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みなさん、おはようございます。
ラジオ体操。
**徒然ごと
きのうは、母を見舞いました。
京橋のグループ展の絵を4枚もちこみ
絵画談義をしました。
壁の絵を交換しました。ふしぎなもので
部屋の雰囲気が一気にかわりました。
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さて、きのうも、マイケル・サンデルの「公共哲学」にとりくみました。
*ジョン・ロールズ(John Rawls)というハーバード大学の政治哲学者であったひとですが、このひとの公共哲学が、サンデルの思想の骨格になっていることを知りました。
*アメリカは政治哲学では実践家の発言はよく残っているがイギリスのジョンロックやジョン・スチュアート・ミルや、フランスのジャン・ジャック・ルッソーや、ドイツのエマニエル・カントなどヨーロッパ大陸の哲学者と比肩する学者は輩出してこなかったことを率直に認めています。
*そのなかでロールズが特出すべきであるのは、ながらく、功利主義や原理的自由主義が政治理論の優位を占めてきたのが、 雇用や医療など国民の生存の権利を保護する権利主義との間におおきな葛藤があった。 前者が共和党と後者が民主党の主張に代表され、歴史的には、双方に妥協のこころみがくりかえされた。
*サンデルの指摘するところでは 制度は理論の実践であること。
*この二つを超克する理論が二十世紀の後半のながきに渡って見いだせず、双方で落とし穴(トラップ)に足をとられてでいたという。
*ロールズの考えは、社会における非成功者は、生い立ちや教育環境など本人に責任ない部分があり、一方、成功者についても同じ意味において、自己完結性によるものでないと考えた。 なによりも 人間には 自由であるために必要な基本的な部分を受ける権利があるというものである。(負荷のない自由)
*(公共性の哲学を提示したことにある)
*これは、最大多数の最大幸福などにみられるような特定の「善」を優先する以前に 一個人が社会的存在としての権利を「正」とし、これの優位を主張している。
*おもしろいことに、ロールズのこの発想の原点はエマヌエル・カントの普遍的な道徳観をヒントとしていて、英米流の経験主義のながれではないところです。
*アメリカは原理的な自由を理念に建国して以来、 政治的な権力の一元化(連邦化)と分散化(州)との間のバランスを図ってきた。 これが基本的に成功していないとみる。
*最大の問題は、市場が 巨大化して、連邦や州を合せた政府の財政規模以上になった。
*政治が主張する自由な個人という理念が、経済とのマッチングに苦しんでいる歴史であるという。
*この問題は 経済のグローバル化へ問題の先送りになっていてるとサンデルは指摘する。
*こうして、白熱教室の内容を あらためて 吟味しながら見るとやはり、サンデルの「公共善」の考え方などは これからの日本を考えるうえで好い意味で、刺激を与えてくれるとおもいました。(正義という問題を考えると、いつも全体主義への回路への危険性をどこかに秘めていますがと付け加えておきます)
徒然ことでした。
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