朝日記240817 翻訳「ラッセルの逆説」Russell's paradox (その2ー2)
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6.歴史 History
Russellは1901年5月[11]もしくは6月[12]にその逆説を発見した。[12] 彼の1919 年の数理哲学への入門Introduction to Mathematical Philosophyでの彼自身の吟味によって、かれは「最大基数greatest cardinalは存在しないというCantor'の証明にはある欠陥があることを発見するこころみたのであった。」[13]
1902年の手紙で、彼はFregeの1879年Begriffsschrift においてその逆説paradoxes発見についてGottlob Frege への表明であった。それは論理、そして集合理論の意味においての問題の枠組み化、そして特にFregeの関数(機能) functionの定義の意味においての枠組み化にあるとしたのである;[a][b]
私が困難に遭遇したひとつの点がまさにここにある。あなたは(p. 17 [p. 23 above])で述べる関数(機能)a functionもまた、非決定的要素 indeterminate elementとして働くことができると。
これは以前にわたくしが信じたのであるが、いまはこの観方は私にとっては疑わしくなっている、なぜならつぎの矛盾をおこすからである。
いま w は術語predicateであるとしよう:その語(述語)がそれ自身について術語化predicatedできないような術語a predicateであるために。
wはそれ自身について術語化されうるか?
それぞれの答えはその反対に従うits opposite followsのである。
したがってわれわれはw は術語ではないという結論をしなければならない。
同様にそのようなクラスthose classesのクラスclass(ひとつの全体as a totalityとして)はどこにもない、それらは、それぞれは全体として取られていても、それら自身に属していない。
このことから、私は結論する、それはしかるべき状況のもとで、ある定義された集合体a definable collection [Menge]は全体a totalityを形成しないというものである。
1903はかれの1903年のThe Principles of Mathematicsにはそれをつまびらかにしようとした、そこでは彼はくりかえしその逆説paradoxesに遭遇したのであった:[15]
基礎的なこの質問から離れるまえに、特異性矛盾singular contradictionをよりおおくを詳らかに試験する必要がある、それはそれ自身についての術語性predicableのない術語predicatesに関して、すでに言及したものである。…私はCantorの証明を整合reconcileする努力にあったとき、それに遭遇したことを述べておきたい……
RussellはFregeへその逆説paradoxesについて手紙を出したが、それは丁度Fregeが彼の Grundgesetze der Arithmetik.[16] の第二巻を準備中のときであった。
FregeはRussellへ即急に対応した;かれの手紙22 June 1902にはそれが現れている、Heijenoort1967:126–127でのHeijenoort's commentaryの解説がそこには添えられている。
Fregeは付録にその逆説を容認すると書き[17]、そしてRussellがPrinciples of Mathematics,[18]のなかで裏書きするであろうひとつの解を提案したのであった、しかし後にだれかによってそれが不十分なものであると考察されたのである。彼の部分のために、Russellはかれの研究成果の印刷待ちの状態にあった、そしてRussellはdoctrine of types.[20]に関する付録をそれに加えたのであった。
Ernst Zermelo は彼の著(1908)「 良き秩序化の可能性の新しい証明」A new proof of the possibility of a well-ordering (同じ時期につぎの著作として「第一公理的集合理論」"the first axiomatic set theory"がある)[21]において Cantorの素朴集合理論Cantor's naive set theoryでの二律背反antinomyの第一発見者であることを言及している。
彼は言う:「そしてRussell 9が与えた集合理論の二律背反set-theoretic antinomiesへの基本形式でさえ、いまだ彼ら[J. König, Jourdain, F. Bernstein]を説得することできそうなものではなかった。かれらを説得できる形式とはこれらの困難性が良き秩序での降伏者surrender of well-orderingにおいてではなく、集合概念のしかるべき制約性suitable restriction of the notion of setにおいてのみ探すべきであるとことであった。[22]
Footnote 9はかれが彼の要求の賭けであった;91903, pp. 366–368. 私はしかしながらRussell,とは独立に、自身でこの二律背反を発見したのであった、そしてHilbert教授とその他のひとに1903年よりまえにその件について連絡を取ってきたのであった。[23]
Fregeは彼の代数の基礎法則Grundgesetze der Arithmetik の写しをHilbertに送った;上述のようにFregeの最終巻はRussellがFregeと交流した逆説について述べっていたものである。
Fregeの最後の巻(7 November 1903)を受け取ったあと、HilbertはFregeへ手紙を書いた、そこにはRussellの逆説を引用して、Hilbertは言う「私はDr. Zermeloが3もしくは4年前にそれを発見していたと信じている」と。
Zermeloの実際の論議の記録的証拠になるものは Edmund Husserl.[24]の遺稿Nachlass において発見された。[24]
1923年、Ludwig WittgensteinはRussell逆説paradoxについて次のように公の場に晒し"dispose"した:
