朝日記241214 絵画集『京のやま、吾妻のやま』橘樹住香・ 荒井康全
絵画集『京のやま、吾妻のやま』
橘樹住香・ 荒井康全
京のやま 比叡 東山三十六峰 橘樹住香
吾妻のやま 大山・丹沢を描くこと 荒井康全
京のやま 比叡 東山三十六峰 橘樹住香
出典: 朝日記241214 橘樹 住香歴史逍遙 比叡 東山三十六峰とその絵
京のやま 比叡 東山三十六峰
比叡 無動寺
比叡無動寺にて祇園の呉服屋のつてで阿闍梨にお目通りかなう ならず者の少年がこの山でひと晩過ごすとすっかり治る 山の力はすいごよと おにぎりで腹ごしらえして 夜中の十二時にたつ 千日回峰の阿闍梨のあとを 懐中電灯をたよりにお経を唱えながら 草生いしげる険しいけものみちをゆく 闇のなかから掃除地獄のお堂にこもる僧の読経が だんだん近づき遠ざかる 明け方 坂本のあたりで驟雨となり ふたたび無動寺にかえりつく
やまとの奥座敷 室生 宇陀川沿いに摩崖佛がある 藤原から鎌倉時代のはじめころに彫られしか 山と川のせせらぎにふれると 魂がきよらになる むかしの人も ここまでいのりをささげにくるには なかなかの覚悟がいる
比叡 無動寺
比叡無動寺にて祇園の呉服屋のつてで阿闍梨にお目通りかなう ならず者の少年がこの山でひと晩過ごすとすっかり治る 山の力はすいごよと おにぎりで腹ごしらえして 夜中の十二時にたつ 千日回峰の阿闍梨のあとを 懐中電灯をたよりにお経を唱えながら 草生いしげる険しいけものみちをゆく 闇のなかから掃除地獄のお堂にこもる僧の読経が だんだん近づき遠ざかる 明け方 坂本のあたりで驟雨となり ふたたび無動寺にかえりつく
やまとの奥座敷 室生 宇陀川沿いに摩崖佛がある 藤原から鎌倉時代のはじめころに彫られしか 山と川のせせらぎにふれると 魂がきよらになる むかしの人も ここまでいのりをささげにくるには なかなかの覚悟がいる
吾妻下りの道行文 落下の雪にふみまよふ 交野の春の桜狩り もみちのにしきをきてかへる…都をはなれるせつなさを たうたうとうたふ
冬は比叡おろしのひえにふるへ 身のいたき寒さ その寒さをしのぐため 重ね着し 寝るときはその装束を上にかけ 布團となる 十二単衣の装束の寸法は 布團や雪國のかいまきの袖にのこる
夏の京は汗のしたたりやまぬ暑さ 清少納言のころ 女房はまだ小袖ではなく 首のまはりはゆったりとはだけ 今の着物は首まはりが洋服の着方をとりいれ 窮屈となり あつくるしい 袴をはき素肌に単衣(ひとえ)のうすい絹をはおり 腰紐は装束の重ねの仮留めとして 引き抜きながら重ね着し 紐は残さぬ のちの世まで帯はつかはぬ
男の狩衣は肩から腰まで闕腋(けってき) 指貫(さしぬき)は腰から膝の下へきれこみ 風通しよく股は縫い付けず あいたまま また絹はうすく生絹(すずし)
應仁の大亂で装束の袴や表の絹を燒かれ すっ裸となり布團をなくす 男物の小袖を代用に 小袖に紐の着流し 今の着物のはじまりとなる
鎌倉のころの庶民は はだけないやうに湯巻を腰にまき 立ち膝やあぐらのくらし 室町になると 小袖や湯巻に辻が花染めの爛熟期をむかへ 安土桃山になると上の小袖に刺繍をほどこし綺羅をつくす 汗でよごれぬやうに袖をぬき 紐を前にたらし腰巻姿となる 淀殿の繪すがたにのこる 下の小袖もおしゃれな染め 日本の装束はらっきょう
苛酷な夏冬の季節は こりごりするほど住みづらい なれど春秋の このうえなきうるわしさに そのつらさを忘る
西洋化の波に 京もどこにでもある町並みにかはりつつある 日本中 気がつけば どこの國でもない一見西洋風にみえる町並みに つまらなく 異国のひとは こんな日本は見たくない ほんとの日本をみたいといふ
美濃の郡上八幡は 江戸時代までの日本があり 異国の人がもとめるのはこれ 深い山々をみはるかし 清き水の流れがどこにいても聞こえ かつてこの溢れる水を汲み 路地をあるき暮すおもかげをのこす
日本は行く先をまちがえたのであろうか まだ たばこをしらぬ南蛮貿易前の日本にかえろう いとこひし
守屋多々志 住香庵
吾妻のやま 大山・丹沢を描くこと 荒井康全
