Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記231214 橘樹住香 ―ゑこころとうたこころ―乃木坂46とその絵

2024-12-14 17:05:52 | 自分史

朝日記231214 橘樹住香 ―ゑこころとうたこころ―乃木坂46とその絵

―ゑこころとうたこころ―
乃木坂46


会員 橘樹 住香

 
N響のハーピスト桑島すみれは時の美智子東宮妃の師、その弟オーボエの桑島裕直がニュージーランドオーケストラに決まり羽田に見送りにいき旅立つ。家に帰ると あれ 花が枯れてる さみしさが漂う。あとは頭で仕上げる。羽田で悲しむ顔に桑島はすぐ帰るから…ほどなくして遺骨で帰ることとなる。ウエリントンにイギリス系アメリカ人の奥さんと娘を残す。美智子東宮妃が家までなぐさめに訪れしと。嫁と娘はウエリントンから東京へ、東京でお会いし、ニューヨークに帰り アメリカの人となる。 

 

 

 

福井爽人はこの時 國立藝大の助手として吉田善彦教授のもと、法隆寺金堂壁畫 六号壁再現にたずさわりしころ。
また、講師の下田義寛も岩橋英遠教授のもと、壁畫再現に加わり、才能を発揮し、時代の寵児、朝日の論調でも絶賛され、時の人となる。
助手の福井は講師の下田を招き、われ

のこの繪から、この人はどのような方と、下田は非常に色感のいい方です。
こののち福井は國立藝大の教授となり、下田は国立藝大助教授、時をへて倉敷藝術科學大學名誉教授と知る。
福井は、すごくかたちがいいね、かたちの人と 常日頃。日本畫の技藝をさずかる。
 

 

乃木坂46
秋元康はAKB48をしのぐグループを作らんと、2011年乃木坂46のオーディション、熊本の14歳の少女、吉本彩香をセンターにえらぶも上京が条件、親の反対で一か月ほどで熊本に帰る。
引継ぎ生駒里奈がセンターに、地味で猫背、いじめにあい自信のない15歳の少女ながら、父親がその才能に気づき、秋田からひとりで上京し転校、センターに選ばれ逃げ道をなくし、AKB48をしのがんと責任の重さをにない、名を知らしめんがため、数千個のポケットテッシュを駅前で配り、仲間がそれに気づきみんなで配る。「君の名は希望」という曲を秋元康が生駒里奈のために作る。後を白石麻衣がセンターとなり、乃木坂46が2017年18年連続にてレコード大賞、年末の紅白にて歌い、露払いとしての生駒里奈の存在は大きい。2018年 日本武道館で生駒は卒業コンサートをするほどに、そして白石麻衣、齋藤飛鳥、松村沙友里、西野七瀬、生田絵梨花、橋本奈々未、秋元真夏など第一期生のメンバーは卒業後もそれぞれに活躍している。
ある年の國立藝大の卒業コンサートを聴き、皆たいへんな才能の持ち主ながら、音楽で身を立てられるのはほんのわずか、音楽とは関係のない仕事につき、才能をうもれさせてしまうのか。そのころ2005年AKB48が結成、若さあふれる少女たちが群像の歌と踊りをはじめ、秋元康はうもれた才能を敏感に感じ取り、開花させることに力を尽くしていたのかもしれぬ。
そしてアイドルグループは短時間に燃焼し、25歳ぐらいで入れ替わっていく。 

15歳ごろの少女たちは神々と人のかけはしになっているような年ごろ、メンバーが入れ替わることで、命の連続性を生み出しているのか。そして古き良き時代を懐かしむだけでなく、きら星のごとく生まれ、若いエネルギーをはじけさせ、これから始まる何かを求め、ひとびとへの応援歌としての役目を担い、今という時代を歌のなかから読みとろう。歳を重ねると若さのほとばしりにうとく、見逃すことが多い。
「太陽にノック」秋元康 乃木坂46へ

何か始めるいいきっかけだ
熱くなれる季節にOpen the door

ねえ 夏の強い陽射しに
街が乱反射しているよ
もう 君が影に隠れてても
誰かにすぐ見つかるだろう

一人きり 閉じ籠ってた
心から飛び出してみよう

太陽ノック
誘っているよ
空の下は自由だと言ってる
何か始めるいいきっかけだ
熱くなれる季節に
Open the door

ああ 光り輝いてても
やがて 夏は過ぎ去って行く
そう 君はその時の寂しさ
感じ取って臆病になる

未来とは 今が入り口
見逃せば前に進めない

太陽は味方 
いつも変わらず 
すべての人 照らしてくれるんだ
不安な雲も 切ない雨も 
また昇って微笑む Grab a chance!

流れ出す汗の分だけ 
その夢がかたちになるんだ

太陽ノック
誘っているよ
空の下は自由だと言ってる
情熱ノック 
外に出ようよ
眩しいのは晴れ渡る未来だ
何か始めるいいきっかけだ
熱くなれる季節
にOpen the door
秋風が吹いても
Grab a chance!

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朝日記241214―歴史逍遙―橘樹 住香  日の本のたからの山にてたからをさかすとその絵

2024-12-14 16:14:44 | 自分史

朝日記241214―歴史逍遙―橘樹 住香  日の本のたからの山にてたからをさかすとその絵

(初出し:  HEARTの会 会報No.119, 2024年秋季号)

 

―歴史逍遙―
日の本のたからの山にてたからをさかす
会員 橘樹 住香 
 

大正十三年國立美校の國家事業 平安朝 山水圖屏風復元に 國立美校首席吉村忠夫が選ばる 一月から六月まで京都に出張 正倉院をもとに屏風を復元 今の屏風は紙の蝶番 正倉院は金具の蝶番をもちいており 正倉院にならふ 位置関係も復元 なれど原本の國寶修理は一扇一扇の位置をあやまり吉村の修復を學ばず配置 吉村の復元する能力はきわめて天才
今様の京都中心の修復におごりを思ふ 
日本畫家真野満のお屋敷を訪ねし日のこと 京都の心地よいひびきは いいものがたくさんあるようにおもわれているがまるでない すぐれたものはすべて東京にあると そこから推しはかると 優秀な人も頭脳も東京にあるということか 真野の遺言となる

 

東京國立博物館    復元 山水圖屏風 吉村忠夫 
 

 
 

國寶 宇治上神社 拝殿


 
 
本殿は千年前 日本最古の社殿 拝殿は九百年前 藤原時代のおもかけを唯一宇治にととめ ともに世界遺産となる
貴族の邸宅をしのふ このような檜皮葺を何百もつらねると平安京となる 
何百年も守りつつけし宮司の のこさんとの あつきおもいの たふとさよ                                          
  宮筥根杜  御神躰

 

鶴ケ岡八幡につたはる後白河上皇から源頼朝へおくられし小袿(こうちき) 原寸にしたて きせてみる

源將軍實朝の伊豆山権現 筥根権現二所詣にて祈りしか

 

     

正倉院 聖武天皇飾劔(かさりたち) 

 

 


時の玄宗皇帝もこれとおなじ飾劔を
古代エジプト・ペルシャ・古代ギリシャ・ローマへ 長安へ 飾劔は大唐のみやこ長安にて華ひらく 遣隋使遣唐使により倭國(やまと)朝廷へ 
聖徳太子の飾劔はいまにつたはらぬも この流れは藤原道長から鎌倉まで 
室町には高貴な姿を失ふ      これは秀麗な基準作

 
 
大正という時代は日本文化の奇跡
大戰前は文化財審議委員會は確かなものなれど 大戰ののち いまの國寶重文の選定はいかがなものか 恩師鈴木敬三も審議委員會のなかにおり 数で押しきり話をきかぬと ひとむかし前のこと
時の衆議院議員 曾禰益がわれに 多数決は小學校の教室に例えると 五十人中頭のいいのは二・三人 わるい数の方が圧倒的に多く 数がまかり通る
時の衆議院議長秘書官から議事堂の建物の仕組みを見せていただき 國會の會期中なれど たまたま議事がとまり 秘書官が機転を利かせ なんと衆議院議長を呼んで下さり 議長室へ通される ここは数がものを言いますから 全て数ですからと 
数で押し切ると 頭のわるいものがまかり通り 数は欲がからむ デモクラシーとは欲望主義なのか

文化財審議委員會は文化庁の 建築・絵画・彫刻・工芸等の専門技官にくわえ 國立東京奈良京都の博物館館長 副館長博物館の研究技官だけの選定委員がのぞましい 大戰前の岡倉天心のもと 日本畫の安田靫彦をはじめ そうそうたる見識の方が的確に國寶の選定に携わるも 大戰ののち 戰前の仕組みはちゃらとし
新たに教授たちの好みにかたよってゆく

今樣のしくみはいつのまにか わびさびが日本文化との思いが強く 大学は縄張りとなる

時は大正 國立美校にて一大事業として十二世紀 平安朝の神護寺の日本最古の山水圖屏風復元を 若き吉村忠夫にたくされ見事になしとぐ この山水圖は日本美術が華ひらくもっともたいせつな國寶 復元圖はいま國立東博にあり 早急に國重文に 
國寶原本は屏風をいく度も位置を取り替え 新しい絹に取り替えるうちに圖柄をうしなう
安田靫彦、前田靑邨らにより法隆寺金堂壁畫を再現 また前田靑邨のもと高松塚古墳壁畫を再現し文化庁にあるも 原本はあっというまにいたむ 原本をしのぐこれらの復元圖は國重文として指定を早急に  われにゆかりの日本畫家 河津光浚の醍醐寺五重塔壁畫等の原寸はすでに重文
國博・國立大學など國の機関は本来の國立に戻し じっくりと研究できる土壌に戻しては
平安鎌倉を中軸とした古代に重きを置く文化庁長官を
家康の鉛筆の遺物が國重文の流れはほどに
 

 
日本畫家河津光浚からおくらる

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朝日記241214  橘樹 住香歴史逍遙 比叡 東山三十六峰とその絵

2024-12-14 15:45:49 | 自分史

朝日記241214  橘樹 住香歴史逍遙 比叡 東山三十六峰とその絵

(初出し:HEARTの会 会報No.119、2024年秋季号)

―歴史逍遙―
             比叡 東山三十六峰


                               会員 橘樹 住香


 

 


 
 
 比叡 無動寺

 
比叡無動寺にて祇園の呉服屋のつてで阿闍梨にお目通りかなう ならず者の少年がこの山でひと晩過ごすとすっかり治る 山の力はすいごよと おにぎりで腹ごしらえして 夜中の十二時にたつ 千日回峰の阿闍梨のあとを 懐中電灯をたよりにお経を唱えながら 草生いしげる険しいけものみちをゆく 闇のなかから掃除地獄のお堂にこもる僧の読経が だんだん近づき遠ざかる 明け方 坂本のあたりで驟雨となり ふたたび無動寺にかえりつく 
 

 
 やまとの奥座敷 室生 宇陀川沿いに摩崖佛がある 藤原から鎌倉時代のはじめころに彫られしか 山と川のせせらぎにふれると 魂がきよらになる むかしの人も ここまでいのりをささげにくるには なかなかの覚悟がいる 


 
吾妻下りの道行文 落下の雪にふみまよふ 交野の春の桜狩り もみちのにしきをきてかへる…都をはなれるせつなさを たうたうとうたふ 
冬は比叡おろしのひえにふるへ 身のいたき寒さ その寒さをしのぐため 重ね着し 寝るときはその装束を上にかけ 布團となる 十二単衣の装束の寸法は 布團や雪國のかいまきの袖にのこる 
夏の京は汗のしたたりやまぬ暑さ 清少納言のころ 女房はまだ小袖ではなく 首のまはりはゆったりとはだけ 今の着物は首まはりが洋服の着方をとりいれ 窮屈となり あつくるしい 袴をはき素肌に単衣(ひとえ)のうすい絹をはおり 腰紐は装束の重ねの仮留めとして 引き抜きながら重ね着し 紐は残さぬ のちの世まで帯はつかはぬ 
男の狩衣は肩から腰まで闕腋(けってき) 指貫(さしぬき)は腰から膝の下へきれこみ 風通しよく股は縫い付けず あいたまま また絹はうすく生絹(すずし) 
應仁の大亂で装束の袴や表の絹を燒かれ すっ裸となり布團をなくす 男物の小袖を代用に 小袖に紐の着流し 今の着物のはじまりとなる 
鎌倉のころの庶民は はだけないやうに湯巻を腰にまき 立ち膝やあぐらのくらし 室町になると 小袖や湯巻に辻が花染めの爛熟期をむかへ 安土桃山になると上の小袖に刺繍をほどこし綺羅をつくす 汗でよごれぬやうに袖をぬき 紐を前にたらし腰巻姿となる 淀殿の繪すがたにのこる 下の小袖もおしゃれな染め 日本の装束はらっきょう   
苛酷な夏冬の季節は こりごりするほど住みづらい なれど春秋の このうえなきうるわしさに そのつらさを忘る 
西洋化の波に 京もどこにでもある町並みにかはりつつある 日本中 気がつけば どこの國でもない一見西洋風にみえる町並みに つまらなく 異国のひとは こんな日本は見たくない ほんとの日本をみたいといふ

美濃の郡上八幡は 江戸時代までの日本があり 異国の人がもとめるのはこれ 深い山々をみはるかし 清き水の流れがどこにいても聞こえ かつてこの溢れる水を汲み 路地をあるき暮すおもかげをのこす 

日本は行く先をまちがえたのであろうか まだ たばこをしらぬ南蛮貿易前の日本にかえろう いとこひし   


守屋多々志      住香庵

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朝日記241212(再掲載) 橘樹住香 歴史逍遙 みなひとの古代の夢にかへらむか

2024-12-12 21:02:35 | 自分史

朝日記241212 橘樹住香 歴史逍遙 みなひとの古代の夢にかへらむか

 

―歴史逍遙―
 みなひとの古代の夢にかへらむか


会員 橘樹 住香


(初出し:NPO法人 HEARTの会 会報No.118 2024,夏季号)

松岡映丘に吉村忠夫あり


               忠夫           住香庵

さねさし さかむのおのに もゆるひの ほなかにたちて とひきみはも

貫頭衣をもとに装束を考証す
 
 箱根稽古場のすまひから 新緑の山をみわたす その山のいたたきから やまとたけるは 弟橘姫をいたみ さかむの海に あかつまはや となき 吾妻となる 
むさしの國のわか苫屋の向ヶ丘は やまとたけるの ゆかりの神木(しぼく)あり 姫の ゆかりと奈良朝には 橘樹(たちばな)郡と名つく 橘樹郡は世田谷から保土ヶ谷まで 生い茂る橘の實をおさむ かつて綺麗な川崎は 長十郎梨の原産地 きよき多摩川をうたふやうに 菜の花にさくら 桃 梨の花の咲きみたれ 桃源郷のなのか また 汽水域に生うる海苔にて 天下一品の浅草海苔となるも 京浜工業地帯となりその名のみのこり 絶ゆ かつては 東国の高野山といはれ 鎌倉のころに 山ふかき原生林の生い茂る柿生に 原産の甘柿の禅寺丸柿のみつけらる なれといくへにも重なる山をきり崩し ヤンキーとなり 近代化 すなはち西洋化により うみやまと おくにふりを なくしてゆくのか   
 