関数(機能)がそれ自身の引数argumentであることができない理由は関数(機能)のための記号signがすでにその引数argumentの原型prototypeを含んでいて、そしてその記号はそれ自身itselfを含むことができないということである。
関数F(fx)はそれ自身の引数own argumentであることを考えてみよう:このケースではひとつの提案 F(F(fx))があるであろう、そになかでは外側関数 F と内側関数 Fは異なる意味をもつにちがいない、なぜなら内側のそれは形O(fx) であり、そして外側のそれは形 Y(O(fx))であるからである。
文字'F'だけが二つの関数に共通につかわれている、しかしそれ自身によってその文字はなにも記号化しない。
このことは直ちにつぎのことを明示する、もしF(Fu) のかわりにつぎのように書く(おこなう(do)):F(Ou) . そしてOu = Fu.となる。
それはラッセルの逆説 Russell's paradoxのもとに晒される。(Tractatus Logico-Philosophicus, 3.333)
Russell とAlfred North WhiteheadはPrincipia Mathematica 第三巻を著した、それはFregeが為すことができなかったことを為すことを望んだのであった。
かれらはnaive set theory の逆説を禁止することを探求した、それには、彼らがこの目的のために工夫した型理論theory of typesを採用することによってであった。
彼らはひとつの様式として算術を基礎にしてすすめる一方で、かれらが純粋に論理的手段で行えることがすべてが自明であるとはいえないことであった。
Principia Mathematica は知られている逆説paradoxesを避けそして沢山の数学的誘導作業をゆるしたが、そのシステムはあらたな問題を引き起こしたのである。
いずれの事態においても、 Kurt Gödel は 1930–31につぎのことを証明した、それは Principia Mathematica,の多くの論理は、今日第一次術語論理first-order logicとして知られているものであるが、これは完全 completeである、その一方でPeano arithmeticはもしこれが矛盾ない consistentならば、必然的に不完全necessarily incompleteなものであるということを証明したのであった。
このことは、—普遍的ではないがーつぎのことであるとひろく認められていることである、Fregeの論理家プログラムlogicist programが完全to completeになることは不可能impossibleであるということを証明している。
2001年に Russell's paradox百年を祝う世紀国際会議がMunichにてひらかれたそして予稿集が出版されたのであった。[12]
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訳者(荒井) 補注; The barbar paradoxについては 納得にいたるのに多少注意深さがもとめられるのであえて、参考まで以下ふたつの説明をおく
参考説明1;
その床屋は「自分自身を剃らないひとをすべて、そしてそのような人のみを剃るひと」まさにそのひとである。
質問はつぎである、その床屋は自身を剃るか?[1]
この質問に対する如何なる答えも矛盾に陥る:その床屋は自分自身を剃らないひとたちをのみ剃るので、彼自身を剃ることができない。かくしてもし彼が彼自身を剃るなら床屋として特定されていることを辞めることになる。逆に、その床屋が自分自身を剃らないなら、それで彼はその特定された床屋が剃るであろうひとびとおなじ仲間になる、かくして、その床屋として、彼は自分自身を剃らねばならない。
オリジナルの形式では、この逆説は解を持たない、そのような床屋は存在し得ない。
この設問は 「多重質問の誤謬」loaded questionとよばれ、そこには存在しえないはずの床屋の存在を仮定しているのであるから、この設問は空疎な提案vacuous propositionであり、かくして質問そのものが無効falseでる。他の非⁻逆説変形non-paradoxical variationsのものがあるがそれらは違うものである。[3]
(From Barber paradox - Wikipedia)
参考説明2:
ある村にひとりの床屋がすんでいる、その者はひとびとのうちで自分自身を剃らないひとならすべて、そしてそれにかぎり剃る者である。だれがその床屋を剃るか? もし彼(その床屋)が自身を剃れば、彼は(その床屋を剃らない)、しかしかれが自身を剃るならば、かれは(その床屋を剃る)。
この逆説は実際にはそのような床屋はありえないことの証明である、または換言すれば、この条件は不整合のものであることを証明するものである。 ラッセルの逆説の項目を見よ。
(Oxford Reference Barber paradox - Oxford Reference)
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7.応用版 Applied versions
この逆説の版として実際生活に近い状況に置き換えて、論理学者でなくても理解しやすい説明もある。
床屋逆説barber paradoxというのを取り上げる、彼barberは、彼ら自分自身を剃らない男たちすべてallを、ならびに彼ら自分自身を剃らない男のみonly menを剃る者をいう。この逆説はそんな床屋を考えることからの逆説である。その床屋が彼自身を剃るべきか否かを考えるときに、同様なる逆説が現われはじめる。[25]
床屋逆説のような下世話なはなしとしては以下になろう、そのような床屋は居るわけがないし、またその床屋は男ではないかもしれない、そしてそんなむずかしいことをいわなくても床屋は存在できるではないかと。
Russell's paradoxの全体としてのポイントは、回答として「そんな集合は存在しない」ということになってしまうのは、与えられた理論が意味する集合での概念定義が不十分であるとによるものである。
「そのような集合は存在しない」という言明と「それは空集合empty set"である」というそれとは違うことに注意すべきである。さらに言うなら、「バケツはどこにもない」ということと「バケツは空っぽである」ということの間の違いに似ている。
上の件に対するおもしろい例外は Grelling–Nelson paradox であろう、そこでは、言葉と意味はひとと理髪のはなしよりもシナリオ的な要素の方にある。