出典: 朝日記241126 Urbanfantasy(大山・丹沢)を描くこと
吾妻のやま 大山・丹沢を描くこと
Urban fantasies of Ohyama-Tanzawa III 墨大山・丹沢
Urban fantasies of Ohyama-Tanzawa IV 紫大山・丹沢
Urban fantasies of Ohyama-Tanzawa V 青大山・丹沢
Urban fantasies of Ohyama-Tanzawa VI 赤大山・丹沢
さて、以下に四つの絵とカリカチュアを掲載します。
最初の四つは墨、紫、青、赤の山々です。
覚悟してやまの稜線を追ってみました。
晴れのあさで朝雲の時々刻々のうごきが山の前景と後景の区別をあたえます。
朝日が前景の影が後景の山並みに形を投影しているのがわかります。
山並みの凹凸で凸は視覚ではわすかな突起でも単体の山であることを知ります。
雨雲のときも形状形態がわかって山肌がおもしろかったです。
そうなると、あの突起は何であろう、名のある山なのであろうと考え、そして手元の
携帯でGoogleMapのようなもので地図をながめ、これを手で描き、いま見える実物と名前の
対応を試みます。
丹沢山系というのは、平面では工字状をしていて、部屋位置からはこの工の下の一を軸に上の一を奥手に倒したした形態となっている。山並みがよこに前後してならびそれらをむすぶ縦奥行きの山壁があるといった態である。
一方、大山1252mはその丹沢系の前景に位置していることになり、あの烏帽子のような形の登頂から左方になだらかな下降稜線となるが、その下降の始まり辺りから丹沢系がなだらかなふくらみの稜線を引く。丹沢系前景の稜線となる。丹沢山1576mと名のついている突起部分は後景横稜線をつなぐ奥行きの山壁の始めに位置するようである。この奥行き系と後方の横稜線系あたりに登頂群がいくつか重なってみえる。前方山並みは西峰、中峰、東峰と続くが急速に下降、それを補うように前景の辺室山が横にのびてる。これらが前後平行して、一見一体ものとしてこちらに押し出してくる感じである。丹沢山の後方には実質の盟主であろう蛭が岳1673mが、袖平、黍穀山(なんとよむのだろうか)などが重層的に重なる。わが望見との対応を確かめ得ていない。(家に戻ってから県地図をひろげ、わが基点(東急南町田グランベリー駅)から各山頂へ定規で線引きしてみた。測量したひとはすごいなとあらためておどろく。)
執こいが大山は、これまで何度も描いてきた。家内からは「大山大観ね」と揶揄されるほどであるが今回地形上の勉強になった。この山はご承知のように、上述の山頂から右下降がはじまるとまもなく前方に「山」という字態の三つの単峰群がならぶ、三峰山である。伊勢原市あたりまで接近するとこのやまがほどよい迫力を呈するがいまここの点からでは裾部分のグラデーションを構成する。その裏あたりが宮ケ瀬ダムらしい。一方、大山山頂から左下降では裏側から烏尾山とか二の塔、塔の台が視界につらなり階段のように落ちていく対応となる。
この景色を何枚も早描きする。地形的知識はこの場合どのくらい助けになるのかわからないが、すくなくとも形状の特性は抑えていることになるので一応目をつぶっても形にはなる。象形文字的に接近しすぎることはなにか危険であるが、写真的(失礼)写実に接近してもよいが意識はこれらへの拘りをゆるさないようだ。ただ、しらべたことは対象への畏敬をもたらしめ、その天候、時刻でスケッチをいざなうのは事実であった。
今回の入院の方の主題はあとになってしまったが、ICU緊急治療ユニットでのスタッフの俊敏無駄のない動きには感動さえおぼえた。明け方静まり返って、患者への声掛けが聞こえる、患者は結構無理難題を出している。それに対応するスタッフの人とガラがでている。なにもないがスプレー瓶を一つ描く、車いすもおもしろい。こんな無機的なものが描線がはいると意識があらわれるのがおもしろい。いま哲学界と物理学系の話題の中心である「意識のHardproblem問題」へと繋がろうか。これについては別稿にて書きたい。
===
