読んで考えたことのメモ。
人が人を好きになるという複雑な現象において、
ショートタームな構造を恋と呼び、
ロングタームな構造を愛と呼ぶ、
と考えてみる。
恋は即時報酬的なので、中毒性があり、
リアルタイムの駆け引きが重要になる。
愛は遅延報酬的であり、忍耐が必要であり、
人生程度のスケールの時間をかける必要があり、
結果として稀少的である。
したがって、定義から、
ある人と一生かけてつきあうくらいの
覚悟がないと愛は生まれ得ない。
恋は愛を含意しない。
現象がショートタームで終わる場合もある。
一方、愛は恋を含意する。
もちろん、駆け引き的な部分の多寡はあるとしても。
誰を愛するか、は、何をライフワークとするか
と同じ種類の問題だ。
好奇心は、恋の始まりを作りだすのには必要だが、
こうした問題を解くときには邪魔になる。
ついでに:
「夜回り先生」のような
「博愛的な」話を聴くたびに思うのは、
キャパシティーやリソースの問題。
たとえば複数の問題児がいて、
Aと相談しているところに
Bが割りこんだらどうするのだろう?
Aのほうが相対的に手間がかかるとして、
Bはそれを受け入れるのだろうか?
それでもおそらく「決して見捨てない」という
基本的なコミットメントのインテンションが
相互に了解できていれば、「愛」という関係が
成立するのかもしれない。
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