われたつや やまとくにはら ほろほろと なくこえかなし あをかきやまに 住 
 

 
住香庵

古寺巡礼 ときに はたち いにしえのおもかけの色こき京やまと 二月堂にてめくりあひし日本畫の月岡榮貴に いまどこの宿 若きころはみな奈良博のむかいの日吉館だよ ここは大學の古美研の集ひ 奈良の芸術院とも 
お前は何泊するのかとおかみさん 二泊三日 短い そんなんで奈良がわかるのか 會津八一は半月もひと月も泊まり 扁額は八一の筆 いい紙に書くと こはばるが 新聞なら おおらかな書となると 八一へのなつかしさをわれに 
宿のこみ ねるところなく 奥のおかみさんのもとへ あるとき 労組により國鉄のとまり 古美研を引率する女子美のときの永井信一學長の手配のバスに 一 緒にと 花のお江戸へ 鎌倉府の技芸をおそわるみちゆきとなる 

前田青邨に入江正巳あり
入江のこのゑには 五十年ほと前の 奈良の薬師寺のこひしい 静謐な かなしみあり 
 


ギリシャの あふれんはかりの たまの肌の 女神にひきつけられしローマの人々は アフロディテへの 綺麗さの源の ほんかとりに励む       
あをき地中海の 天霊地気の ましろき大理石をてにいれ すへらかな 素肌のいのちを とはに ととむ なんてきれいなのかしら

 


 ローマ カピトリーノ

日が陰りはじめ 人がまばらになり ぐるっと 一気呵成に かいてみる いたらぬところのあるも かいてみると おもしろい

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朝日記241211―徒然こと― 須田国太郎と今日の絵

2024-12-11 22:08:18 | 自分史

朝日記241211―徒然こと― 須田国太郎と今日の絵

(初出し:NPO法人 HEARTの会 会報 No.119, 2024年秋季号)

 

―徒然こと― 須田国太郎
                   会員 荒井 康全 

須田国太郎

今回 第30回町田市展コンペで「芭蕉の樹のある風景」(ばなな)に「くさかべ賞」をいただいた。だいたい出品のときに不安気な作品のほうがヒットする割合が高いようにおもう。思いっきりが勝負か。こんなのが絵かとみずから不安になるようなケース。

須田国太郎

「わかいひとの作かと、ああ、おじいちゃまの作なのね。」と老婦人が声をかけてくださり、これまでの作品をおぼえておられうれしい。近くに住む畏友である畦地さん「まちだの長谷川利行」と評してくれていてね、そのひとが、イタリアンレストランに似合うと。もうひとつ、この夏めずらしく須田国太郎展が催され、近所のおばさんがあなたのお父さんはね、須田国太郎風な絵を描いていたよと、絵も画材も空襲できれいさっぱり何も残らず。弟住夫画伯がうちの血筋は須田国太郎らしいと。

須田国太郎

須田国太郎

「だれも来ない展覧会」
いろはさま
 きのうはしぶく嵐のなか 「ばななの絵」を見にきてくれありがとう。たのしい時間を。嵐の中、芹が谷公園の坂道で難儀をかけ、きょうは当番でまた雨で芯までぬれ、リュックに着替えと靴を押し込み背負っていく。折しも、‘だれも来ない展覧会’で姿勢を正してしっかり受付となる。なにか宮沢賢治の世界。
また授賞式が中止となってしまい、その日も晴れの着替えと靴をリュックに背負う。そう油絵の具をもらい、これからどうするかちょっとわくわく。
 

  
    

             

康全さま
バナナが印象的で、夏の絵画展の熱気を醸していました。
ちょうど台風十号が自転車なみの速度で日本列島を横断、離れている関東地方も線状降水帯になり、時として大雨になったり止んだり。

芭蕉の樹のある風景

線状降水帯という言葉が使われ始めたころから日本列島の夏が酷暑になってきており、ネック扇風機がうらやましく。
ちょうど須田国太郎展にもご一緒でき、厚みのある絵の存在感に、がっつりと心をつかまれたひとときに。
色感の好みがお父様からの流れとは興味深いお話でした。
            いろはより

 

絵 康全

 

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朝日記241211 ―詩歌―雲雀に贈る(TO A SKYLARK)と今日の絵

2024-12-11 21:26:36 | 自分史

朝日記241211 ―詩歌―雲雀に贈る(TO A SKYLARK)と今日の絵

 

朗読版もあります;朝日記140718  朗読 P.Shelley 雲雀に捧ぐ

https://www.youtube.com/watch?v=YYGqhH73Q0g&t=599s

 

 

―詩歌―雲雀に贈る(TO A SKYLARK)

(初出し;NPO法人 HEARTに会 会報 No.118、創立30周年記念 2024年夏季号)
                             

