永遠に、幸せになりたい。    by gorosuke

真夜中、いいおっさんが独り海に向かって延々と竿を振る。
アホだな。でもこのアホ、幸せなんだよなあ。

意志の力  

2010-03-17 | メバル
女釣り師の事件の直後、今が尺のチャンスかもしれないと息子の麦と出かけてみたが、
ライトフットの崖は打って変わってベタ凪ぎ状態だった。
ここはべた凪ではまずいいのは釣れない。

麦は一年間の鰹一本釣り漁船での仕事を終え、この4月から琉球大学へ復学するらしく、
おそらくこの先数年は帰ることもないだろう。
これが最後のメバル釣りだと、尺を釣ってやるぞと鼻息荒かったが、
しかし現実は厳しかった。
全くアタリらしいものはなかった。

でも粘った。
底しか可能性はなかった。
根掛かり覚悟で底を引いた。
何度も根掛かりし、ジグヘッドをいくつかロストし、ロストしないまでも岩に伸ばされたフックを直しながらのキャストであった。
強いラインを使っているので、ラインが切れることはなかった。(0.4号11LB)

2時間も粘ったか、少しアタリがでてきた。
食いは浅いが、そのうち乗せた。
23センチ程度。

そのうちもう一匹。同じサイズ。

でかくはないが全く釣れないことはないらしい。
そこで左を狙っていた麦と釣り座を替わる。

左のテトラ際は難しいが、掛かればデカイ。
このポイントに慣れない麦では厳しいだろう、おれが狙っちゃろうと。
で、タイトに狙ってみる。
やはり底だ。
でもかからない。

と、麦が声を上げた。
彼を振り返ると、まあまあサイズがぶら下がっていた。
計ってみると26センチを越えていた。



大したサイズではないが、メバルの時間が来たのかもしれないと活気づく。

しかし、その後アタリなく、それっきりであった。

帰りにイージテトラに寄ってみるが、ここはさらにベタ凪、水も澄み切っていて
全くお話しにならなかった。


その後天候は冬に戻り海は荒れまくった。
もう釣りどころではなかった。

女釣り師の事件のコーフンも尺の夢も次第に遠ざかり、
もっぱら部屋にこもり本の世界に没頭していた。
ヘッセに捕まったのだ。

「シッダールタ」からはじまり「知と愛」にはまり込んだ。
天才的思索家ナルチスと愛と苦悩の芸術家ゴルトムントの物語である。
小生も芸術を仕事とする者の端くれである。
ゴルトムントの放浪は愛と苦悩、自由と孤独、死と命の輝きに満ちて
もはや、単に本を読むというより、一緒に放浪しているようであった。
そして、芸術とは何か、作るとは何か、を改めて考えさせられ
それは、日頃怠惰をむさぼり、いい加減な暮らししかして来なかった小生にとって
ヘッセに叱られているようでもあった。

ゴルトムントの旅は終わり、そろそろ仕事にかからねばと思いながらも
つい「デーミアン」に踏み込んでしまう。
この物語も面白い。ふむふむ、と思っていたところ、

突如、二人の青年が現れた。3月14日のことである。
羽咋の釣り猛者O君と羽咋の釣具センターあさの、の若大将かっちゃんであった。
二人はやる気満々の笑顔で「メバル行きましょう!!」と言う。
天気予報を見ると1メートルの波。いけるかもしれない。
しかし、釣りの準備も心の準備もできていない。まったく。
でも、二人の笑顔を見ると行かずばなるまい。

二人と近況を喋りながら、FGノットを編み直したり、飛ばしウキのシステムを作ったり、ワームやジグヘッドを揃えたり。

みんなで晩飯を食って、いざ、でかけた。

羽咋はこのところデカメバルが釣れないのだと言う。
目標は25センチです。と二人は言う。
ライトフットのポイントで掛かれば25センチは難しくない。

そのライトフットの崖に着いたのは10時半だったか。大物を狙うにはやはりここしかない。
前回、麦と出かけた時は凪で駄目だったが、今回は荒れ過ぎだった。
おまけに新月、真っ暗である。
月が雲に隠れて真っ暗というのと違って、ほんとに真っ暗、暗なのである。
足下の海は怒濤のサラシであり、時折高い足場を波が駆け上がって来る。
でも、ベタ凪よりはましである。
サラシの向こうへ、飛ばしウキをフルキャストする。

しかし、アタリはなかった。
いろいろ深さや方向を変えたり、プラグに変えてみたり。
激渋。
三人とも全くアタリはなかった。
風も向かい風になり、手も凍えて来た。

移動。
イージーテトラへ。

このポイントもこのところパッとしないが
新月はここにはもってこいの条件だし、波も1メートル弱、悪くなかった。

しかし、ここも渋かった。

でも、ほんの時折、テトラ際と足元近くの底でわずかなアタリがある。
小さいやつか。
そのわずかなチャンスを丁寧に拾うように、乗せる。
なんとかその夜の一匹目。24センチ。予想よりデカかった。



その後、20センチ。
この釣り座はなんとか釣れなくはない。
近くでやっていたかっちゃんを呼んで、その釣り座でやってもらうことに。

小生は右隣の釣り座で祭りにならないよう右手を狙う。
右テトラ際、底を根掛かり寸前でゆっくり引いているとコツンと来る。
23センチ。



かっちゃんにもアタリが来て一匹釣り上げる。
15センチ。リリース。
また一匹、18センチ、リリース。

今夜はこんなものか、居着きの小さいやつしかいないらしい。

と、思っていると、何処か遠くでやっていたO君がやって来た。
「釣れましたよ。25センチオーバーですかね。」
と笑顔で魚を差し出し見せてくれる。
堂々とした魚体。25センチを遥かにオーバーしている。
メジャーを出して計ってみる。
27.5センチだった。
「なんとか目標達成です。」と嬉しそうに目を輝かした。



ここで29センチをあげたことがある。しかし、活性の高い時だった。
こんな激渋で27.5センチとは、流石猛者である。

「どこで?」と聞くと「テトラの左端で。足元っす。足元しか駄目ですね。」と言う。
そしてまた何処かへ消える。

そのうち、かっちゃんもかかった。
ロッドがいい感じに折れ曲がっている。
おっ!!やった、やった。
抜き上げ慎重に握る。
引きの割にはさしてでかくはなかった。
23センチ。



でも、かっちゃんの今年の自己記録らしく、顔一杯で喜んだ。

その後、かっちゃんも小生もぼちぼち。
みんな20センチ弱。リリース。

と、再びO君がやって来る。
「また釣れました。」と。
見せる魚はまたデカイ。27センチだ。
「今度はテトラ右端で。やはり足元で、根掛かり覚悟でシェイクでやると掛かりました。」
その他、20センチが数匹釣れたのだとか。

その後、粘りに粘る二人だったが掛からない。
小生も場所を変え、足元を探ってみるが小さいのばかり。
そのうちテトラの上で足元がふらついて来た。
疲れたと感じる。このところ、読書三昧で睡眠不足が続いていたことを思い出す。
限界だった。夜明けも近づいていた。

帰りの道、気温表示は1℃であった。

結局小生はまたまた、また、25センチの呪いを解くことはできなかった。

その夜の釣りで学んだことがひとつあった。
イージーテトラは釣れる場所がだいたい決まっている。
はじめは、いろんな場所でやってみて、そのうちよく釣れる場所が分かって来る。
そうするといつの間にか、一番効率のいい、そこでしかやらなくなる。
そこでしか釣れない、という思い込みが次第に固まり、そうなるのだ。

その夜のように、活性が極めて低く、テトラ際、足元でしかアタリがないというのは、テトラの陰に隠れてじっとしている居着きのやつを狙うことになる。数は多いとは言えない。釣ってしまえば暫くはそこにはいないのだ。
そんな時はひたすらテトラの足元を狙って移動し捜すしかないのだ。拾うように。

このところ小生の頭の中はヘッセとの格闘で一杯だった。
釣りへの気持ちが希薄になっていた。
お付き合いの釣りになってしまったのだ。

O君はこのポイントは一度来たことがある。
現場の状況もよく把握していた。
釣りは1に場所、2に餌(ルアー)、3に腕と言われるが
その前に、意志の力というものがある。
大物への憧れ、釣りたいという想い、必ず釣ってやるという強い意志、
釣りへの、人から見れば馬鹿げたほどの、切実で強く深い熱情である。

仕掛けを作ったり、準備したり、そこから釣りは始まる。
釣りへのイメージを作り、そこへ精神を集中させていく。
釣れるというのは単なる偶然ではない。
釣りへの強い意志力が偶然を呼ぶのだ。それは必然と言っていい。

O君は猛者として知られる青年だが、彼は釣りがうまいのは言うまでもないが
その前に、考え、動き、全力で、必死に魚を求めるのであり、それが猛者の所以なのである。

帰り着くと夜が明けていた。
残った雪の上でみんなの釣果を眺めた。
大した釣果ではないが、豊かな濃い釣果であった。



さて、次回はかっちゃんにデカイの釣ってもらわなければ。
もう少し温かくなって、またやろうと約束した。

女釣り師MZ 29.5センチ

2010-03-05 | メバル
福井に女釣り師がいる。
まだ初心者だが、釣りへの想いは熱く真っすぐなんである。
我々が、夜だし、テトラだし、危ないよ、女なんだし、なんて言っても
決してひるんだり、動じることなく
ひたすらその目は釣りへの憧れに静かに燃えているんである。

彼女の名前はMZ。
福井の釣り師つーさんの弟子であり、小生とは弟子仲間というところ。

その彼女がデカメバルを釣りたいという。
メバル用マイロッドを買って、数度つーさんと出かけたらしいが
何せ福井は激戦区、夜ということもあってやはり女性初心者には厳しいものがある。

先日、やっとのことで初メバル16.5センチを釣り上げたのだとか。

その彼女がやって来た。

福井越前海岸に比べれば、能登外浦は人は少ないし、のんびりとしている。
釣りやすいかもしれない。
彼女の願いはデカメバルを一匹釣りたい、と明確であった。

このところ小生自身、25センチしか釣れないので
デカメバルと言っても甚だ自信はなかったのだが
まだ16センチしか経験のない彼女ならば、25センチくらいで十分満足してもらえるだろう。
それならイージーテトラでやっていればなんとか釣れるだろうと。

「彼女がでかいメバルを抱いてニンマリしている写真を撮ること。」
それがその夜の小生の目標だった。

やってきた夜は荒れてどうにもならなかったが一夜明けると収まって来た。
その日の天気予報は波1メートル、南風、曇り、気温4度となんとか釣りができそうだった。
満月だが月は出ないだろう。
となると、イージーテトラがばっちりなのだ。ここは道路の常夜灯がボンヤリと海面を照らしているので月があるとポイントが散漫になって釣りにくい。

FGノットを編み直し、用意万端整え、いざ!!とばかり出かけた。

山を抜けて海への道を走る。
彼女と釣りの話をしながらも、頭の中はベートーベンが鳴り響いていた。
シンフォニー7番。小生の好きな曲である。

10年前、毎年のように博多で展覧会があった。
高速を飛ばして12時間。ひたすら走った。
走りながらよくこの曲を聞いた。
眠気が覚めたし、心の奥底から行くぞ!!と勇気のようなものが湧いて来た。
数日前、友人が所属するオーケストラの演奏会に行って来たが
その演目が7番だったのだ。

第一楽章の怒濤のような旋律が頭を駆け巡った。


イージーテトラは波はなく、彼女にとって最高の状況と見えた。
一番釣りやすい釣り座に立ってもらいキャストしてもらう。
彼女の釣り上げてあげる歓声が今にも聞こえてきそうだった。

