不幸せからの脱出法

「不幸せ」からの解放をテーマにした、スピリチュアルなお話。

「不幸せ」からの脱出法 <3:捉え方・向き合い方の見直し>

2020-02-19 17:35:19 | スピリチュアル

では今回は「ステップ2ー今置かれている状況・環境に対する見方を変えてみる」について考えてみましょう。

例えば今置かれている状況には難点しか見えないような時に、その状況の中に何か前向きになれるような要素を発見できないだろうか?

まず最初に、大前提として「不幸せ」の反対を「幸福」と呼ぶとして、その「幸福」は「幸福感」以上の何物でもないという事を押さえておきたいです。 つまり「幸福」は感じるものであって、具体的な状況・環境そのものではないという事。仮に、物に不自由をしていない人の方が貧困に喘いで不自由をしている人よりは比較的「幸福感」を味わい易い環境下にあるという事が一般論として受け入れられているとしても、それには絶対性はないし、実際に富や名声を有していて鬱に悩まされている人もざらにいるのも事実です。

極論を言えば、現状に満足している貧民の方が不満足な金持ちよりも「幸福」だと考えることができるでしょう。

ここで、英語で言う「Positive Thinking」について考えてみましょう。これは「プラス思考」「積極思考」「前向き思考」などと訳されますが、その中心にあるのは「ポジティブな思考はポジティブな現実を引き寄せる」という考え方で、「精神衛生」の世界はもちろん、競技やビジネスに於ける成功論・自己啓発など、幅広い分野で応用されています。

ポジティブな思考の「効能」「ご利益」としては、血圧の安定、痛みに対する抵抗力、抗うつ、創造性の強化、そして長寿など数えきれないほど挙げられていますが、どんな思考パターンなのでしょうか。

古典的な例としては、水がコップの半分ほどを満たしているのを指して、「コップが半分空だ」と観る代りに「コップに半分水が入っている」と観るというのがあります。 ポジティブな思考の反対は「ネガティブ思考」や「マイナス思考」などと呼ばれ、それに陥るパターンは幾つかあります。 例えば、自己に対する期待設定が高すぎて、小さな成功には満足ができなかったり、逆に自尊心が低すぎるために、物事が思い通りに行かない時には即自責の念に囚われてしまったり、思い込みが激しい為に、過ちを1つ犯してしまった後に、過ちの連続がそれに続くことを自動的に予期してしまったりなど、色々です。 それでは、どう見ても明らかに「損」なネガティブ思考から解放されるためにできることを具体的に見てみましょう。

米国ミネソタ州の名門病院「メイヨークリニック」のサイトでは、「セルフトーク=自己会話、心の声」の言い換えが重要であるとして、下記の具体例を挙げています。

「こんなのやったことないよ。」 → 「新しいことを学ぶチャンスだな。」
「これは複雑すぎる。」 → 「別の角度からトライしてみよう。」
「面倒くさくてこれはできない。」 → 「物事の優先順位を見直して、時間が捻出できないかな?」
「これは過激な変化になってしまう。」 → 「一か八かやってみよう。」
「誰も自分に声なんかかけてくれるわけがない。」 → 「対話を始める糸口はないかな?」
「自分はもうこれ以上は上達できないよ。」 → 「よし、もう一回やってみよう。」

中には若干の時間的・金銭的なコストを伴うものもあるでしょうが、これらを総合的に観れば「得」は明らかですね。

 

(次回に続く)


「不幸せ」からの脱出法 <2:勇気をもって具体的なアクション>

2020-02-12 03:43:57 | スピリチュアル

それでは先ずは、ステップ1)今置かれている状況・環境そのものに働きかける (物理的アプローチ) からみてみましょう。

これには洞察力と行動力が要ります。 ただ、必要となるのはあなたの能力よりも「勇気」です。

今置かれている状況・環境がもしあなたを苦しめているのならば、それを放置せずに何らかの「対処」をしたいところですが、当然のことながら先ずは問題の本質ー苦しみを引き起こしている真の要素をしっかりと見極めてから、それにピンポイントで挑みたいですよね。

先ず病気など体の不具合に対して西洋医学の薬や手術で解決を図るのをイメージしてみましょうか。その不具合の本質が明らかになれば効果的な治療にも至るであろう一方で、初期症状の様子だけでむやみに施してしまうと、場合によっては的外れなアクションになってしまい、マイナス効果を及ぼしてしまう事も考えられます。

病気やケガの問題は一例にすぎないけれど、あなたを悩ましている問題が何であれ、その本質・真の要素を注意深く分析し、見極めを誤らないことがとても大切になります。

例えば、家庭内の不和が悩みの中心にあったとしましょう。 それを何も考えずに「性格の不一致」だと決めつけてしまったとすると、そこからもしかしたら一生後悔するような致命的に誤った判断に導かれてしまうこともあり得るでしょう。 家族の中でのすれ違いなどが、実は症状であっても問題の本質でないことも多々あります。 仮にあなたが知らずにブラック企業に勤めていて、過酷な労働や不法な残業を強いられていて、あなたのエネルギーを不当に奪っているとしましょう。 その結果、家庭で過ごす時間が極端に少なくなり、また残された貴重な家族との時間も、疲れが祟って思うような過ごし方ができない。 そんな場合は、問題の本質は家庭内の「性格の不一致」ではなく、あなたの職場という事になるでしょう。

そして、具体的なアクションに移る際に要するのが「考える勇気」「行動を起こす勇気」になろうかと思います。 現状の生活パターンやリズムから外れてしまうときには、多かれ少なかれ何らかの痛みを伴うものです。 その痛みを考えるとき、私たちは時に考えることすら怖くなり、止めてしまうことがあります。 なので考えることを止めてしまわない勇気が必要なのです。 先の例でいけば、職を変えることに伴うリスクと、家族との大切な絆が崩壊してしまうことのリスクを天秤にかけてみる必要があります。 時に私たちは、知らず知らずに致命的に誤った判断をしていることに気付かされます。 そして、問題が職場だという事になれば、直ちにまずは「無害」なアクションから取っていきましょう。 例えば情報収集。 無料情報誌、ネット検索、職場以外の友人との会話などなど、低リスクで、やって損のないことは意外と沢山見つかる事でしょう。

その他、例えば車・貴金属・嗜好品などの所有物や、趣味、所属する団体などなど、自分が時間や財を費やしている物事の中に、生活に於ける優先順位の高位に置きすぎているゆえに「不幸」を呼ぶような要素がないかについても、探ってみる価値があるでしょう。仮にそれらのことに考えを巡らすのに数時間・数日を要したとしても、そのあとの何年・何十年の年月のことを考えれば、その費やす時間は「一生モノ」級の決定的に貴重な時間になるのではないでしょうか。