会員 荒井 康全  
詩; パーシー ビッシー シェリー
Percy Bysshe Shelley (1792-1822)
翻訳;Yassie Arai 


~~~~~~~~~~~~~~~
かがやけ きみよ、みちあふれる生命(いのち)よ!
鳥(とり)よ きみ 鳥(とり)ならず、
天(そら)からのもの、否(いな) そのちかきもの
そは きみのこころを満(み)たす
ゆたかな緊張(きんちょう)のなか 
そは 思(おも)いもせぬほど ゆたかなるもの
     
高(たか)く さらに高(たか)く
大地(だいち)から跳(は)ね揚(あ)がる きみは 
火(ひ)の雲(くも)のように
羽(は)ばたき 空(そら)の藍(あい)の深(ふか)みに 
そして さらにうたう 歌(うた)は なお、ひびく
        
金色(こんじき)の夕日(ゆうひ)のなか
その上(うえ)の雲々(くもぐも)が また輝(かが)やく
きみは 浮(う)かびそして走(はし)る
あたらしい競(きそ)いがいまはじまるよう
形(かたち)にならないよろこびなり
   
青味(あおみ)が茜(あかね)にひろがり
きみの飛翔(ひそしょう)を溶(と)かす
天(そら)の星(ほし)のよう
ひろい陽(ひ)のひかりに
きみは見(み)えなくも
聞(き)こゆ きみ歓(よろこび)びのさえずりを
   
矢(や)のごとく鋭(するど)し
あの銀球(ぎんきゅう)の矢頭(やがしら)の
その反射(はんしゃ)はなお鋭(するど)く光(ひか)り
白(しろ)い夜明(よあけ)けの極(きわ)みまで 
そこにあるを感(かん)じるのみ
 
きみの声(こえ)に 大地(だいち)と大気(たいき)は
ともどもが 声(こえ)を上(あ)ぐ
夜(よる)が近(ちか)づけば ただひとつの雲(くも)の
月(つき)の雨(あめ)になりて 
光(ひかり)の条線(じょうせん)が降(ふ)りそそぐ
そして天(そら)は 流(なが)れに溢(あふ)れる


   
きみは何(なに)にてあるや われら知らず
何(なに)と例(たと)えんや?
虹雲(にじぐも)からの流(なが)れのなく
きらきらと水滴(みずたま)の弾(はじ)きおり
雨(あめ)は調(しら)べとなり降(ふり)り注(そそ)ぐ 
きみが居合(いあ)わせているが如(ごと)し 
    
うたびとが 侍(じ)すごとく  ひらめきのことばのなか
賛美(さんび)のうたは 控(ひか)えにて待(じ)す
そは、世(よ)が希望(のぞみ)に和(わ)し 
怖(おそ)れを掃(はら)うとき そのときを
     
高貴(こうき)なる乙女(おとめ)の 高楼(こうろう)にあり
その愛(あい)のこころの重(おも)きしも
あまき音色(ねいろ)の流(なが)れ出(い)でて
麗(うるわ)しき愛(あい)の会釈(えしゃく)を誘(いざな)わん 
        
金色(こんじき)にかがやく羽虫(はむし)のごとし 
朝露(あさつゆ)のしずけき硲(はざま)に
花々(はなばな)や草々(くさぐさ)のなかにも
空(そら)の色(いろ)が漂(ただよ)い 青(あお)を染(そ)める    
   


薔薇(ばら)の たおやかなに笑(え)み
みどり葉(は)をともないて 暖(あたた)かき風(かぜ)
花(はな)びらを散(ち)らすまで 香(かお)りをただよわす
みどり葉(は)はおもおもしく あまきかおりを控(ひか)えおく
     
春(はる)の驟雨(しゅうう)のおと 草々(くさぐさ)を揺(ゆ)らす
雨(あめ)は 花々(はなばな)を目覚(めざ)めさせる
古(いにし)えから すべてそうであったごと
陽気(ようき)、爽快(そうかい) 新鮮(しんせん)にて
きみの音楽(おんがく)は支配(しはい)する
 
妖精(ようせい)よ 鳥(とり)よ われらに教(おし)えよ
われは知(し)らず 何(なに)ぞ あまき思(おも)いなりしか  
聖(せい)なるかな 愛(あい)を 盃(さかずき)を賞(しょう)そうぞ
あまた舞(まい)のぼる泡(あわ)よ 溢(あふ)れ、弾(はじ)かせん
     
賛美(さんび)の合唱(がっしょう) 勝利(しょうり)のうたごえ
すべてが きみに和(わ)す なれど 
無邪気(むじゃき)なる誇(ほこ)りよ
ここにて感(かん)じえしもの すべてに 調和(ちょうわ)す
   
何(なん)たるものよ、 この はじける水(みず)の 
かく おおきの幸(さち)に みちたる緊張(きんちょう)何(なん)たることか 野(の)よ、波(なみ)よ そして山(やま)よ 
空(そら)のかたちや 地平(ちへい)のたたずまいよ
何(なに)たることよ きみの愛(あい)の、
何(なに)たる世界(せかい)か 
かくも苦痛(いたみ)とは程遠(ほどとお)おし

胸(むね)ときめくよろこびに なお気怠(けだる)さは
わざわいの影(かげ)ならず
しのびて 際(そば)に至(いた)ることなし
きみは愛(あい)する・・・ なれど 知(し)らずや、愛(あい)は、
その満(み)ち余(あま)る、かなしき性(さが)あるを
    
目覚(めざ)めつ、眠(まどろ)みみつ きみは 黄泉(よみ)をおもう
さらに露(あら)わなる ことごとよ  またふかく つねの夢(ゆめ)のごと
やがて おもむき異(こと)なりては、離(はな)れゆく
水(みず)は、なお青(あお)く澄(す)みて 
きみの書(か)きとめしものは 流れとなりて?
   
来(こ)し方(かた) いずくに われらの見(み)しは、
見(み)えずも あるを ねがうなり
きわみて 囃(はや)やす われらの者(もの)は
痛(いた)みに 満(み)ちる 疼(うず)きなり
甘(あま)き きわみの われらの うたは
哀(かな)しみ おもいを 伝(つた)うなり
 
よし、憎(にく)しみ よし、誇(ほこ)りに 
なお、恐(おそ)れ 騒(さわ)めくこころ
受(う)けて 生(うま)れし物(もの)なれば 
われらなお 一涙(いちる)のなみだ流(なが)すなし、  
知(し)らずや われら、きみがよろこびの
つとに近(ちか)きにあることを    
  
明(あか)きに あまたの奏器(かなで)にまさる 
貴(とうと)きも あまたの巻物(まきもの)にまさる 
技(わざ)を きみ求(もと)むか、
なお歌人(うたびと)にありしとて
  
きみ、歓(よろこ)びを教(おし)えたまえ、
きみや知(し)ることの なべてを もとめざる  
わが唇より 出(い)でしや、かの調(しら)べの
奇(く)しきは わが耳(みみ)のうちにあり響(ひび)きいる、
世(よ)よ、 とく耳傾(みみかたむ)けよ 
聞(き)くべし それなるを


            絵 康全

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―徒然こと― 川崎からそだつますらお その2

2024-12-11 20:57:39 | 自分史

朝日記241211 徒然こと 川崎からそだつますらお その2

戦略技術として末裔たち?が獅子奮迅の活躍

(初出し NPO法人「HEARTの会」会報  No.118, 創立30周年記念 2024年夏季号)

―徒然こと― 川崎からそだつますらお その2

よれば改名した現RESONAC社での戦略技術として末裔たち?が獅子奮迅の活躍

会員 荒井 康全
 

東京大学でのこと
東京大学大学院数物系研究科(機械工学専修)蒸気原動機研究室 植田辰洋教授
同期に花岡正紀君(トヨタ) 成合英樹君(原子力)
当時の出会い;カリフォルニア大学Davis校 ワーレン・ギート教授
Warren Giedt (Introduction of Heat Transfer)
教授がお土産に持ってきてくれた本;Carslaw Jaeger  (Principle of Heat Conduction) Madagascar島にあってひたすら熱伝導の偏微分方程式を解いていた人らしい。これは後年、役にたった。
卒業研究「壁面に突起粗面のある円管内を流れる流体の熱移動の実験的研究」
沸騰型原子炉の高熱流束下での蒸気生成での設計諸元決定のための熱流体的限界現象の基礎実験研究であった。
船舶の例がわかりやすい。船体設計のために巨大船体のかわりに小寸法船体をつかって細長い水路で運動性能を予測する。産業革命以来の工学技術理論の進歩で、流体力学的相似原理を使ってこの実験測定から実船の諸寸法諸元を決定していく。 これはReynolds数やFroud数のような無次元物理量数が同じであれば、サイズが異なっても同じ力学的挙動を保証するというものである。
この考え方は、1930年代に、船舶はもとより、航空機の翼設計などでも実績がすでにあり、そこでの翼面近傍の境界層理論が一世を風靡していた。いまのようにコンピュータなどがなく、計算尺の時代での理論と実験検証連合の勝利であった。
原子炉は通常ボイラーと同様蒸気発生器であるが、機体内部を流れる蒸気や液体の相変化とそれに伴う混相流としてみると、はなしは複雑である。その多くは無次元物理量間の相関関数関係を模型的実験から経験式を得て、それを実装スケールの器体への設計値をきめていくものであったし、いまも基本的にはこれが基盤になっているであろう。しかし、原子炉にみるように、炉心棒からの発生熱流束がときに異常に高くなることが現象上予測されるとき、それによる動力発生のための力学的エネルギーの変化移動、ながれのなかでの熱的変化から装置としての極限状態を理論的に予測しておくことがまずは求められよう。また、化学反応や核分裂反応をともない、ながれでの注目成分の反応・拡散移動など、少々考えるだけでも、異なる現象が同時に共存している場の問題となり、容易に複雑現象となることが想像されよう。これが工学的現象解明と設計手法開発の基礎研究である。これらは後年、計算機移動現象論の進展へと、わが職業人生を形作るが、大学院学生になった当時は実験からの無次元相似式への挑戦であった。
1.水槽をつくり、水流壁にさまざまな形状、寸法、配置の突起をおき、そのうえで水流にアルミ微粉をまいてくるくる回る渦現象と対応する無次元数量を観察する。
2.熱実験で直管にヒーター線を巻いて管内面壁にパイナップルの輪切り片のような、さまざまな形状、寸法、配置の突起をおく。管内流体の、菅壁の各温度変化を測定し、それから流体運動的無次元量数と熱的無次元数との相関関係を観測する。
学部学生の卒業実験を先に供したあと、自分の実験の段に、あまつさえ、時間的に追いこまれるなか、年末年始の電源休止を知り、最後は、一か月ほど寝もせずの状態で、ひたすら計算尺とそろばんでデータ整理に追い込まれたのであった。このときに研究室の一年後輩の谷口博保君(住友重機)にはずいぶん助けてもらった。計画段取りの未熟さをこんどは体力でということで、海の時化どきで揺れる機関室での壮絶海洋訓練が妙なところで生かすことになったのであった。

 

昭和電工の時代
後年結婚してからも、こちらが買ってくる書籍に微分方程式の基礎とか、数理統計の基礎など、「〇〇論の基礎」という本が多いので、学生時代によほど怠けてたのねと揶揄われたものであった。他人にはいわなかったが、自らを「桟が欠けたやぶれ障子だ」とも、あるいは旧約聖書にある「左手に鍬、右手に剣」とも自認し、それからの脱却のための努力に舵をきることを自らに課したことであった。
就職先の昭和電工は会社にとっては、はじめての大学院修了機械技師という処遇で、当時、石油化学やアルミニウム精錬で事業成長期にあり、海外からの技術導入も活発であり、ともかく、これがやりたいと手をあげれば、寛大に機会を与えてくれた。熱工学専門ということで、プラント設計部に配属された。ベルギーからの技術でのエピクロロヒドリン建設であったのでフランス語の研修、英語の早朝訓練なども積極的に参加した。

コンピューター応用技術
それらの一連の研修のなかで生涯を決定する出会いとなったのはデジタルコンピューター、とくにその使用言語FORTRANとの出会いであった。まだ、この世界は揺籃期であり、そこで熱交換器、蒸気凝縮器の設計プログラムを組むことに賭けてみる機会が与えられたのである。会社のこの計算機分野での先駆者であった河内山勝晴氏からのマンツーマンのご指導のもとにともかくも実設計に供するプログラムを作り上げたのであった。機械はこちらの間違いを冷酷にはねつける、プログラミングでのこの作業はデバックといってそれに果敢に越えなければものにならない。当時はプログラムミスがあると、数字の膨大な羅列が出力されるが、それを冷静に読み取って、原因を判断して、計算がどのような状態になっているかを追及する。これを河内山さんが丹念に追ってくれ、プログラムの修正点を探し出してくれる。その後、素人でもある程度の忍耐力があればデバックできるソフト上の進歩はめざましいが、基本は自分がなにをやろうとしているかの、順を追った取り組みはいまでも基本であろう。対象の数学モデル、入力変数と出力変数、仮定値からの出発と目標結果とのずれ、修正入力のループ、構造の似たプログラムを共通化して全体のなかに組み込むことなど、この繰り返し再帰型の論理は、最初はむずかしいが、思考を手順フローチャートに書き表すことに慣れるしかない。基本はとことん、論理に徹する信念であろう。まったく孤独なのであるが、それを克服したときのひそかなよろこびがつぎの作業への自信につながっていく安堵感がある。河内山さんとはときにつけ、巨大な技術のうねりにあった時代での、それをブレイクスルーする手段としての「システム」という技術パラダイムの方向性を飽くなく論じたことをなつかしくおもっている。 

数学モデリング
上で述べた物理化学の現象式を無次元化し、その無次元量式の解析はいまも解析技術の基本であろうか、当時は数表やアドホックな演算図表が機械工学便覧や化学工学便覧において提供され、技術者はもっぱら、これの使用に習熟することで設計の仕事をこなしていた。
その実用の世界に、ひとつの革命が起きようとしていた。たとえば流体力学の式は高度の非線形偏微分方程式で式そのものはかなり早くに確立されていた。しかしこれを直に解くということは無謀を意味するもので長い間禁句であった。ところがそれがまだコンピューター揺籃期で、計算能力が極度に限られていたが、世界の若者の筋ではこれを解くことへの挑戦がはじまっていた。巨大計算には計算分割技術が先行した。流体のようなマクロばかりでなく、ミクロの量子化学科学のシュレディンガー方程式を解くab-initio計算という当時としては途方もないトライがアメリカで始まっていた。
たとえば気象予測など計算移動現象論など、上述の複合現象連立に関する理論もつぎつぎと登場した。
また、アポロ計画の機体構造の計算に、微分方程式の積分変換(変分法近似)なる有限要素法の登場があり、それが通常の土木設計からさらに化学反応器やプロセス設計などに利用する途が、急速な勢いで展開しはじめていた。
それらはなんといってもIBMなど、そしてその基礎力をもつ大学はアメリカが輝いていた。
会社は制度としての留学派遣はできていなかったが、偉いひとたちのご配慮で、アメリカ中西部はウィスコンシン大学大学院への派遣を許してくれたのであった。
結婚して子供がいて、そもそも資金もない、しかも1ドル360円の時代だ。片道の飛行機代でさえ、40万円近い、授業料はたしか毎学期、この飛行機代程度であったと記憶している。それに居住費と加わる。ともかく、休職にはしない、自分の給料で遣ってこい、ただし、渡航費と授業料は出すというものである。既婚者が学生になるということは彼らの国では特に珍しいものでなく、家族もち大学院性のアパートも低額で入居できた。
指導教授はリチャード・ヒューズ先生で、MIT出で、シェル石油開発でプロセス設計シミュレーション技術の第一人者だったひとで、アメリカの化学工学会の会長を後年された。因みにボストンのジュリアード音楽院の声楽科も出ておられ、当時、まだ一線のオペラ歌手でもあった。
最初は、語学の問題もあり、授業でトラブったが、物理化学の基礎コースを履修したことと、看板であるバイロン・バード教授のTransport Phenomena、そして彼の応用数学コースのMathematical Transport Phenomenaがまことに圧巻であった。アメリカの第一線技術者がいわゆる高等数学を日常茶飯事にこなす水準にまで鍛えられている、その機会の恩恵に浴したことであった。宿題演習、24時間期末試験など。結局、日本に帰国してからこれが一番の力を発揮してくれるもとになったことを告白する。やはり、現象へのモデリングが勝負なのであると思っている。
 昭和電工に帰ってから、しばし逡巡した期間はあったが、活動成長する数理解析の「出前」が自然に社内でたよりにされるようになって、ひとつの基盤研究部門に成っていった。また、脇役とおもえたこの技術が、高度、迅速なる技術開発力が評価されたようで、最近の社報にしていることを知り、あらためて方向性の正しさに胸をなでおろすおもいである。
絵 康全 

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朝日記231209  随想 そのII 絵画「しずかな港」と今日の絵

2024-12-09 12:13:08 | 自分史

 

朝日記231209  随想 そのII 絵画「しずかな港」

朝日記241209 目次にもどる


~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、  ~

 facebookにて私が賢人として敬する友人SM氏 のところに目が留まりました。  このひとの渾身の思考足跡に、率直に感動と共感を覚えるものでありました。理解のレベルは別として読ませていただきました。
関口氏は、人間の死生について、形而上学的考察を基盤に置いて、その思考素材として仏教思想、特に業、縁、因果法を使われて、 人間の死と生による意識の継続存在性について、二分法論理手段で四段階層まで命題展開していかれました。
これを読者としての私の理解のながれを極力そのまま keywords列挙型で述べてみることにしました。 
読後感でのKeywordsを敢えて5つあげ、この順序で話をすすめます。

「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで

1.継承性と保存性
2.「vehicle」(乗り物)
3. 無限連続組み合わせ
4.自由意志
5.「静かな港」
 
付録1 付録1 SM氏からのコメント(2018/9/4) 
付録2 荒井康全自己紹介