しかしその夜に限って渋かった。渋過ぎた。
アタリがないんである。
ここは他が駄目でもなんとか25センチサイズを釣ることのできるポイントなんである。

粘っているうちに彼女は根掛かりし、ラインブレイク。ノットを編み直す。

そのうち、小生に掛かる。テトラ際のタイトなラインだ。



うっは、25センチ弱。またこれだ。

暫くしてまた当たる。



23センチ・・・・。

その後、20センチ、数匹。リリース。

それ以上粘っても意味がなさそうなので移動することに。

アテにしていたイージーテトラが駄目となると、さて何処へ・・・・

輪島方面の灯りのあるポイントにするか、それともライトフットの崖に行ってみるか・・・
灯りのポイントは釣れるだろうが小さい。ライトフットは全く駄目かもしれないが、なにせ尺本命ポイントなのである。
月のない真っ暗状態で釣れたことはないが、ひょっとしたらデカイのが掛からないとも限らない。

どちらがいいかと彼女に尋ねたら
考えるまでもなくライトフットと言う。
そうなのだ。確実な小物より、未知の大物に賭けるのが釣り師というものだ。

ライトフットは足場が高い上にサラシが渦巻いている。その向こうを狙わなくてはならない。
彼女の短い細いメバルロッドでは歯が立たない。
予備にもって来ていたイカロッド、カラマレッティ8.6フィートに10グラムの飛ばしウキを装着する。

釣り座の足下は予想以上にサラシが渦巻いていた。
こんな荒れたところでメバルを釣ろうなんて普通の人は考えないだろう。そんな海である。

可能性のある方向はひとつであった。
右手斜め。その方向、サラシの向こう側へキャストしてもらった。
勿論、飛ばしウキをキャストするのは初めてである。
暗闇に向かってとにかく投げるのである。ルアーが何処に落ちたか見当もつかないだろう。
でもしかたないのだ。

でも、確かにちゃんと飛んでいるようだったので
小生は左手のテトラ際を手作りプラグで狙うことに。
左手は波がさらに強く、ルアーは波とサラシにもみくちゃになる。
なんだか、気持ちは重くなる。

と・・・彼女の声。
振り返るとロッドから足れたライン、飛ばしウキの80センチ下にメバルらしきものがぶら下がっていた。
おお!!釣ったか!!
にっこにっこの彼女。
正真正銘、20センチのメバルであった。
ふむ、いないわけではないらしい。

その後、釣り座に戻り、キャストを再開した瞬間、また彼女の声。今度は悲鳴に近かった。

また振り返ると、
なんと、彼女の足元でデカイ魚がドテンバタンと跳ねているではないか。

おお!!ま、まさか!!
素早くリールを巻きとり行ってみると、その、まさかであった。
ふてぶてしくもドデカイ、堂々とした、美しい、懐かしい、憧れの魚体であった。

一目見て尺クラスだと分かる。
彼女自身、なにが起こったのかという顔である。

「やったな!!尺かもしれん」というと
やっと嬉しそうに頷く。





メジャーを出して計ってみる。
29.5センチ。尺に5ミリ足らないが、これはもう尺と言っていい。



それから、もう欣喜雀躍、飛んだり跳ねたりの彼女であった。

いや驚いた・・・・。

昨年、何度ここに通ったか。でもついにこのサイズにお目にかかることはなかった。
もうここにはこのサイズはいなくなってしまったかと思ったりもした。
しかし、いたのだ。
このサイズが。そのことは嬉しいことだった。

そいつをメバル釣りに慣れたとは言えないMZが釣り上げた。
そこにはいくつもの偶然が重なった。
初めての飛ばしウキ、尺を釣り上げるには小さすぎるジグヘッドが延ばされなかったこと
ゆっくり引いたらしいが根に潜らなかったこと、高場を抜き上げるにイカロッドが功を奏したこと、
普通、いくつもの偶然が重なり尺メバルを逃すのだが、今回は逆であった。


その後も彼女は投げる度にヒットした。
2匹目、三匹目、四匹目、入れ食いである。
みんな25センチ前後。

群れがいるのだ。
小生も彼女と並んでキャストをはじめる。

だが、彼女に掛かるものの、小生には掛からない。
不思議である。
おなじリグに同じワームなのにである。

彼女は何処に投げているのか分からないと言う。
投げ終えて引くタイミングから表層に違いはないのだが、
そこに小さな群れがいるのだろう。
的確にそのスポットにルアーが落ちているのである。

およそこのあたりだろうと見当をつけキャストしてみるが、小生には当たらない。

これと同じようなことは昨年秋にもあった。
やはり彼女とイカ釣りに出かけた時のことである。
その時も彼女はまともにイカを釣った経験はなかった。
シャクリを教えたが、上手くシャクレない。
ある時間帯、その彼女にしかヒットしないのである。
上手くシャクレない、そのシャクリにイカは反応したのである。

釣ることに慣れる、上手くなる、それがかえって邪魔をすることもあるのだ。
知らぬ間に、こうしないと釣れないという思い込みができあがり、そいつが邪魔をする。


そのうち、ぱたりとアタリは止んだようだった。

暫くして、やっと小生にヒットするが、先ほどの群れとは関係なさそうだ。



でも、25センチに満たない。

そこで雨が降り出した。
ライトに照らし出される雨の軌道は太かった。

しかし、ここで止める気には到底なれなかった。
その夜は千載一遇のチャンスなのかもしれなかった。

雨の中、黙々とキャストを続けた。

彼女は手がかじかんで来たと、休憩に入る。

方向を変え、レンジを変えてやっているうちに
時々、掛かる。
が、みな中サイズだった。

気がつくと、全身が濡れ鼠となっていた。
彼女のこともあるし、もう限界かと思えた。

その時、乗った。
まあまあの引き。
もう尺でなくていい、せめて25センチは越えてくれ、これが最後なのだから、
念じながら抜き上げた。

見た目、いい感じ。
25センチは越えたか。



計ってみる。
・・・・24センチ。
いつもメジャーは冷酷なんである。

それが潮時であった。


帰り道、厚い雲の割れ目から顔を出したお月さんが笑っていた。

なんだかな、小生の25センチの呪いは未だ溶けそうもないが、
身も心も軽かった。

彼女はひょっとしての29.5センチを釣り上げたのだし、
この大事件は彼女の一生の思い出になるに違いない。
「彼女がデカイの抱えてニンマリ笑う写真を撮る」という目標も、目標以上に達成できたのだ。

というわけで、彼女に完全にやられちまった夜だった。
帰りの車の中、やはりベートーベン、高らかに鳴り響いていた。

明くる日、29.5センチは刺身にして食ったが、(うまかった~!!デカイのは一味違う、甘い)
彼女はメモリアル記念にとメバルのメバルという骨を取り出した。
なんでもつーさんに教わったらしいのだが、
胸びれの付け根あたりに、メバルの形をした骨があるのだ。
勿論、デカイやつほどでかいメバルのメバルである。

そいつを綺麗に洗い、コーティングまで施して
持ち帰ったのだった。

これは彼女の一生の宝となるだろう。



ここまでしてもらったら、メバルもさぞ本望に違いない。




















ブログ復活。2月のメバル 25センチの呪い

2010-03-05 | メバル
昨秋のイカ釣りの後、メバルを釣りに出かけ、釣り場で風に煽られ落下、足首を骨折してしまった。
歩けるようになるまで1ヶ月、釣りに出かけられるようになるまで2ヶ月かかった。
しかしその後、仕事に忙殺され、また仕事が面白く、とうとうその年は釣りに行けずじまいになっちまった。

そして新年を迎え、いざ釣り復帰と出かけてみれば、日本海は例年になく大荒れで釣りにならない。
少ないチャンスを狙って出かけてみるも、釣りのできるポイントは限られており、デカイのが釣れない。
数は釣れるのだが、せいぜいが25センチどまりである。

そして2月。
2月は寒い。気温が4度以下では手が凍えて釣りにならない。そのうえ産卵期である。海も荒れまくる。
というわけで小生にとってメバルオフの月なのだが
今年は大雪で家の周囲はまだ1メートルの残雪があるというのに、
20日ごろから季節は突然春に切り替わった。
気温が上がり、波が静かになれば、やはり心は海へ向かう。

まずは21日、イージーテトラに出かけてみる。
ここは少々の波があっても釣りのできるところ。
その夜は1.5メートルの波。足に波を被りながらもなんとか釣りができる。
このくらいの波でデカイのが期待できるポイントはここしかない。

渋いが、底を丹念に探っていると、ぼちぼちかかる。











しかし、どれも25センチを越えない。
このポイントは尺は無理だとしても、27、8センチは釣れなくもないのだ。
粘ってみる。

すると、少し引きの強いやつ。いい感じだ。



25センチに少し足りない。
でも、いい感じなって来た。
気分が乗って来た。



25センチ。

その後アタリは止まった。
粘ってみる。
30分。

帰ろうか。
いやもう少し。

妙な違和感。
デカイやつのアタリは小さいことが多い。
ひょっとして、合わせてみる。
乗った!!うっひょ~~!!



5センチのカサゴの赤ちゃんだった。



その3日後、24日は珍しく凪ぎ予報。
風もないという。

迷うことなく一直線に尺本命ポイントへと向かった。
ここは複雑な潮の流れのためか、周囲は凪ぎでもサラシが渦巻いている。
周囲が1.5メートルならば、もうここは荒れ狂って釣りにならない。

ポイントの手前まで来て車を停めた。
夕日があまりにも美しかったからだ。
冬の水平線に沈む夕日である。
荘厳であった。
この夕日にであっただけでも来た甲斐はある。



実は右足首を負傷したのはこのポイントなのである。
そうだ、気を抜いたら危ないのだぞと気を戒めるために、
これからこのポイントのことを「右足(ライトフット)の崖」と呼ぶことにしよう。

今年初のこのポイントである。半年ぶりだろうか。
昨年春は本命ポイントであるにかかわらず、ついにデカイのにお目にかかれなかった。
今年はどうか。

海の状況は悪くない。波は1メートル。潮は動き、足下を適当なサラシが渦巻いている。
ここは全くのべた凪では釣れたことがない。

いつものラインを通して来る。
状況はやはり渋かった。
表層では全くアタリなく、深層を角度を変えて引いているうちに時折当たって来る。
その時折のアタリを大事に掛ける。食いが浅く、三分の一はバレてしまうが。

一匹目。



25センチ弱。

二匹目。



25センチ弱。

三匹目。



四匹目。



ううむ、またしても25センチ弱。

デカイのがいないのか、腕が悪くなったのか、たまたまのタイミングなのか
それとも何かに呪われているのか。

と、ぐっと気持ちが落ち込んで来たところ
コン!!と引ったくるようなアタリ、合わせる、乗った、デカイ!!
こりゃあちょっと次元の違う引きだ!!グングン引っ張る!!
ゴリ巻き。
寄せる。抜き上げる。重いぞ!!
こりゃあ尺は完全に越えている。間違いなし!!
心臓が踊った。



しかし、現実は甘くはなかった。
確かに尺は完全に越えていたが
そやつはセイゴだった。40センチ。がっくし。



その後、粘ってみる。
気持ちを入れ替えて、粘ってみる。
諦めない。これが釣りの最高のテクニックなんだと。

そうすると、また時折掛かる。



しかし、やはり25センチを越えないのであった。

渋くとも、このポイントでこのくらい当たれば、必ず27~8センチの一匹二匹は釣れていた。

これはもう、呪われているとしか考えようがないではないか。

25センチの呪いか。

なんだか帰りの足が重かった。