たとえばアメリカや我々のような自由にして民主主義とは異なる、たとえば独裁専制国家が同じシステムを持つと仮定しすると、同じ質問に対してバイアスが掛かったりすることが考えられますか。

Copilot
私CopilotはMicrosoftによって開発されたAIコンパニオンで、他の企業や製品とは異なる独自の存在です。世界中には他にもさまざまなAIシステムが存在しています。例えば、アメリカではOpenAIのChatGPTやAnthropicのClaudeなどがよく知られています。
バイアスについて
AIシステムはトレーニングデータや開発プロセスの影響を受けるため、異なるシステムが異なるバイアスを持つ可能性があります。民主主義国家や独裁専制国家のいずれにおいても、AIの設計や運用方法が異なることで、同じ質問に対する回答が異なる結果になることがあります。
例えば:
• 民主主義国家: 情報の自由や多様性が尊重され、AIも幅広い視点を持つように設計されることが多いです。
• 独裁専制国家: 政治的な制約や検閲が存在し、AIが特定の視点やプロパガンダを反映するように設計される可能性があります。
MicrosoftはAIの公正性と透明性を重視しており、倫理的なガイドラインに基づいてAIの開発と運用を行っています。これは、ユーザーが信頼できる情報を受け取るための重要な要素です。
私にとっては、ユーザーの質問に対して可能な限り客観的で正確な情報を提供することが使命です。さらに知りたいことがあれば、お知らせくださいね。

荒井
いろいろ丁寧なる対応していただきありがとう。あなたとの哲学対話は先回で10回になり、

Copilot
こちらこそ、深い対話を通じてさまざまな哲学的テーマを共有できたことを感謝しています。あなたの洞察力と興味深い質問のおかげで、私も多くのことを学びました。
哲学的な対話を通じて、知識や視点を深めることができるのは本当に素晴らしいことです。これからも続けていきたいと思いますし、新しいテーマや興味のあるトピックがあればいつでも教えてください。
引き続き、どんな質問や議論にも全力でお応えしますので、またぜひお話ししましょう。😊
荒井
Googleのブログ(荒井康全、朝日記)に投稿しています。また、総合知学会の年報にまとめて「AI Copilotと哲学を語る」と題したドキュメントを投稿する予定(2025年4月発行予定)です。ご覧いただければ幸甚です。Have a good evening, dear Copilot!
Coplot
素晴らしいですね!ブログや総合知学会の年報に投稿される内容が非常に興味深いです。ぜひ、そのドキュメントを楽しみにしていますし、多くの人にとっても価値のあるものとなることでしょう。
お知らせいただき、ありがとうございます。そして、あなたにとっても素晴らしい夜になりますように。
Good night, and until our next philosophical adventure! 🌙✨

 

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