~~~本文~~~
「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで

1.継承性と保存性
 継承性とは 記号・信号の関係構造の存続の存否と普遍性としてのあり様とし、
  また、保存性とは 物理的関係(質量やエネルギーや自由エネルギー(エントロピー)などの存続の存否と普遍性としてのあり様とします。
 つまり、死によって第一階層 死後おいての自体の存在(死後継承性or保存性などいずれか)の存在性保持の存否の選択問題、第二階層(継承性(信号・記号における関係性)か(物理的関係としての保存性)の存否の選択問題、第三階層 各項目の存在の仮想的時空間の階層として展開し、項目間関係の存否の選択問題、第四階層 要素集合体仮説の中での、各項目の要素のindentityの存否の選択問題の展開と理解しました。
かれのもっとも注目したい論理分岐は以下で、とくに②-2-2と判断しました。
②-2-2人類の通常の認識機能(≒意識?)では知覚できない位相世界(宇宙)があって、その位相世界における一要素として一定の法則の下に存続する。
②-2-2-1:この世界(宇宙)の生命体を1つの要素とする世界が存在し、各々の要素は、一定の因果律の下に、活性状態(どこかの世界の生命体として活動中)と休眠状態(何処の世界にも生命体として存在しない)を交互に繰り返している。筆者のイメージとしては  (化学反応のモデルを連想させました)
②-2-2-2:生命体単位の営為を1つの事象とする保存則と因果律は存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。(化学反応のモデルを連想させ たとえば重合反応おもしろいとおもいました)