たまたま、立ち眩みが夜中にあって、緊急滞在となった。しかし年相応なのでこれからの2,3年は要注意で養生の課題が課された。たべもの、うんどう、あたまつかい、ほか。
部屋から山々の展望が豪華で幸い主題の立ち眩みの方は軽微であった。
ちいさな画帳とクレヨンを肌身はなさずそっと携え、たっぷりこれに取り組めたのであった。
(友人からのたより)
親愛なる友人の画家からの丹沢大山大観談です
荒井 康全様
荒井さんの「丹沢山系大観」読ませてもらいました。流石によく熟知されておられるんだな
と感じました。スケッチを拝見して驚きましたが、まさに目をつむってもわかる…ですね。
病室のベッドで描かれたと思われますが、墨丹沢は横向きですか?他の3点どれも力強く
晴れやかで、とても入院中とは思えません。私も時々近くの小高い丘に登って大山:丹沢:
富士から高尾山を見ますが、なかなかどれがどうだかよくわかっておりません。一度一緒に
登って教えていただきたいと思っています。須田国太郎懐かしい名前です。若い頃に「犬」
「羽を乾かす?鵜」「スペインの紅い屋根」など感動してました。また荒井さんが言われる
様に長谷川利行の絵の雰囲気も感じます。でも全く違って健康的ですね。
カリカチュアには何となくルオーを感じさせられました。
全く勝手なことばかり書いて申し訳ありません。
来年の寒いうちに(空気が澄んできれい)「見晴らしの丘」にご一緒したいですね。
今後とも、色々教えて頂ければ有難いと思っております。よろしくお願いいたします。
24年11月30日 (anonymous)
友人anonymousさんへの返書
メール拝読しました。「丹沢山系大観」の朝日記とおつきあいいただき
恐縮です。行き当たりばったりで絵にとりくんできたので、今更ながらものごとが
語り掛けてくることにおおげさに感じ取ってしまっています。だからおもしろいとも
言えるかとヨシよしと自分をあやしています。
その延長で「来年の寒いうちに(空気が澄んできれい)「見晴らしの丘」に」のご提案は大賛成です。簡易スケッチブックで1,2枚スケッチできたらいいなあと愉しみにしています。
ちょっとあるくぐらいの感覚でバスにのって赴く、天候のよさそうな日を直前にも
やっときめてお会いしたいですね。
「須田国太郎」という絵付き随筆をあるところに投稿したので添付いたしました。
貴兄が教えてくださったのが縁でおとうと世田谷美術館のかれの展覧会にいったのです。
おとうと一緒に「鵜」、「阿弥陀堂」、「犬」、「落窪神社」などすっかり楽しんでながめていました。
朝日記をみっつほど添付もうしあげます;
朝日記241126 Urbanfantasy(大山・丹沢)を描くこと
御覧になった朝日記ですね。
朝日記240520 AI実験1「Yassie Araiの絵画作品を見たいです」
PCなどにて使えるAIがいかばかりかをテストしています。ちなみに、荒井康全氏を
どのように紹介するか。
朝日記241129 目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次
哲学や絵画のテーマはAIがゾンビであるかBeingであるかを問う恰好の話題になると
考えて、自分の研究課題をつかいながら、AIとの対話をこころみました。
哲学入門のような形をとり、AIへの確認というながれにしました。
しっかりまとめてくれることを知ります。しらず相手の人格的存在を意識します。
そしてかれに問います、あなたは意識をもちますかと。答えはいいえでした。
会社、学校、政府、郵便局などとおなじ社会的service agentつまり法人としての人格が
要求されることに気が付きます。誠実なアナリストと話していることを知りますが、相手が邪悪でないという保証はない。かれらも気が付いていない。知的ゾンビですね。これからの問題であることをAIになげかけています。資料整理などの秘書としての自分の思考の確かめなどの役割りには優秀なのでさらにつきあっていくかとおもいました。
荒井拝2024/12/02
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます