あなたの人生の主導権は誰が?と聞かれたら、「もちろん自分自身」と答えるのが最も自然に感じますよね。「権利」として見ても、「責任」として見ても、自分の生き方は自分で決めるし、自分が何を好み、何を考え、物事の優先順位をどのように決めるか等々、主体は自分自身であるべきというのが主流でしょう。
しかし、バイブルによれば、その主流派の考え方こそが究極の過ちという事になり、例えば私たちが鬱になり、不幸せになり、孤独に死んでいく理由がそこにあるという事になります。そして、じゃあ誰に人生の主導権を明け渡すのかというと、「天地をそしてあなたを作った創造主に」という答えになります。
さすがに、これには私たちの殆どが違和感を感じずにはいられません。私たちは「それは他力本願そのものだ」「無責任な生き方だ」と言いたくなります。更に悪いことに、生きる事の主導権を明け渡すという天上界の教えを利用して、宗教団体などがその主導権の譲渡を迫ってきたりすることも普通にあります。
結論を言うと、主流派の「自己責任論」にも宗教団体などの「主権譲渡の勧告」にも騙されてはならず、あくまでもあなたに与えられた権利である「自己決定権」の行使として「天地をそしてあなたを作った創造主」に自らの思いや考えを支配させ、すべての言動を委ねるという事が求められます。そして、この一見他力本願的で「カッコ悪く」見える決心こそが、あなたを苦しみや不幸から解放する究極の選択であるということを、是非知って頂き、その実践をもって検証し体感して頂きたいです。
実際に、一見とても聞こえの良い「自力本願」の「責任のある生き方」、カッコいい生き方があなたをどこに導いたでしょうか?また不幸せからあなたを解放する術を提供できたでしょうか?
最後に、天上界からのメッセージを一つ紹介します。その中には幾つか馴染みのないワードもあるかと思いますが、とりあえず現時点ではこの中で出てくる「わたしの父」は「創造主」、「あなたがた」は私達人間一人ひとり、そして「わたし」の事は「天上界の究極の代弁者」又は「創造主の化身」と捉えて下さい。
今回の天上界からの一言:「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。」(ヨハネによる福音書 第15章1~6節)
(次回に続く)
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【今日の余談】 エレキギターを始めたい方の「最初の一本目」にオススメな、コスパ最強アイテム。シングルコイルタイプとハムバッカータイプの2種類のピックアップを装備しているため、歯切れのよいクリスピーなサウンドから丸くて優しいトーンまで、幅広いジャンルへの対応力に優れています。楽器店にてストラトの年代物等と弾き比べをしてみては。
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