そのような床屋は存在しないし(そして存在し得ない)ことを言うことによって、この床屋の逆説を否定却下することは容易であるが、しかし意味するところを定義していることばについて類似の何かを見つけるのはむずかしい。
その逆説はつぎのようにドラマ化されたものになる;
いま、すべての公立図書館がその所蔵の書籍の目録を編纂することになったとしよう。
この目録はそれ自身がその図書館の書籍のひとつであるので、ある司書たちは完全を期してその目録のなかに(この)目録を記載する;一方他の司書たちは、それはその図書館の書籍であることは自明であるとして、目録への収録外として取り上げなかった。
さて、これらすべての目録が国立図書館へおくられたことを想像してみよう。それらのあるものはそれら自身を含み、他は含まないとなる。
国立図書館は2種類の総目録を編纂することになる―ひとつはそれ自身をふくむ総目録、もうひとつはそれ自身を含まない総目録である。
この問題は以下となる;これらの総目録master cataloguesにはそれら自身を含めるべきであろうか? 「それら自身をすべて収録した目録の目録」自体に問題はない。
もし、その司書が自身の記載のなかにそれを含めないならば、それは、それ自身をふくまない目録をあつめた真なる目録として残る。
もし、彼がそれをふくめたらば、それ自身を収録した真の目録としてのこる。
しかしながら、司書が初版の総目録で不行き届きでなかったものの、彼は第2版でそれが誤りであったのかなやむことになる。
「それ自身を含めない目録たちの総目録」ということになるので、その司書たちは自分たちの収録のなかにそれを含めることができなくなる、
そして斯くして他の目録に属することになり、それ自身を含む目録のそれとなる。
しかしながら、もしその司書がその職席から離れたならば、その目録は不完全なものとなる。どのみち、それはそれら自身を収録しない目録の真の総目録であることには決してならないのである。
8.応用と関連トッピクス Applications and related topics
8.1ラッセル類似逆説 Russell-like paradoxes
上述の床屋とのわかりやすい事例として、 Russell'の逆説を拡張することはむずかしくない。それをとりあげよう:他動詞 transitive verb ⟨V⟩、これはその目的になるモノ substantive formに適用されるのである。
以下の文章を形つくろう:
その ⟨V⟩erはつぎのものである、かれら自身themselvesに対して⟨V⟩ をしないすべて(そしてそれに限る)the ⟨V⟩ersたちである、往々、"all"という語は"all ⟨V⟩ers"によって置き換えられる。[1]
例えば、ひとつの例として絵描きがある:自分自身を描かないすべての(そしてそれに限る)者を描く絵描き
もしくは選挙:立候補者(代表者representative)、それは自分自身に投票しないすべての者に投票するもの。
The Big Bang Theory,での Season 8 の挿話で、 "The Skywalker Intrusion"、Sheldon Cooper はその歌 "Play That Funky Music"を分析しているが、これは Russell's Paradox の音楽的例を提供していると結論する。[26]
この意味のものに入る逆説としてはつぎのものがある:
- ひげ剃りと床屋 The barber with "shave".
- 初期のRussellの逆説はつぎの内容"contain"を含んでいる;そのコンテナー(集合)はそれ自身を内容物(containers)として含めないが、そのなかにあるすべてを含むもの(集合)である。
- The Grelling–Nelson paradox 記載人 "describer":その記載人(ことば)は自身を記載しない(ことば)すべてを記載する者である。
Richard's paradox 整理番号"denote": 番号配布(数)denoter (number)は、それら番号配布者自体を番号づけしない番号配布(数)を配布である。(この逆説では、数の記述すべては指定された数を獲得する。この術語「それ自身を番号付けしない配布者(数)すべてに配布する」は Richardian と呼ばれている。)
「私は嘘をついている」、言うところの嘘つきの逆説および逆説the liar paradox and Epimenides paradoxである、それらの源は古典的である。
- ・Russell–Myhill paradoxラッセル⁻マイヒル逆説
- 他動詞 transitive verb ⟨V⟩, それは substantive formに適用されうる
8.2関係する逆説類 Related paradoxes
- Burali-Forti paradox すべてのよき秩序all well-orderingsの秩序タイプorder typeについて
- The Kleene–Rosser paradox, 原 は一貫性がないことを、それは自己否定言述によって証明している。
- Curry's paradox (named after Haskell Curry)、これは否定 を要求しない逆説
- smallest uninteresting integer 最小無関心整数の逆説
See also
[edit]
- Basic Law V
- Cantor's diagonal argument – Proof in set theory
- Gödel's incompleteness theorems – Limitative results in mathematical logic
- Hilbert's first problem – Proposition in mathematical logic
- "On Denoting"
- Paradoxes of set theory
- Quine's paradox
- Self-reference
- Strange loop – Cyclic structure that goes through several levels in a hierarchical system
- Universal set – Mathematical set containing all objects
Notes
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