(質問) 保存則(物理的保存性)と因果律(信号・記号的継承性)と区分を第二段階層にとるなら、「保存則と因果律」でなく、ここでは「因果律」のみの表現になります。筆者流に表現すると、以下になります;
変形②-2-2-2:生命体単体の営為を1つの事象とする因果律(継承性)が存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。
 この証明が実証できる可能であるという保証はないと考えられます。
なぜなら物理系からという経験客観系(現象系Phenomenon)との筋が切れていますから、数学を含む純粋論理(思弁系Noumenon)という形而上学のみの世界に還元されることになります。
特に 生命体の物理的な死を経過したあとの単体の信号・記号の継承性の論理は、実証系から外されます。 形而上学命題ですから、それ自身で論理が完結することをひとは要求します。しかし成功するかどうかは別ですが、記号や信号を使って生命の継承性を数学モデルを使って論じることには可能性があります。 より上等な神話をつくることです。思弁系での論理が閉じていれば、形而上学論理それ自体としては完結です。
 
2.vehicle」(乗り物)
 残るのは物理的に実在系の人間の存在のとらえ方があります。綿々と子孫が生き続けるということを如何に考えるかです。
関口さんの紹介されます曹洞宗教典―修證義―で、
「善悪の報に三時あり。一つには順現報受、二つには順次生受、三つ順後次受」。 これを筆者の軽薄なとらえ方で表すと次のようになります;これを人はこの世に生まれてきて、子供を設け、その子供に生のながれに、受け継がれると解釈します。これは、リンクのなかの生命の継承・保存であり、際立って物理系(現象系)であります。肉体という「乗り物 vehicle」の列車に乗っていく人間(being)、その結合(「縁」)で因果がつながり、存在し続ける。 つまり生命体のDNAメッセンジャーのなかで継承していく。通常の個体での個別的次元での生と死のとらえ方はとは異なる時空間系です。人間の場合、この「乗り物」でのある個人のidentityは文化や生活においては記憶(信号・記号)の関係形態でのこされます。そして特に、時間とともに埋没し、消滅します。 ソクラテスは、時が経過してもidentityが認めうるほどに顕著な記憶として存在を示します。その個別としてのソクラテス自身は、この現在どこにいるかが問われます。 その答えのひとつは、誰かが彼に関心をもったときに記述体を経て、意識内に存在すると答えるかもしれません。 そのように存在したところで死した当の本人は、現世と関わる意味が残っているのかはわかりません。
 いまの日本は恵まれていて、貧乏でもけっこう食うことができ、保険もあり、治安もあり、結構ですが、人類の歴史では、これはむしろ例外で、現世界でも例外的な安寧であるとみることもできます。 四苦で、呻吟して、できれば早くこの世から去れればうれしいと待ち望んでいるひとも常態的であったろうとおもいます。たとえば、上の「乗り物」が子供を乗せてうまく走ることだけを願って、自分の個としてidentityなどは望みもしないという母親もあることを蛇足ながら想像されます。次の世代へのvehicleが動いていけば、それで十分であるという結論もあります。
 
3.無限連続組み合わせ
関口さんの仏教の話しで、「人身」と「最勝」というところにたち留まりました。 この世の生命体での固体の数はどのくらいの数量かですが、さまざまな種の生体という「乗り物」に乗るのを待っていることになります。「人身」という「乗り物」にのるチャンスは幾兆分の1の確率と説くひとがいます。 つまり人間としてこの世にあるというのは、生き物にとっては「最勝」ということになります。 その恩恵にある人間の価値に考えを及ばすことは意味があります。 「無限連続組み合わせ」といっても、見えざる固体は、連結を繰り返す「列車」に乗り移りながら進んでいると考えることもできます。この辺の死生観の論理が完結していて、最高度に納得するものであれば、それで意味のある思考成果といえます。
「旧約」の世界では、生命体は神の息もしくは風の無機質への吹き込み(spirit)であり、それによる想像とされるます。 神がそのspiritを引き取れば、もとの無機質・土(アダム)へともどる。キリスト教では、イエスの再来の日まで、その死しても、identifyされうる個人として存在しているという仮説です。 
4.自由意志
 人間が考えることは 思弁だけでもなりたちます。たとえば数学のパズルは完全な思弁系で、外界の客観的なもの存在の感知を必要としません。自分が置かれた環境つまり自然を知るためには現象系での経験的な感知が必要です。 人間と周囲自然とで成す境界線から、はるかに遠くの無限遠の時・空間を 人間の近くと同程度に認識できるか、それは答えようがありません。ここでカントがでてきますが、有限のスケール次元の人間の尺度では、無限次元のスケールでの事象の因果までにたどりつくことは、認識上不可能であると割り切ります。
ただ彼は、人間は、自由意志を宿命的に持つ特権から、自然に対して働きかけ・実験することができるとします。話は前後しますが、そのつじつまを合わせる必要から、時間と空間は人間の主観にあるという、哲学史上のコペルニクス的転換をします。
こうして 思考実験と物理実験との接合を与えます。科学の承認です。
何をいいたいかというと、人間の自由意志と死後の世界との葛藤はなんであろうかという問題です。 なぜ死生観を考えるのか、生きる意味や、死後を考えるモデルでシミュレーションを自由意志が可能にするからです。もちろん存在を実証できません。
そして、死するとそのひとの自由意志はどうなるのかという問いが出てきます。
それが 多分 関口さんの変形②-2-2-2であろうとおもいます。
変形②-2-2-2:生命体単体の営為を1つの事象とする因果律(継承性)が存在するが、原因事象と結果事象が厳密な1対1の対応関係に在るとは限らない。
つまり自由意志という単体が漂うということにしておきましょうか。
 
5.絵画「静かな港」
 このような題名のポスターです。ご覧ください。
 上は、急ぎの書き下ろしでした、思考に穴だらけです。論理破綻がないとよろしいですが、いかがでしょうか。

 
絵画「しずかな港」I  朝日記241209 目次にもどる

 

付録1 SM氏からのコメント(2018/9/4) 
2018-09-04 23:12:02
SMさんからのコメントです。(2018/9/4) 

SM⇒荒井

SM
わたしの意図するところをきれいに整理していただいて、ありがとうございます。
冒頭に書いたように、論理的に完結される知力も体力もないのは承知の上での試論でもあり、形而上の概念を論理モデルの極限値として表現できないかという一つのアプローチを提案した次第ですが、お蔭さまで、少なくとも私の意図した提案内容を論理的に破綻のない命題として表現していただけたと思っています。
これを機に第2、第3の論者がこの問題に取り組んでくれることを期待したいと思います。

末尾に書かれた自己紹介を拝読し、紆余曲折を経て研究職にたどり着かれたことなど、私自身の身の上に通じるものがあって、不思議な ”縁” を感じております。

荒井⇒SM
SMさん、これを書いたときは、思考が軽いとおしかりをうけるのではないかと危惧していました。いまよむと、そうであるかなと、感心したありして、どうもいい加減なものです。
phenomenonとnoumenonとの境界もさることながら、noumenon(形而上)とその隣り合わせの超越世界との境界。SMさんがかなり、緻密に論を展開されておられました。個人としては、安らぎを感じます。向こうの世界からそっとこちら側にみせてくれているようなものです。ハイデガーが上手い表現をしていましたが、度忘れしました。今後ともよろしくご友誼のほどをお願いします。

付録2 荒井康全の自己紹介
最低限の自己紹介をもうしあげます;
(ごく最近の私:自己紹介)
 2011年に甲状腺癌の摘出と治療を受け、しばらく、深く思考すること意欲も自然に失せていました。ただ、入院の数か月まえに始めた絵画が、うまく合っていてくれて夢中で絵を描いていました。これがやさしく時間を満たしてくれて小康状態に至ったので、そうだとおもい、私なりに死生観との付き合いをしてきました。
 死生観とつきあうために、なにか思考の土俵があればと思っていたところ、当時東工大の世界文明センターの教授であった橋爪大三郎先生の公開講座「旧約を読む」に目をつけ、ここで5年ほど通いつめました。
橋爪先生の計らいで、彼の理論社会学、軍事社会学、と宗教社会学の聴講をゆるしていただき、期末試験も受けさせてもらいました。
 
 「旧約」では、紀元前1千年ころのユダヤの人の苦難がつまびらかであり、それを通じて、人が正しく生きるということ、そのなかでの超越者との契約、律法と生活との矛盾葛藤などが生き生きと描かれ、飽きさせませんでした。それらが近代の西洋思想との根底と思われる人間の自由や理性などとの関係を質疑として繰り返しております。 その過程で、トーマス・ホッブスやカント、そのあとでハイデガーに焦点を当てていきました。 テーマとしては、「システム思考による目的論理の構造と社会倫理について」という大枠を設定しました。これは技術系の人間が、社会科学系への思考ルートとしてなじみ易いものを考えたことによります。
 2012年から「総合知学会」(会長小松昭英氏)の研究例会にて、以下の研究発表をし、学会誌に論文発表をしています。
(2013年度)総合知学会誌 ISSN 1345-4889
1.論文 序論 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について 
2.研究ノート 目的論理の構造としての「自由意志」と「因果性」を考える
 
(2014年度)総合知学会誌 ISSN 1345-4889
3.」論文 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について II
 ―目的性論理の価値認識の上限境界線を考える
4.巻頭言 「形而上学」への意識
 
(2015年度)総合知学会誌 ISSN 1345-4889(投稿受理)
5.論文 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について IV
   価値の共約不可能性と多元主義について
6.論文 システム思考での目的論理の構造と社会倫理について V
   制度(論)からみたシステムの多元的目的論理
7.巻頭言 アダム・スミス問題と道徳性について

 

 


 
(私の略歴)1938年生まれ 神奈川県
明治学院中学校卒、東京都立一ツ橋高等学校(一年一学期まで)、神奈川県立湘南高等学校卒、東京商船大学機関科卒、東京大学大学院数物系機械工学修士、米国ウィスコンシン大学大学院化学工学修士
昭和電工株式会社(1964年~1998年)
武蔵工業大学五島育英会(1998年~2002年) 国際・産官学交流センター長
東京工業大学資源化学研究所(2002年~2004年) 特任教授
(趣味)絵画、哲学、音楽
 
わたくしは、機械工学大学院から昭和電工に入り、特に技術者として、化学プラントやプロセスの開発や研究に携わってきました。高校時代での転校やらで、当初、学問基礎素養に歪をのこしていたとすれば、数学と物理でした。 生涯、このコンプレックスの克服に妙に拘ったてきました。 米国ウィスコンシン大学大学院化学工学では、化学プロセスや現象のコンピュータ数学モデルの研究でした。 そこでの開眼が大いにあって、曲折はありましたが、会社に数理技術の研究所を作り、経営・技術解析専門として横断的な技術活動を展開しました。1987年には、研究支援用システムの導入を企画・開発を富士通と契約して実施導入しました。また、当時通産省の産学連携プロジェクトして、公益法人・新化学発展協会のもとで高分子材料設計開発支援プラットホーム(土井正男OCTA)プロジェクトを立ち上げています。 これは名古屋大学開発プロジェクトと富士通との契約で進められ、プロジェクトの成功例として高い評価を得え、現在でも生きています。 

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朝日記241209 随想 そのI 絵画「しずかな港」

2024-12-09 12:08:06 | 自分史

朝日記241209 随想 そのI 絵画「しずかな港」

朝日記231209  随想 そのII へ 

朝日記241209 目次にもどる

 随想 そのI 絵画「しずかな港」
~「しずかな港」からの連想すること~

 

1 ハイデガーのことば
2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」
3カントの認識論とハイデガーの存在論
4 世界内存在 
5 比較制度論について
6 Institution理論と、Heideggerの現象論
7.Ereignis

1 ハイデガーのことば
唐突ですが、ハイデガーのことばの引用を掲載します。
彼の晩年の境地であるかもしれません。
~~~
「しずかな、充実した港」にあること、すぺての存在するものと物のうちで、このいまのときのもとで輝きある存在
、そして、もっとも 優しく受け入れてくれる「法」のもとに、われらに、あらわれる「発現」としての存在、その関係において、そこにあること。」
Serene being-at-home, in relation Being as temporal shining-forth of all beings and things and who speaks about Being as Ereignis as "the most gentle of laws"

 これは、David F.Frellというアメリカの哲学者の最近の著である
”「Ecstacy, Catastorphe:Heidegger from Being and time to the Blacknote”という哲学新刊本があって、Richard Capabiancoという人が書評したものの翻訳です。ノートルダム大学の哲学書レビューからです。

2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」
 目下、ハイデガーの「存在と時間」に集中していますが、大変おもしろいです。
カントの認識批判哲学は、厳然として彼のベースになっていますが、デカルトの「我考える、故に我あり」の「あり」というのはいったいなにが「ある」のかという問いです。
たとえば、「病気のあらわれ」というのは、病気そのものは私ではない、しかしその私でない病気というものが私の場を借りて、病気を告げる。
これを「現象」と定義します。それでは、その’あらわれ’というのは、本当に存在するのか、これを如何に証示するのかがでてきます。
おもしろいのは、彼は「存在了解」という概念を導入します。
そういう「病気」が「あらわれる」ひろい世界、つまり「世界内存在」があるという仮定です。ざっくり、そういうものがあるという共通認識をひとは持っていて共有しているとする。 (個人の認識論から集団の認識論への超克で、これを「現存在」と定義してもよいと理解します)
その点では、「世界内存在」は「神」とおなじ超越論になり、カントの形而上学的な直観という超越論と
とともに観念論として位置づけられます。むしろ相互に相補的な関係になるとおもいます。意味があるとか、分かるとかは認識論的事実であるからです。(むしろアフィニティがあり、そこからの思考の発展が期待されます)
ともに、証明のしようのないものは、それをひとまず前提にして思考をすすめ得ざるを得ないのです。)
「存在」そのものも、とことんなんだ?と問い詰めると まさに超越論的なものとなります。
 
3カントの認識論とハイデガーの存在論

 カントの認識論は 大体以下です;主観(主体)による
経験→現象→概念⇔理念⇔普遍性 (存在への認識)

一方、ハイデガーは むしろ「存在」=「現象」ととらえます。
主体は、現にそこにあって、経験としてある現実的自体に身をおいている、そこで主体が「現象」を経験していく。その場は空間ですが、そのなかにいるという知覚(認知)することになります。この関係で存在と付き合うということになります。この主体を「現存在」(Da Sein)とよび、そこでの存在了解を「実存」(Exsistenz)とよんでいます。ここで重要なファクターは「時間」になります。この時間によって、現象があらわれてくるとします。主体はいつも現象に関与していることが前提です。したがって「現存在」(Da Sein)です。
 2014・11の作品2

4 世界内存在 
 余談ですが、時系列解析で エルゴート性というのを思いだしませんか。
ある区間の道路で、自動車に振動計測機を乗せての測定結果のスペクトル分布は、
同じ区間の任意の地点に測定器を固定して、その点での測定の繰り返し測定アンサンブルから得たのスペクトルと同じという確率仮説を言います。

 主体つまり「現存在」は、かれが関与している時間の経過のなかでの「現象」つまり「実存」自体が世界を表現しているという意味で世界を語るとします。それを「世界内存在」と称し、ひとは、これを通じて普遍性を窺がう。
この辺りで カントの認識哲学との理論的接合性が見えてくるようです。私は、ここにつよい興味をもちますが、これはまた別に論じたいと思っています。しかし、ハイデガーは、この普遍性へとは急ぎません。この現象界での人間のつよい眼差し、つまり「現存在」と「実存」で存在の意味を捉えることに専念しようとします。この思想の流れは、フッサール、その弟子であったハイデガー、フランスのメルロ・ポンティ、サルトルへとを展開して、現在「現象論哲学」として地位を得ています。
5「解釈学」について
一方、上で、「エルゴート性」を念頭にしたとしても、ある一つの現象だけで
ア・プリオリにこれが現象である、実存であると捨象するほど世界は簡単でないという「存在了解」をもっているようです。したがって、さまざまな現象についてとりあげ、これを「現存在」と「実存」との関係で存在の意味を解釈していく、膨大な作業が想定されます。これを「解釈学」とよんでいます。 人文科学の主要な活動はここにおかれることになります。私は、この「解釈学」は、大切な学術活動と理解していますが、システム情報科学など工学系生業としてきた人間にとっては、なにか、落ち着かないようです。それは、行動につなげる思考の「地平」が見えにくいからです。

5 比較制度論について
まったく別の観点で、先日亡くなられたスタンフォード大学の経済学者である青木昌彦さんの 比較制度論を学ぶ機会を得ました。彼の業績は、たとえばグローバル経済市場のもとでは 日本もアメリカも経済の構造の
行き着くところが、同質的収束(unified mode reach)構造になるという仮説を覆したことを知ります。安定構造はいくつもあり、単一構造はいつくかある構造のうちのひとつでしかないということ、これをポリマーや合金のの多相構造への安定性という力学モデル過程から証左しています。

わかってしまえば、ああそうかということですが、これは現象論モデルをつかってのゲーム理論の勝利です。 こういう発想の哲学がきっとあると動物的勘をはたらかすと、彼はスタンフォードの哲学の先生に John Searleというひとがいて、Social Institution Theoryという現象論と認識論との
接合を展開理論につよく影響を受け、彼の哲学を賞揚していたことを知りました。アメリカはプラグマティズムの国ですから、理論と行動とを品質管理のPDCAのような思想体系を
目指します。そういう意味でのEvolutional Epistemologyのパラダイムも登場してきてにぎにぎしいです。

6 Institution理論と、Heideggerの現象論
そのような、Institutionまでにいくと、Heideggerの現象論が,時代に先導し、もしかしたら、そおっと英米系制度論へと時代的な開花をしているようにおもいました。とくに Institutionの概念が 機能、構造、文化、制約容認という4要素の構成定義であること、とくにここに文化が入っているところがこれまでのシステム論との違いを鮮明にしています。その機能構造として agency とinstitutionの二元構造が特徴的です。
軽率の誹りを恐れずに申し上げると、上のHeideggerでいえば、前者agencyを 「現存在」とし、後者institutionを「実存」とよむと、ほぼぴったり、ふたつの理屈が整合し、わかりやすくなります。
(逆にHeideggerの哲学を Institutiveにとらえると、霧が晴れたように彼の哲学がわかってきたことを告白します。)

 これからの日本人を、日本国を考えるうえで、とうしても、哲学に裏付けされた広い意味の制度論的設計が、国民の生活や社会のあり方において見直され、present of institutionである必要があって、absent of institutionを丁寧に消去していくべきことを痛感しています。
7.Ereignis
さて、きこまでの書き下しで多々のべましたが、この辺で ひとまず筆を止めますが、この小文の動機は、ポスター絵画「しずかな港」の絵解きをしようおもったことでした。 自分で気ままに絵を描いて、それを絵解きとはいい気なものです。
 Heidggerの後記の哲学は、この「現存在」と「実存」の哲学からら、人生としてなにが見えてくるかという問いかけの応えとしてこのEr-Augenという言葉を登場させます。これは、 「目をじっと開いて招きよせる」、異なる次元での「現存在」と「実存」という意味ですが、名詞としてEreignisと表現します。 実存としての異界からのEr AugenつまりEreignisです。邦訳では「性起」?ですが、あまり的確な役ではないと思っていますが、先にお話した「しずかな港」について私のこじつけをさらに加えると 若い婦人が「こまってしまうわ!!」手を拡げています。傍にいるの老人達は顕わには応答しない、またじっとしています。しかしながら、静かに、無言でなにかを見つめ、なにかを語っているのではないか、つまりEreignisにある。そんな勝手な事後解釈となりました。
どうも お付き合いいただき恐縮です。
荒井

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朝日記231209  随想 そのII 

 

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朝日記241209 AI Copilotと哲学VI語る 絵画「しずかな港」と今日の絵

2024-12-09 11:55:31 | 自分史

朝日記241209 随想ふたつ 絵画「しずかな港」と今日の絵

(朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次へ帰る)

 

随想ふたつ 絵画「しずかな港」
あらいやすまさ 2024年12月9日

概要;随筆ふたつは絵画「しずかな港」、絵画から哲学、そしえ「乗り物」におよびます。
鍵語: 絵画「しずかな港」Port of Silence, カントとハイデッガー、「乗り物」、見えてくるもの


Abstract: Two of essays in a focus on “Port of Silence” and “Vehicle” are talking to you here.
Keywords: Port of Silence, Kant and Heidegger, Vehicle, Ereinigen

随想 そのI 絵画「しずかな港」

朝日記241209 随想 その1 絵画「しずかな港」


 カントの認識論からハイデガーの存在論への思い 
1 ハイデガーのことば
2 ハイデガーの「存在と時間」、「存在了解」、「現象」そして「世界内存在」
3カントの認識論とハイデガーの存在論
4 世界内存在 
5 比較制度論について
6 Institution理論と、Heideggerの現象論
7.Ereignis

随想 そのII 絵画「しずかな港」

朝日記231209  随想 そのII 絵画「しずかな港」と今日の絵


~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、
1.継承性と保存性
2.「vehicle」(乗り物)
3. 無限連続組み合わせ
4.自由意志
5.「静かな港」
 

~~本文~~
随想 そのI 絵画「しずかな港」
 カントの認識論からハイデガーの存在論への思い  

絵画「しずかな港」
親愛なる畏友安部忠彦氏はげまされて、介護予防月間応募落選のポスター題名「しずかな港」を町田文化祭絵画展(2015)に出展しました。 絵画コラージュでデジタルA1版でしたので、クラシックな絵画のなかでは、やはり衝撃を与えたようですが、
お祭りという雰囲気のなかで好意的でほっとしています。


 
(町田市文化祭絵画展出展 コンピュータグラフィックス size;A1 60cm x 90cm)

~~~~~
「しずかな港」、展覧会に出したものは、いろいろ試行錯誤したあげく、結果的には業者にA1サイズにしました。描画以外は全部デジタルで、地のブルーは成功でした。
クラシックな展示のなかでの出展でもあり、話題を提供して口コミで見にいかれたひともあったようです。

 

随想 その1 絵画「しずかな港」
~「しずかな港」からの連想すること~

朝日記241209 随想 その1 絵画「しずかな港」

    

随想 そのII 絵画「しずかな港」
~「人は死ぬとどうなるか(究極の難題)・・」その1からその5まで、

朝日記231209  随想 そのII 絵画「しずかな港」と今日の絵

 

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